好奇心と秘密のアマルガム
その数十分前のこと。
ガーフィールド家の従僕服に身を包んだテディ・シェルビーは、アリスの背から離れ、色とりどりの庭園の植物たちを肴に話に花を咲かせる貴族達をネコの様にすり抜けていた。
小鳥のようにお喋りをする令嬢たちの傍を通る時、その中のピンク色のドレスに同じ色の花飾りを髪に結い上げた気の強そうな令嬢が、テディをチラチラと見つめているのに気づいた。頬は赤らんで、眼は潤んでいる。テディに好意を寄せているのは明らかだった。
テディは飛び切りの笑みを浮かべて片目を瞑ってやった。すると子猫のように目を丸くして、ピンクのドレスの令嬢はきゃ、と小さく黄色い悲鳴を上げる。テディはふ、と鼻を鳴らしてその場を離れる。貴族主催のパーティに潜り込むのは初めてだったが、初心な貴族令嬢の扱いは容易そうだと確信した。
(全く、人使いが荒いのは相変わらずだな)
アーサー・バートレット警部補との腐れ縁は十年近くになるが、彼と出会った事に関しては柄にもなく神に一応感謝している。
スリと盗みを生業にしていたあの掃き溜めのような生活から抜け出させてくれたし、飯のタネになる仕事もある。それに退屈しなかった。
以前、ギャングと大立ち回りを繰り広げた時は本当に死ぬかと思ったが。
しかし傑作なのは破天荒で乱暴で、大酒飲みのむさくるしい大男が何でか分からないが見目麗しい貴族の令嬢になってしまったという事だ。流石にテディもこれは予想していなかった。最初は何の冗談かと思っていたが、話せば話すほど中身はあの鬼警部補で、信じるなという方が無理だった。
裏路地で喰らったパンチはあのごつい拳じゃなくて本当に良かったと思っている。
正直な所、ご令嬢のただの妄言だと突っぱねる事だってできた。だが、そうしなかったのは、テディの享楽的な性格と、好奇心に他ならなかった。
(まぁ、退屈はしないだろうさ。楽しめそうだ)
退屈嫌いの若者は、笑みを深めて琥珀色の眼を細める。
ドレスと燕尾服の海の中をすいすいと泳ぎながら、屋敷の裏手の方へ向かって行った。
屋敷の裏手では、使用人たちが忙しなく動き回っていた。参加者たちに出すレモネードやワイン、ブランデーが即席のテラステーブルの上に並んでいる。シャンパンが足りないと給仕の一人が文句を言いながら屋敷内に入って行った。テディはそれを見ながらレモネードをグラスに注いでいる若いメイドの一人に声を掛けた。
「すまない。ウチのお嬢様が気分を悪くしてね、水と毛布を貸してほしいんだが」
メイドは顔を上げるとテディを見て数回瞬きをしてから口を開いた。
「あら、大変! 今持ってきますわ!」
慌てたようにレモネードのピッチャーを音を立てて置いたメイドにテディは片手を上げる。
「ああ、僕も行くよ。忙しい所を呼び止めてしまったから」
ね?と彼女に微笑むと、メイドは顔を赤らめてこくりと頷いた。
メイドの後について屋敷に入る。屋敷の主の趣味なのか、広い廊下や階段の踊り場など、植物の鉢が至る所に置いてあった。ハーブの寄せ植えのようなものから、葉が一つも無い背の高い花、棘が沢山ある葉っぱのような植物まで多種多様だった。
「この植物は旦那様の趣味かい?」
「どちらかというと、奥様ね。この屋敷も全部奥様の祖父君の頃から受け継いでいるから」
「旦那様は婿養子だったのか?」
「あら、有名な話よ。元は子爵の三男だけど、事業の才能があったとかで」
「僕は知らなかったな」
メイドが廊下の隅のクロゼットの中を開ける。毛布やリネンがぎっしりと詰まっていた。
テディは素早く周りを見渡す。喧騒は聞こえるが、周りには誰もいない。
秘密の話をするには絶好の機会だ。
上の毛布を取ろうと背伸びをするメイドの後ろから、顔を耳元に近づけて囁いた。
「そういう話、興味あるな」
教えて? とびっきりの甘い声で言うとメイドは耳まで真っ赤にさせて振り向いた。彼女は気の毒なくらいに狼狽え、暫く口ごもると、眼を泳がせながら頷いた。
「……じゃあ、ココだけの話ね……大旦那様、奥様の父君が事業に失敗した時、今の旦那様が奥様に一目惚れして、負債を肩代わりしたって噂だけど」
「だけど?」
「奥様のご趣味をあまり良く思っていないみたい。前に怒鳴りながら鉢を割る旦那様を見たって使用人もいたし、お二人の仲は上手くいっていないのかなって……」
「ふうん……」
タウンゼント卿と奥方の仲はあまり良好と言えないらしい。確かに屋敷の中の鉢植えは使用人たちが使う場所に多い。客間や広間などには殆ど置かれていないようだ。
男慣れしていないのか、テディを見つめるメイドは戸惑いと期待に満ちた仕草でもじもじと身体を動かしている。
とは言っても、この若いメイドから得られる情報はもうあまりなさそうだと判断した。
「ねぇ君、名前は?」
「り、リンジー……」
そばかすの浮いた愛らしい白い頬に手を掛ける。そのまま吐息が唇に触れそうなくらいに近づいて。
そのままもう片方の手を伸ばして、彼女の背後にあった毛布を取った。
テディはすい、と身を離すと、リンジーに悪戯っぽく笑いかけた。
「毛布をありがとう。リンジー」
呆気にとられたリンジーを残して、テディはその場を後にする。
廊下を歩きながらあのおっかない警部補に以前バーであきれ顔で言われた事を思い出した。
『お前、今に女に後ろから刺されるんじゃねえか』
何でそんな事を思い出したのかと、テディは可笑しそうに鼻で笑う。
「野郎に殴り殺されるよりはマシだろうが……おっと」
裏口から屋敷を出た所で、猫のような声が聞こえた。屋敷から少し離れた木立の影。見ればタウンゼント家の給仕の男と青いドレス姿の少し年かさの淑女があられもない姿で睦合っている。貴族のパーティだと格式ぶっていても、しょせん本能は抗えないものだとテディは笑った。
その近くの植え込みに給仕の上着が放り投げられているのを見て、テディは音も無く近寄り、その上着を拝借した。
二人はそんな事も知らずに盛り上がっている。気づかれずにその場を離れる事は容易かった。
素早くガーフィールド家の従僕の上着を脱ぐと、給仕服を着こむ。脱いだ上着は毛布に包み、近くの花壇の裏に隠した。
テディは何事もなかったかのように使用人たちがドリンクを用意しているテラスへ戻ると、レモネードのグラスの盆を取り、あたかも元からいるタウンゼント家の給仕という顔で庭園へ戻っていった。
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