不思議の国の舞踏会

 波乱含みのお披露目会がようやく終わると、乙女達は白いドレスを脱ぎ、色とりどりの夜会用ドレスを身に纏って新たなる戦場へ赴くのである。


「王妃様に顔を覚えられるなんて、流石私の娘ね!」


 と娘のようにはしゃぐ母を尻目に、アリスは今度は貴族のボンボン達と踊らなきゃならないのかと心の中でぼやいていた。

 季節の花がそこかしこに飾られたダンスホールには、めかし込んだ紳士淑女たちが楽団の音楽に合わせてワルツを踊っている。

 ダウンタウンの汚いパブでスコッチを傾けながらカードに興じたり、時には殴り合いの喧嘩をしていた頃に比べると信じられない光景である。


 出来るだけ、目立たないようにと母から離れようとしたが、思いのほか強い力で腕を掴まれていて離れられない。


(うわっ、この、すごい力だ!)


 愛娘に良縁を掴ませたいという母の願望の強さか、がっちりと腕を取られてしまった。

 無言の攻防は、虚しくも邪魔者によって中断させられた。

 二人の紳士が媚びへつらうような笑みを浮かべて、恭しく一礼した。


「ミス・ガーフィールド、私と踊って頂けますか?」


 栗色の髪の紳士がそう言った。どことなくロバに似ている面だとアリスは思った。


「それよりも何か飲み物はどうです? 私が取ってきましょう」


 もう片方の赤ら顔の紳士が笑う。シャツのボタンが腹の肉ではち切れそうだ。

 どちらも紳士面の下にはどうしようもない下心が滲み出ていた。


(男なんてモンは貴族も庶民も同じだな)


 冷めた目で愛想笑いをしていると、母のクラウディアが「ホスロ子爵と、オーブリー子爵よ」と耳打ちをしてきた。

 どちらがどちらなのか分からないが、アリスの中では彼らはロバ面と太っちょと命名された。

どこかで見たような面だ。場末のパブによくいるような見慣れた面なので、気のせいだろう。


「あの、お母様。私ちょっとだけ風に当たってきますね、あはは。その……後で、また!」


 一瞬の隙を突いてアリスはするりと腕を抜いた。振り向いた時に給仕の使用人とぶつかりそうになった。


一瞬、違和感を覚えたが、慌てて謝りつつ、人混みを泳いで外を目指した。


 庭園に出ると、満天の星が天蓋のように空を覆い尽くしていた。

 夜風に当たると、夜会にあてられた熱がすう、と引いてゆく気がした。


「ああ、くそ。なんだってこんな目に」


 植え込みの影に座り込んでぼやく。外に出る途中で拝借したブランデーのデキャンタを勢いよくラッパ飲みした。


「良い酒飲んでやがるなぁ、ちくしょう」


 酔うためだけの粗悪なウイスキーとは違い香りも風味も段違いだ。

 その時、植え込みの向こう側で密やかに笑う声がした。

 思わず「誰だ」と鋭い声で言い放つ。


「失礼しました。淑女の独り言に無粋でしたね」


 植え込みの向こうから現れたのは、背の高い紳士だった。歳は二十半ばだろうか。後ろに撫でつけた燃えるような赤い髪に、切れ長の翡翠色の瞳。駿馬を思わせる引き締まった体躯は堂々たるもので、そこらの淑女なら一目で恋に落ちてしまいそうだ。


 だが、アリス・ガーフィールドはこれっぽっちも心を動かされる事も無く、溜め息をつくだけだった。


「いえ……いやいいんだ。こっちこそ悪かった」


 まさか人がいたと思わず、酷い失敗だ。化けの皮もこれで剥がれるだろうと諦め、アリスは開き直っていた。


「あんたみたいなハンサムが、こんな場所に居ていいのか?」


 すると青年はアリスの隣に腰を降ろして小さく笑った。


「恐ろしい母親達から逃げ出したくて」


 アリスが思わず噴き出した。確かにあの社交場は優雅に見えるが、水面の下は白鳥の足のように見苦しい。


 抱えていたデキャンタを一度あおり「飲めよ」と青年に勧めた。彼はアリスの淑女らしからぬ粗野な仕草や言動に少しも動じた素振りもなく、素直に受け取り男らしくぐい、と呷った。


「貴女は何故ここに?」


 アリスは星空を見上げながら、少し考えた。


「さぁな……いつの間にか迷い込んじまって、出る方法を探してる」

「じゃあまるで、兎を追いかけて、兎の穴に落ちてしまったみたいですね」


 どきりとして青年を見た。最近出版されてベストセラーになった小説の話だと知りほっと胸を撫で下ろす。

 それと同時に、自分の名すら名乗っていなかったのを思い出した。


「俺…いや私はアリス・ガーフィールドだ」

「貴女らしい素敵な名前だ。私は……」


 その時、ホールの方から絹を裂くような悲鳴がここまで聞こえてきて、二人は同時に立ち上がった。

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