不思議の国の大捕物

「お二人とも、何か申し開きはありますか?」


 真実は、大理石の床にぶちまけられた破片の中で輝く宝飾品達が物語っている。


 二人の男を振り返り、アリスは射貫くような視線を向けた。

 広間の全ての視線がアリスたちに向き、衣擦れすらもない沈黙がこの場を支配していた。

 ロバ面、ホスロ子爵がわなわなと震えだした。よろよろとテーブルにもたれ掛かったと思ったら、その手には銀色のナイフが握られていて、傍にいたアリスの腕を掴んだ。


「ホスロ子爵!」


 ライアンが叫んだ。ホスロ子爵は血走った眼で「近づくな!」と叫び、アリスの首にナイフを向けた。


「サム! 何してる! 早く拾ってこい!」


 ロバ面が太っちょ、オーブリー子爵に怒鳴った。オーブリー子爵は戸惑いながらも床にぶちまけられた宝飾品をかき集める。

 衛兵たちが詰め寄るのを、ホスロ子爵がナイフを振り回してけん制した。


「来るな!  この娘の喉を掻き切るぞ! 俺達が此処から出るまで動くなよ!」


 クラウディアが蒼白になって崩れ落ちた。アリスは視界の端にライアンがこちらを見ているのを捉えた。男達を刺激しないようにとの意を込めて小さく頷いた。

 衛兵と共に前列にいたライアンが両手を上げて一歩下がった。


「わかった。だからその人は傷つけないでくれ」

「武器も棄てろ。全員だ!」


 ライアンの指示で衛兵たちも続々と剣を捨てる。


「来い! お前は俺たちが逃げる為の人質になってもらう!」


 右腕を掴まれたまま、アリスは広間から連れ出された。

 二人の後を太っちょがわたわたと宝飾品を両手で抱えながらついて来た。

 荒い息を吐きながら庭園を突っ切り、出口を目指すロバ面にアリスは冷たく言った。


「やめた方が良い。あんたらがニューゲートに入ったら三日も掛からずに尻を掘られちまうぞ。あそこは万年女日照りだからな」


 ひい!と太っちょが悲鳴を上げた。ロバ面が苛々とアリスの腕を掴み直して顔を近づけた。


「黙れ。その綺麗なお顔をズタズタにしてもいいんだぞ」


 陳腐な恫喝に、アリスは左手を上げた。

 幸い、辺りには誰もいない。絶好の機会だ。


「おい、私の手を見ろ」


 ロバ面の注意が手の平に向いた。

 それを見逃す手はない。すかさず硬いヒールの爪先が男の股間に強烈な一撃を喰らわせた。

 絞められた鶏のような悲鳴が庭園に響き、ロバ面はたまらずナイフとアリスの腕を離して悶絶した。

 そしてその長い顎に電光石火の右フックがぶち当たり、モロに衝撃を受けた子爵は白目を剥いて崩れ落ちた。


「スコットランドヤードを舐めるなよ。クソボンボンが」


 そう吐き捨てて、アリスは腰を抜かして震える太っちょ、オーブリー子爵に近づき、その胸倉を鷲掴みにした。

 女のような悲鳴が辺りに響いた時である。


「アリス!!」


 がさりと生垣を割って現れたのは、あのハンサムな貴公子、ライアンであった。

 ライアンは悲鳴を聞きつけていち早く駆け付けたのだろう。

 だが、そこには目の覚めるようなスカイブルーのドレス姿の令嬢が腰を抜かした紳士の胸倉を掴み、傍らには白目を剥いて倒れている子爵の姿。


「あ……あの…その、大丈夫…ですか?」


 アリスは太っちょの胸倉を掴んだままにっこりと笑った。


「大丈夫。問題ありませんわ」


 その後、二人の子爵と給仕に扮したスリの男は、無事に衛兵に引っ立てられていった。

 母のクラウディアは娘の無事がわかると泣いて喜び、しばらく抱きついたまま離れずに辟易したくらいだ。


 あらかたの処理が終わり、テラスで一息ついていると、ライアンがやって来て「座っても?」と言うのでアリスは頷いた。


「……あんたの仕業にしちまって、悪い事をしたな」


 ぽつりとアリスが言う。

 子爵二人を鮮やかに倒したのは、全てライアンだと言う事にした。後々が面倒だからだと思ったからだ。

 太っちょには「この事を喋ったなら、地の果てまで追い詰めてお前の歯を全部引き抜いた後テムズ川に沈めるからな」と脅したらキツツキが幹に穴を開けるかのように頷いていたので大丈夫だろう。


 だがライアンはアリスの右手を心配そうに見つめた。


「手は大丈夫ですか? 貴女があの男を倒したとは、あの顔を見るまで信じられませんでした」


 アリスは、いやアーサーは借り物の身体、本来の持ち主である少女の手を傷つけてしまった事に後悔していた。


「大丈夫だ。痣はできるだろうが、すぐ消える。見苦しい所を見せたから、叱られるだろうな」

「とても勇敢でした。今宵の貴女の行為は賞賛されるべきだ」


 その言葉に、アリスは自嘲するみたいに笑った。


「その言葉は、今も現場で汗水たらして捜査してるあいつらに向けられるべきだ」

「え……?」


 ライアンが首を傾げた。アリスは何でもない、とテラスのテーブルに置かれていたシャンパンのボトルを取って、赤い髪の青年に顔を向けた。


「そう言えば、自己紹介が途中だったな」


 まだ半分以上あるシャンパンをそのままあおりながら可笑しそうに言うと、彼も同じようにボトルを手に取った。


「ああ、私はライアン……」

「知ってる」

「え?」

「壁際の娘らが話してたのを聞いた」


 その言葉に、ライアンは少し残念そうに微笑むとアリスと全く同じようにボトルをあおった。


「ちゃんと自分の口から言いたかったな」


 あまりにしょんぼりとするものだから、アリスは思わず笑っていた。間違って水場に落っこちた犬のようだ。

 シャンパンのボトルをライアンに向けて「まあ、お疲れさん」と言うと、彼もボトルを近づける。

 かちん、とガラス瓶がかち合う音が響き、二人は同時にシャンパンを飲み干した。


「シャンパンをこんな風に飲むのは初めてだ」


 ライアンが悪戯をした子供のようにアリスを見た。


「私も。というか、ここのグラスは小さすぎるな」


 満天の星空の下、二人の笑い声だけが響いていた。

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