不思議の国で盗まれたのは?
ダンスホールへ二人が戻ると、まるで世も末とばかりに酷く狼狽える母の姿があった。
「お母様! どうなさったの!?」
声を掛けると、クラウディアが倒れ込むように抱きついて来て、悲痛な表情で叫んだ。
「無いの! ネックレスが! 母から受け継いだサファイアのネックレスが!」
クラウディアの胸元を見やる。確かに、大粒のサファイアをあしらったネックレスが消えていた。
アリスは小声で「お母様、大丈夫」と今にも卒倒しそうなクラウディアを近くの椅子に座らせて、すぐに周りを見渡しながら手を叩いた。
「皆さん!! すぐに自分の持ち物を調べてください。 何か無くなっている方は手を挙げて!」
ホールが騒然とする。皆訝しげにアリスを見つめるだけだ。
すると、共に居た青年が皆の前に出た。
「皆さま、ミス・ガーフィールドの言う通りにしましょう。私からもお願いします」
しん、とホールが静まる。後ろからひそひそと娘達の声が聞こえる。
「ライアン様よ」
「いつ見ても素敵ね」
「あの娘、さっきの仔ヤギじゃない。厚かましい」
などと聞こえて来たので、この青年がライアンという名だとわかった。
「ミス・ガーフィールド、他に何かやるべき事はありますか?」
ライアンが長身を折り曲げて耳打ちして来た。
見目麗しい貴公子とアリスの関係を邪推するような囁きが聞こえたが無視した。
「あ、ああ。 会場内の人間全員を外に出さないようにしないと。まだ盗人がこの中にいるかも知れない」
それを聞くないなやライアンは毅然とした表情で周りを見渡して、言った。
「皆さま、誰一人としてこの場から動かないようお願いします。まだ、不逞の輩がこの中にいるかも知れません」
ざわりと会場が騒めく。アリスは内心歯噛みした。
この姿だと話すら人々に聞いてもらえない現実に。
すると、一人の貴婦人が手を挙げて前に出た。
「わ、私も無くなっているわ。 真珠のブローチが」
それを皮切りに、何人もの紳士淑女が持ち物、取り分け貴金属類が消えたと申告して来た。
「こんなに……随分欲張りな奴だ……」
アリスは盗人の手際に舌打ちしたくなった。
それも無理はない。手を挙げたのは十数人にのぼる。
「ミス・ガーフィールド。さあ、これからどうしますか?」
ライアンが久しぶりに面白そうな遊びを見つけたように、隠しきれない好奇心を滲ませてアリスを見た。
貴族なんてモンは碌なもんじゃねぇな、と溜息をつきながら、一人一人に話しを聞くが先だ。あんたも手伝え。と傍らの青年を肘で小突いた。
————
アリスはまず母クラウディアから話を聞くことにした。水を飲んで休んだら落ち着いたようだ。
「お母様。私が外に出る前にはネックレスをしていましたよね」
会場から逃げる時には確かに青い宝石が付いたネックレスをしていたのを、アリスは覚えている。
「ええ……。そうね。でも、いつの間にか無くなっていたのよ」
何が起きたのか分からないと、クラウディアが憔悴したように首を振った。
「ああ、アリス。私は、どうしましょう。私はどうすればいいかしら」
「大丈夫。深呼吸をして。最後に何かを食べたり、飲んだり、誰かと話したりしましたか?」
狼狽える母の背を摩りながら、ゆっくりと落ち着かせるように言った。被害者の殆どは被害直後は心が乱れている。優しく、根気強く話を聞く事が一番の近道だとアリス、いやアーサー・バートレット警部補は数えきれない犯罪現場からの経験で得ていた。
アリスが母から逃げるように庭園に出て、戻るまでは十五分くらいのはずだ。その間に盗人はまんまと母からネックレスを盗んだのだろう。
「あ、ああ。レモネードを。そうしたらなんだか暑くなって。沢山お話ししてしまったわ」
まだ動揺が強いのか、情報は断片的だ。レモネードを飲んだ。暑くなった。沢山話をした。
「誰と、話をしました?」
アリスはクラウディアに顔を近づけて密やかに言った。周りを見て、と優しく肩を抱いた。
あの貴公子、ライアンは素直に周りの紳士や淑女たちに話しを聞いているようだ。
クラウディアがゆっくりと右手を上げる。人混みの一部を指した。
それはアリスが予想していた人物とぴったり一致していた。
だが、まだ足りない。
アリスはクラウディアの近くのテーブルに置いてあった、淡い黄色の液体が入ったグラスを手に取った。
「お母様。お飲みになったレモネードはこちら?」
クラウディアが頷く。
アリスはグラスの中の液体の臭いを嗅ぎ、躊躇する事無く口に含んだ。
少しだけ口の中で転がしてから、またグラスの中に吐き出した。
「成程。少しばかり頭は回りやがる」
アリスはその可憐な瞳を獰猛な豹のように細めて、呟いた。
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