その6

 翌朝。


 朝食の後、アキラさんの片付けの手伝いを終えて居間に戻ると、


「あれ?」


 デジカメを首から下げたシグレさんが、玄関の方に向かうのが見えました。


 柱とふすまとで部屋を仕切っている日本家屋だと、こうして一直線に次の間が見える事が多いです。


「どこに行くんですか? シグレさん!」


 小走りに駆け寄って尋ねると、彼は靴を履く手を止めて振り返りました。


「眉ヶ池まで行ってみようと思って」


 それって、あの瓢箪形の湖ですよね!


「ご一緒しても良いですか?」

「もちろん!」


 笑顔で頷いてくれたので、僕は振り返って、お箸を持ったポーズのままウトウトしている先生に声をかけました。


「先生も一緒に行きませんか?

 あと、朝ごはんはアキラさんがもう下げましたよ」

「う~。えんりょする……」


 眠たげに目をショボショボさせて、先生。

 テレビ見て、眠って、食べてって、いつもとやってること変わりないじゃないですか。


 この人、いったいここに何しに来たんでしょう……。


「リセ。リセも一緒にどうですか?」


 何やらシャツのような物を片手に通りかかった、リセも誘います。


「あたしはいいわ。

 アキラと残って、お昼ご飯でリベンジよ!」


 はっ!

 まさか、手に持っているのはエプロン!?


 彼女の一言を聞いた瞬間。


 がばっ!


 今までダレていた先生が、身を起こしました。


「一緒に行くぞ、ヒカル君!

 空腹は、最高の調味料だと言うではないか!!」

「うふふ。

 ユタカ、今の言葉忘れないでよ?」


 リセ……目が笑ってません……。

こうして僕たち三人は、谷の真ん中の眉ヶ池までお散歩することにしたのでした。


 ですが、


「直線距離だと近いのになぁ」


 山をぐるっと回って降りて行きますから、結構いい運動になります。


 てか、


「今気付きましたが、 これ帰りはずっと上り坂ですよね……」

『…………』


 僕の発言に絶句する二人。


 先生の顔にはありありと『来るんじゃ無かった』といった表情が浮かんでいます。


 山道から田んぼの畦道を過ぎ、湖のほとりにたどり着いた時には、一時間が経過していました。


「んぐんぐんぐ……っぷはぁっ!」


 僕の持って来たペットボトルの水を、一気に飲み干す先生。


「時間、かかったなあ!」


 そんな爽やかな笑顔で……あ~あ。一滴も僕の分残してくれませんでした……。


 僕に空のペットボトルをよこして、先生は額の汗を拭います。


 どうやら水分で若干気力を回復したようです。


「……む? あれは何だ?」


 空っぽのプラスチック・ゴミを見つめる僕にはお構い無しで、彼女は畦道の先、田んぼと田んぼの間に建った、赤いトタン屋根の小屋を指差しました。


 大きさ的には公衆トイレ――……ですが、周りを簡易な柵が取り囲んでいますし、何やら立て札のような物がくっついているようです。


「あれはもしや!」


 辺りの風景をカメラに収めていたシグレさんの目が、キュピーンと輝きました。


「『マユの社』!

 行ってみよう!」


 その背中に先生。


「君は、人外が好きなのか嫌いなのか、よく分からんなぁ」


 そのセリフに、シグレさんの足がぴたりと止まりました。


 振り返った彼の顔には、引きつった笑顔が浮かんでいました。


「俺はな、民俗学的に! フォークロアな感じで! 民間伝承とかに興味があるんだ!

 決して、決っっして、心霊体験を望んでるわけじゃないんだっ!」


 ……魂の叫びですね、シグレさん……。


 近づいてみると確かに、そこは神社のような場所でした。


 ですが――……。


 塗装も何もされていない、ただ木を組んだだけのボロボロの鳥居。


 そこから本殿に繋がる短い参道の両脇には、あるものは首から上が無く、あるものは鼻面が欠け、またあるものは片足を失った、無数の狛犬たち。


『怖っっ!』


 図らずも、僕とシグレさんの声が重なりました。


 辺りは鬱蒼と木々が生い茂っていて、昼だというのに仄暗いです。


 姿の見えぬカラスが、頭上で『ギャー』と人の悲鳴のような声を出しました。


 躊躇する僕たち二人を放置して、先生はズカズカ中に入って行きます。


「確かに不気味だが……」


 石畳の真ん中で、ぐるっと辺りを見回すと、


「ここには何もいなさそうだぞ。

 悪いモンも――……良いモンも」

「――そうだね。ここは空っぽだ」


 唐突に。

 後ろから聞こえた声に、


「ふぎゃあ!?」

「うわぁっ!?」


 振り向きざまに飛びのく二人。


 平然と立ったままの先生が、あの猫の目で相手を見つめました。


「し、シロさんっ!」


 立っていたのは、相変わらず顔にニコニコ笑みを張り付けた、白髪の青年でした。


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