賢い狐は猫を被る

「ええ……モガッ!!」

「声がでかい! 静かにしろ!」


 華奢なてのひらがテディの口を素早く覆う。

 白い手の下で、テディがもごもごと抗議の声を上げているが、アリスはぎろりと睨み上げながら、もう片方の手の人差し指を自身の唇にやってシィ、と言って黙らせた。


「で、でも旦那……こういうパーティは上流階級の偉いさん方だけしか入れねえんですよ」


 手を外されたテディが恐る恐るそう言った。

 アリスは片眉を上げながらテディの爪先から頭までを睨め上げる。


「誰がそのまま来いっつったよ。お前は身丈もあるし、面も悪くねえ。すぐに従僕の服を調達してきてやる。それ着て一緒に来るんだよ。お付きの者だってな」

「なるほど……って会場じゃそんな動けないじゃないですか!」


 あくまでも小声で抗議の声を上げるテディにアリスが「あぁ?」と地を這うような低い声で唸った。


「そこからは手前ェで考えろよ。安くねぇ手付け金払ってんだ。そんくらい働け」

「そんなぁ~」

「じゃあ頼んだぞ。午後イチには出発するからな」


 反論など許さないと云うようにアリスはテディに背を向けながら、片手を上げて言った。


「なんて横暴なお嬢様だ……」

「何か言ったか」

「いいえ」


 足を止めて睨み付ければ、食い気味に返事をするテディに呆れたように鼻を鳴らし、アリスは屋敷の裏口へ足を向けた。


 裏口は使用人達が主に出入りしている。使用人たちの休憩室もそこにあった。


(今の時間は、朝餉も終わっているから誰かしらいる筈だが……)


 使用人の休憩室の前を通りかかろうとした時、二人の若い従僕の話し声が聞こえた。思わず壁に張り付いて聞き耳を立てる。


「しまったなぁ……今日の午後、お嬢様の御付きなんだよなぁ……」

「トム、どうしたんだよ。何かあんのか?」

「今日、キャシーの誕生日なんだよ……。お前、代わってくんねえか?」

「悪い。俺も旦那様の御付きなんだよ」

「そうか……」


 トムと呼ばれた従僕の声が深く沈んだ。余程の大事な予定があったのだろう。

 これは使えるかもしれないとアリスは口の端を上げた。

 もう一人の従僕が「あ、やべ、もうすぐ時間だ。じゃあな」とその場を後にしようとしたので、慌てて物陰に隠れる。

 足音が去ると、トムと呼ばれた従僕の溜息が聞こえた。

 トムが一人になったことを確認して、物陰から出て休憩室に入った。


「えっ、お、お嬢様!?」


 丁度煙草を咥えていたトムが目を丸くしてアリスを見て慌てて立ち上がる。アリスは両手を上げて、そのままでいいと声を掛けた。


「すま……ごめんなさいね。休憩中に」

「ど、どうしたんですか? こんな所へ……」


 トムが目を白黒させながら言うのを制してアリスは言葉を続けた。


「さっきの会話を聞いてしまったの。貴方、今日大事な予定があるのでしょう?」

「え、ああ、その……」


 トムはバツ悪そうに俯いた。何とも分かり易い反応に、アリスは心の中で苦笑した。


「今日の私の御付きは行かなくてもいいわ」

「えっ!?」


 その言葉に、俯いていた若い従僕が、弾かれたように顔を上げる。


「それでね。貴方にお願いがあるの」


 アリスは悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべながら、若い従僕を見上げて言った。


 ―――――――


「おい……なんだ、いねえのか」


 アリスは裏口から出ると、待っていたはずのテディの姿が無い。きょろきょろと見回しながら、背の高いブルネットの若者を探した。

 あの若い従僕は、懸想するパブのウェイトレスの気を引きたいがため、彼女の誕生日である今日に贈り物をしたかったようだ。

 その健気な彼の気持ちは大いに共感できるので、ありがたくそれを利用させてもらう事にした。明日までの暇と、口止め分の小遣いを渡せば、彼は感激したように頭を下げ、快く制服一式を差し出してくれた。背格好はテディとほぼ同じだったので、サイズは問題ないだろう。


「こっちですよ。旦那」


 頭の上から声がして、見上げる。大きな楡の太い枝に腰掛けて煙草をふかすテディの姿があった。


「何だお前。猫みてぇに登って」

「使用人達に見つかったらやべえと思って。大丈夫。見つかってませんから」


 よっと、と軽やかに地面へ着地した若者に、借り物の従僕の礼服を押し付ける。

 

「ほら。借りて来たぞ。すぐ着替えろ」

「えっ!? ここで!?」

「そうだ。ほら早くしろ時間がねえんだよ」

「ちょ、待ってく……無理矢理脱がすなよ旦那ァ!」


 ぐいぐいとレンガ塀の影へテディの背中を押しながら、ジャケットを無理に引っぺがそうとすると、慌てたような声が上がる。


「うるせえ、男が喚くんじゃねえ。さっさと脱いで着替えちまえよ」

「わかったって! もう!」


 屋敷の中から「アリスお嬢様~!? お仕度のお時間ですよ~!」という声が聞こえ、アリスはちっと舌打ちをした。


「仕方ねえ。着替えたら馬車の前で合流だ。遅れるなよ」

「はいはい。分かってますよ」


 び、っとテディに指を差し念を押して、アリスは屋敷に入った。


「アリスお嬢様! 何処にいらっしゃったんですか!? もうパーティまで時間がないんですよ!?」

「あ、ご、ごめん……」

「早く早く!  御仕度をなさいませんと!」


 ずっと探していたらしいメイドたちは、アリスの姿を見つけると、まさに犯人を確保した警官のようにアリスを部屋へ連行していった。


 オフホワイトを基調とした、胸元の開いたアフタヌーンドレスに、同じ色のシルクの手袋。水色のストールを羽織り、同じ色のリボンをあしらったレースのボンネットを結い上げた髪に被ったアリスは、メイドたち渾身のメイクを施され、誰もが振り向く様な美しい淑女に変わっていた。当の本人としてはとても不本意なのだが。

 母のクラウディアが満面の笑みで愛娘の晴れ姿を見つめて頷いた。


「とっても綺麗よ。アリス。今日のパーティの一番のダイヤモンドになるわ!」

「……ハハ、アリガトウお母様」


 母の機嫌を損ねたくはない。笑顔で返事をするが、それがぎこちないのは仕方のないことである。


「さあ、そろそろ行きましょうか。どんな殿方がいらっしゃるか楽しみね」


 クラウディアがアリスの腕を引く。屋敷を出れば、既に馬車が停まっていた。

 テディは何処にいるだろうかと、さり気なく視線を彷徨わせる。


「奥様。お足元にご注意くださいませ」


 聞き覚えのある声が直ぐ近くで聞こえた。普段より数十匹分の猫を被った声であるが。

 外出用の従僕のお仕着せであるスリーピースのタキシードを完璧に着こなし、いつもの緩くウェーブがかった髪を後ろに撫で付けた、テディが柔らかい笑みを浮かべてクラウディアに手を恭しく差し出していた。


「ありがとう。あら? 貴方のような従僕は我が家にいたかしら? 」


 白手袋の手を取りながら、クラウディアが首を傾げた。アリスが咄嗟に口を開こうとした時。


「つい最近からになります。まだ試用期間中ですが、本日お供する者が体調不良にて、私めが仰せつかりました」


 よろしくお願いいたします。奥様。と頭を下げるテディは従僕としても完璧な所作だった。背も高く、誰が見ても美形な従僕に、クラウディアは暫し目を奪われていた。


「あらあら、こんなハンサムな従僕がいてくれるなんて我が家は幸せね。さあ、行きましょう」


 クラウディアが上機嫌で馬車に乗り込む。アリスはホッとしたように胸を撫で下ろした。

 その目の前に、白手袋の手が差し出された。


「さあ、お手を。アリスお嬢様?」


 視線を上げれば、クラウディアに向けた笑顔とは一変し、悪戯を成功させた子供のような、悪い笑みを浮かべたテディがいた。

 アリスは小さく「クソが」と口の中で悪態を吐くと、貼り付けたような笑顔でその手を取った。

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