花だらけの冷戦
テディが温室へ向かっている頃、アリスは庭園の端にあるテラスで長身の紳士、ジョナス・グローヴァーと相対していた。
と言っても、色恋が始まるという可愛らしいものではない。まるで鎧を纏った騎士が今にも決闘を始めるかのようなひりついた空気が二人の間に漂っていた。
「どうぞ、掛けてください」
冷たい声が、アリスに向けられる。丸テーブルを囲んだ二つの椅子のうち一つを勧められたがアリスは静かに首を振った。
「いいえ、このままで結構」
ひたり、と青い目がグローヴァーに向けられる。彼の表情は一切動く事はなく、僅かに頷いただけだった。
「分かりました。ミス・ガーフィールド。私はロンドン警視庁のジョナス・グローヴァー捜査官です」
「……どうも」
淡々と自己紹介を始めるが、手すら差し出さない。初めて会った時からこういう奴だったな、とアリスは第一印象最悪だった初対面の頃を思い出した。
「ご無礼をお許しください。職業柄、こういう事には迅速かつ厳正に対処せねばなりませんので」
「わかっています」
アリスはガラスの如き温度の無い灰銀色の瞳を見つめた。アーサーの時は殆ど同じだった筈の身長は頭二つ分以上差がついていて、それがアリスを苛立たせる。
「先程、倒れた彼に触れようとしたのは貴女だけでしたな」
「ええ。まだ息があるなら助けなきゃ……と思ったので」
「ほう、公爵家の令嬢ともあろう方が群衆の前で跪き、倒れた人間を助けようと。成程、ご立派ですね」
「どういう意味ですか」
この冷たくまとわりつく言い方がいちいち癇に障る。
グローヴァーはそのまま続けた。
「貴女はご令嬢の中でも博識で、些か行動力がおありのようだ。先日の新聞も拝見しました。『令嬢探偵』と名付けられていましたね」
「あれは……私の意志ではありません。本当は迷惑しているんです」
やはり新聞でアリスの活躍を知っていた。食えない野郎だ。とアリスは心の中で毒づく。
「失礼。私は賞賛を送るのが苦手な質でして。迅速な対応に謝意を述べたまでです」
「はぁ」
「脈をみるという事は何処で覚えたのですか?」
「……医学書です。本を、読むのが好きなので」
適当なはったりが口を突いて出た。医学書なんて触った事すらない。開いた瞬間に欠伸が出てしまうだろう。
「成程。ならば納得ですね……温室に来る前はどちらにいて何をしていましたか?」
来た、とアリスは思った。典型的な取り調べの方法。最初は他愛のない話題から始まり、徐々に内側へ踏み込んでいく。
「タウンゼント夫人と、庭園の端にある小屋にいました。その、手当てをしていただいていたんです」
「手当て?」
「庭園内の遊歩道で転んで手のひらをケガしてしまって」
アリスは私、そそっかしくて。と笑いながら包帯が巻かれた手のひらを見せた。
するとグローヴァーの長身がゆっくりと近づいてきて、アリスは手のひらを見せたままの体勢で身を強張らせる。
大きな手が、包帯を巻いた華奢な手をそっと掴んだ。それは冷徹な男には似合わない、壊れ物を扱うかのような仕草だった。
無言のまま、グローヴァーはじっとアリスの手を見つめる。
予想外の行動に戸惑いながら、アリスは恐る恐る口を開いた。
「……あの?」
「タウンゼント夫人がこれを?」
「ええ。ご本人みずから。とても慣れた様子でいらっしゃいました」
「そうですか。彼女には何か不審な所はありましたか?」
「いいえ。特には」
グローヴァーはタウンゼント夫人を疑っているようだ。この場にいる全員を疑うのは捜査の基本だ。アリスもそれは分かっていた。
「ほう、彼女を疑う事を咎めないのですね。貴女は」
灰銀色の瞳がすう、と細くなる。ただそれだけなのにまるで蛇に睨まれたみたいな気持ちになったが、アリスは負けずに睨み上げる。
「それならば、この場にいる全員が疑われて然るべきでは? 私達も含めてね」
掴まれていた手をするりと外し、アリスは片眉を上げて笑みを浮かべた。その笑い方は、アーサー・バートレット警部補が皮肉を言うときの癖でもあった。
グローヴァーの眉間に一瞬だけ深い溝が出来たのを、アリスは見逃さなかった。
「取り調べはまだなさいます? グローヴァー捜査官」
「いえ、もう結構。ご協力に感謝します。ミス・ガーフィールド」
グローヴァーが頭を下げる。何とか乗り切った。とため息が出そうになるが、顔に出さずに飲み込む。
「一つだけ、忠告を」
去り際にグローヴァーが振り向いて、言った。
「貴女はとても聡明な女性だ。だが、厄介事に首を突っ込むのはやめた方がいい。ご令嬢には非常に危険です」
おそらく老婆心で言ったであろうその言葉は、アリスにとっては非常に反発心を抱かせるものだった。絶対に言うことなど聞くものかと心の中で中指を立てたが、「ご忠告どうも。留意いたします」とお淑やかに頷いた。
「それでは私はこれで……手の怪我、お大事にしてください」
足早に去るグローヴァーの背中を見送り、完全に誰もいなくなった事を確認すると、アリスはテラスの椅子に心底疲れたとばかりにどっかと座った。
「ったく……いちいち疲れる奴だぜ……」
がさり、と背後の茂みが揺れた。
弾かれるように振り返り警戒する。
「旦那! 探しましたよ!」
ようやく現れた見知った顔と声に、アリスは今度こそ安堵のため息を漏らした。
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