猫は主の夢を見ない

「やぁ、いい場所だね。ここなら休憩してもバレなさそうだ」

「あの」


 努めて明るくそう言うと、隣に座っていた黒髪の少女が口を開いた。


「ど、どうして私が中国語ができるって分かったんですか?」


 黒曜石のような左眼が、遠慮がちに伏せられる。


「さっきの歌、中国の子守歌でしょ? 俺、チャイナタウンに近い場所で育ったから、聞いたことがあってさ」

 

 嘘だった。中国人の経営する娼館によく入り浸っているテディは彼女達が戯れに歌う歌も、その言葉も自然に覚えてしまっていたからだ。

 少女がテディをおずおずと見上げた。先程のようなあからさまな怯えと警戒は見られない。


「そうだったんですね……此処に来てからずっと英語しか聞けなくて、少し恋しかったんです」


 ふふ、と少女が鈴を転がすような声で笑った。


「俺はテディ。人手不足で、今日だけ臨時で給仕をしてるんだ。君は?」

「雪花(シュエファ)です。雪の花、でシュエファ」

「綺麗な名前だね。スノードロップみたいだ」


 雪花がはにかんだように笑う。テディは雪花が手にしていた園芸用のハサミを見た。


「君がこの庭の世話をしているのかい?」

「はい。私、こんな顔なので表の用向きは出来なくて。でも植物の事に少しだけ詳しかったので奥様が計らってくださったんです」


 赤あざに覆われた右半分の顔をわずかに見せてくれた。だがテディには少しも醜いなどと思わなかった。


「そういえば、他に庭師が見当たらないようだけど……」

「奥様はこの庭にあまり他人の手は入れたくないらしくて、私の他には二人の庭師しか手入れする事を許さないんです」

「成程、まるで我が子みたいだ」


 雪花は「はい、本当に自分の子供のように大事にされているんです」と嬉しそうに笑った。タウンゼント夫人の事を心から尊敬しているようだ。


「良い奥様なんだね」

「ええ。身寄りのない私を引き取ってくれて……本当に、私の恩人です」


 タウンゼント夫人は、孤児を引き取り、教育や衣食住を提供する代わりに使用人として数年間雇うという慈善事業をしているようだ。勿論、本人の希望で辞めることも出来るし、その分の給金は支払われるとの事だ。

 そんな高潔な貴族がいるものだろうか、と心の中で首をひねるがそんな事はおくびにも出さず笑顔で雪花の話を聞く。


「ここには孤児院育ちの使用人が多いんです。先々代の時からのご薫陶らしくて……」

「へぇ、立派な人なんだねえ」


 此処にいる見栄を張る事しか頭にない貴族連中に聞かせてやりたいくらいだ。とテディは内心思ったが、口には出さなかった。

 それに、奥方であるタウンゼント夫人の話ばかりで、本来の屋敷の主であるタウンゼント卿の話が殆ど出ないのは、彼がテディの想像する通りの『貴族もどき』なのだろうと判断した。

 すると、雪花がおずおずと顔を上げ、こちらを見て来た。


「あ、あの、貴方のご主人はどんな方なんですか?」

「……え? 俺?」


 その質問に、テディは虚を突かれたように目を丸くした。


「う~ん……わがままで横暴、短気だし大酒飲みでロクでもないけど……」


 雪花の表情が引き攣る。事実、アーサーの子飼いになってから無茶な要求は日常茶飯事だったし、バーで酔い潰れた彼をアパートまで運ぶことだってざらにあった。酔って正体不明になったアーサーに娼婦だと間違われて抱き付かれた事は墓の中にまでしまっておきたい位に忌まわしい思い出だが、それでも何だかんだ放っておけないのは彼の人徳、なのだろうか。いや、腐れ縁かも知れない、とテディは思い直した。


「けど?」

「義理堅くて、馬鹿みたいに正義感が強い……って感じかな」


 それを聞くと、雪花がくすくすと笑った。


「テディさんはそのご主人の事、大好きなんですね」

「へ!?」

「だって、凄く楽しそうな顔してたから」


 テディは自分の頬を摘まんでから、そうかなあ、と首を傾げた。


「まあ、確かに一緒にいて退屈はしないかな」


 小さく呟かれたその言葉は、雪花には聞こえないようだった。


「あれ? 何か、あったのかしら……」


 雪花が不安そうに庭園の方を見る。参加者たちが一つの方向を見つめて何やらひそひそと話している。

 皆の視線は一様に温室に向いているようだった。


「ちょっと見てくる。君はここにいたほうがいい」

「は、はい」


 素直に頷く雪花を後に立ち上がる。そろそろほったらかしにしたお嬢様が何かに巻き込まれているとも限らないからな、とテディは小さく笑いながら、温室の方へ足を向けた。

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