不思議の国での探偵ごっこ

「皆さま!  持ち物が無くなる前に何かを飲みましたか?」


 ライアンの言葉に、手を挙げた紳士淑女が頷いた。皆、レモネードや紅茶を飲んでいた事が解った。


「この中で、お酒を飲めない、または苦手な方はいらっしゃいますか?」


 次にアリスの問いに、手を挙げた全員がまた頷いた。

 そう、これは古典的な手法だ。


「ありがとうございます。皆様の持ち物はもう直ぐ取り戻せるでしょう」


 アリスの言葉に、紳士淑女たちが騒めき、紳士の一人が声を上げた。


「き、君は本当に犯人が解ったと言うのかね? さもなければこの場で酷い恥をかくんだぞ!」


 アリスは可笑しそうに鼻で笑った。


「ええ。恥をかいても真実が明らかになればどうでもいいことです」


 紳士が口籠る。アリスは続けた。


「皆さんが口にしたレモネードや紅茶は大量の砂糖が入っていました。それと強いアルコールが。砂糖を入れたのはアルコールの味を誤魔化す為です。皆さん、この場の雰囲気に飲み物を口にせずはいられなかったでしょう? 一口で赤くなってしまう方もいた筈です」


 周りが騒めいた。母のクラウディアも同じだった。デコルテが赤くなるくらいアルコールに弱い人間が知らずに酒を飲んだらどうなるだろうか。

 アリスは両手を芝居がかった仕草で広げながら、狼狽える紳士淑女を見回した。


「ダウンタウンでのスリの手口にこういうものがあります。ある人間が袋の中のリンゴを路上でばら撒く。親切な人間と一緒に拾いながら世間話をして、もう一人が後ろから財布を抜き取る。古典的ですが成功率は高い」


 貧困で食うに困った子供達が、集団で協力して生き抜く為にこう言ったスリを働く事が多かった。

 アーサーの情報屋でもあるテディも、そう言った子供の一人だった。


 イーストエンドロンドンの地を自分の足で踏んだ事もない貴族連中がそんな事を知っているとは思えないが、アリスはある可能性を考えていた。


「そういえば、この中で忙しなく動いていた方々がいましたね。沢山お話出来ましたか? ホスロ子爵、オーブリー子爵」


 その言葉に、ロバ面と太っちょが凍り付いた。


「な、何を」


 ロバ面が震えるように言った。


「何度も夜会や昼食会に参加しているお二人ならば、お酒に弱い方々も自然と分かるものでしょう?」


 アリスはテーブルに置かれていたレモネードが入ったグラスを手に取り、匂いを嗅いだ。強いレモンの香りに混じってアルコールの香りが微かにする。


「スリは単独では大きな仕事はしない。気を逸らす役、周りを監視する役、盗む役。それがあって初めて大きな仕事をする。囮役が言葉巧みに相手を酔わせて気を逸らし、その隙に持ち物を盗む。実に鮮やかだ」


 アリスはカツカツと足音を鳴らしながら、その男の前に立ちはだかった。


「そうでしょう? 給仕さん」


 アリスが外に出る寸前、ぶつかりそうになった給仕だ。

 不自然に近かった事と、近づいた時に感じた違和感。

 給仕の男が引き攣った表情でアリスを見つめた。


「貴方からは機械油の匂いした。香水を振りかけていても分かるくらいに染み付いている。それは長い事工場で働いている労働者の匂いだ。此処にいる人間からはそんな匂いはしなかった。貴方を除いて」


 それと、とアリスが付け足した。

 かつらと給仕の制服で良く分からなかったが、今灯りの下でまじまじと見れば確信に変わった。

 この顔には見覚えがある。


「お前、ウエストミンスターの市場でよく仕事してただろう。二回はニューゲート刑務所に出入りしてたな。金持ち連中ばかりカモにして」


 耳元で周りに聞こえないくらいの声で囁くと、男がぶるぶると震え始めた。


「次は、縛り首だぞ。金額が金額だ。減刑はないだろうよ」

「違う! 俺は、雇われたんだ! あいつらに!」


 恐怖に眼を見開いた男はある人物を指差して叫んだ。

 それはやはり、ロバ面と太っちょを指していた。

 会場がどよめく。ライアンだけは面白そうな見世物を見るような表情を浮かべていた。


「お二人とも、大変失礼な物言いで申し訳ないのですが、装飾品も無く、身だしなみも少しくたびれていらっしゃいますね。靴も傷んでいるようだ」

「な、なんだと! 失礼じゃないか!」


 太っちょが赤ら顔を更に赤くして怒鳴った。

 ロバ面が「言いがかりだ! 私達はそんな男と面識など何もない!」と早口でまくし立てた。


「お二人とも、ギャンブルで負けすぎて悪い所からお金を借りた……とかありませんでしたか?」


 二人の顔色が変わった。

 ロンドン市内にはいくつもの地下賭博場がある。法外なレートで賭けをする人間には、貴族階級も多かった。

 その違法の賭博場はギャングが仕切っている事が多い。ギャンブルに負けた人間には金を貸し、法外な利子を付けて取り立てる。

 アーサーは主にそういった事件を担当していた。


「イーストエンドの賭博場でしょう。あそこはたちが悪い賭場が多い。バワリー・ボーイズやアイルランド人が仕切っていますからね」

「……ホワイトチャペルだよ」


 給仕の男が力なく言った。


「三番街の賭場だ。そこでブラックジャックで酷く負けて、やけ酒を飲んでたら、アイツらに声を掛けられた」


 有力な貴族が集う夜会があるから、其処に給仕として入って、好きに盗みまくれってな。

 分け前も十分やるって言われたし、前金として十ポンド貰ったからさ。


「なるほど。ありがとう。さあ、お二人とも、この方はこうおっしゃっていますが、何か申し開きはありますか?」


 二人に衛兵が迫る。だが、ロバ面、ホスロ子爵は最後のあがきとばかりに言った。


「ぬ、盗まれた物は見つかっていないのだろう!? では私達が犯人だと言う証拠はない!」

「ふざけるな! 獲物は全部アンタらに渡しただろうが!!」


 衛兵に脇を固められた給仕の男が叫んだ。

 子爵二人の周りを囲んでいた衛兵は、貴族に手を触れても良いものかとオロオロとアリスと二人を見やった。


「彼が掏った獲物は全部あなた方に渡されていたんですね。でも、多分そのポケットには無いでしょうね。量が多すぎる」


 アリスは二人の間を通り抜け、彼等が座っていたテーブルに近づくと、興味深げにこちらを見ていたライアンを呼んだ。


「お呼びですか? ミス・ガーフィールド」


 恭しい仕草でアリスの手を取ろうとした青年を制して、アリスはテーブルの真ん中に置かれていた大きな花瓶の花を一切の遠慮も無くまとめて引き抜いた。


 ちょっとこれ持ってろ、とライアンに色とりどりの花束を押し付けた後、大きな花瓶を抱え、思い切り床に叩きつけた。

 花瓶の割れる甲高い音がホールに響き、それと同時に驚きの声が上がった。


「美しい花を見る事はあっても、その中身には誰も興味を示さない。実に良い隠し場所だ」


 アリスは破片と水に混じって光り輝く宝飾品達を見つめながら呟いた。

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