ラプンツェルの憂鬱
ーーガーフィールド家の令嬢、またもや大活躍!
ーーまるで探偵小説のような活躍に、令嬢探偵と呼ぶ声も。
ーーだが、その明晰すぎる頭脳と社交界の紳士たちが彼女を花嫁に選ぶかは別問題である。
「もう! なんて無礼な記事なのかしら!」
朝食を終え、優雅な朝のティータイムの中に、クラウディアの憤慨した声が響いた。あまりにも強く握りしめた新聞紙がぐしゃぐしゃになってしまっている。
ちょうどクリームをたっぷり付けたマフィンを大きな口を開けて齧りつこうとしたアリスが、その声に驚いて皿の上にぼとりとマフィンを取り落とした。
そばに控えてたメイド長にじろりと睨まれて、気まずそうに皿の上のマフィンを手に取って小さく口を開けて齧る。たちまち、甘いバターの香りとオレンジの酸味が口の中に広がった。
(そういえば、テディからまだ連絡が無いな……)
オレンジピールが効いた爽やかなマフィンを咀嚼しながら、考えを巡らせる。
アリス・ガーフィールドの姿になっている以上、捜査本部には入ることが出来ない。そこでテディに捜査本部の動向を探ってもらう手筈になっていたのだ。
あのアンゼリカとのひと悶着から一週間。何の音沙汰も無かった。
(昼くらいになったらアイツのヤサにでも行ってみるか)
もぐもぐと小さな口を動かし、そんな事を考える。
大きなマフィンをあっという間に平らげて、口の端についたクリームをぺろりと舐める。
そして、眼を三角にして新聞とにらめっこしている母、クラウディアに遠慮がちに声を掛けた。
「あのお母様……私、昼にちょっと出かけても……?」
すると、新聞から眼を上げたクラウディアが目を丸くしてアリスを見つめた。
「あら、何か用事でも?」
そう言われてアリスは「いえ、その、散歩というか……」と口ごもる。本当のことなど言える筈もない。
「そう……でもダメよ。今日はガーデンパーティーがあるの。タウンゼント卿主催のね」
「あ、ハイ」
がっかりと肩を落とす。勿論心の中でだ。またあの浮世離れした人間達の中で、バカみたいな自慢話や自分語りを笑顔で聞かなければならないのかと思うと今から憂鬱になった。
「タウンゼント卿は軍や警察の高官方と親交がお深いそうよ。もしかしたら貴女を気に入る殿方が来るかもしれないわね」
楽しみだわ。とクラウディアはうきうきと両手を合わせた。娘の嫁入りに心血を注ぐ母の思惑を尻目に、アリスは別の事を考えていた。
「軍や、警察ですか……」
「ええ。きっと素敵な殿方がいらっしゃるわよ! ああ、アリスにはライアン様がいたわね。でも見識を広げるのは良い事よ」
母の言葉の中の聞き捨てならない単語に気づいたアリスが眼を見開く。
「あああの、アイツは、いや、ライアン様はそんなんじゃなくて……」
「まあ! この前はとても良い雰囲気だったのに……! わたくしも全力で応援するわよ!」
「やめてくださいよ、もう……あ! そろそろ部屋へ戻りますね! 日記を書かなきゃならないので!」
まだ何か言いたげなクラウディアの話を遮って、アリスはいそいそとダイニングを後にした。
あの夜の事を思い出すと、何故か顔が熱くなるのは気のせいだと言い聞かせながら。
(どうしたもんかな……)
ぼふん、とふかふかのベッドに仰向けに倒れ込みながら、アリスは悩んでいた。
これ以上パーティやら舞踏会やらに時間を取られたら、【サウスエッジの人喰い狼】の捜査がいつまでたっても出来ない。奴は絶対にアリスが、いや、アーサー自身の手で捕まえなければならないのだ。
せめて、自分のアパートにある手帳や資料を持って来れればいいのだが。
はあ、と溜息を吐いて、天井を見上げる。真っ白で美しい天井。アーサー・バートレットの頃に住んでいたアパートの染みだらけでただの板張りの天井とは雲泥の差だ。
コン。
ベッドの傍の窓から小さな物が当たる音に身を起こす。
窓の外を見ると、新聞配達の鞄を提げた長身の男が小石を弄びながらこちらを見上げて居た。
慌てて窓を開けて、アリスは少し怒った顔で裏庭に立つ男を見下ろした。
「おい、遅ぇぞテディ」
テディはハンチング帽を少し上げて、悪戯っぽくアリスを見る。
「いやぁすいません。ちいと色々手間取っちまって」
どうせ娼館で入り浸っていたのだろうとアリスはジト目で若い男を見ながら、ようやく来た頼みの綱に勢いよくクロゼットの扉を開けた。
クロゼットの奥に隠していた、リネンを割いて縛り繋いだロープを取り出した。
その端をベッドの柵に縛り、窓から投げた。
「今そっちに行く」
「ちょ…ッ! 旦那!」
ロープを握り、窓から身を小鳥の如く躍らせると、テディが慌てたような声を上げた。
二階から即席のリネンのロープをつたって滑り下り、難なく着地するはずだった。
「ぅわっ!!」
地面まであと数フィートほどの所で、傍の楡の木から野鳩が顔面目掛けて飛んできた。驚きに声を上げて眼を瞑ると同時に、ロープを持つ手を緩めてしまったアリスは、そのまま手入れされた芝生の上に強かに背をぶつけるかと思ったのだが、何かが自分の体を受け止めたのを感じた。
恐る恐る眼を開けると、癖の強いブルネットの髪と、少し目尻の下がった甘やかな琥珀色の瞳が心配そうにアリスを見下ろしていた。
アリスは目を何度か瞬かせると、ようやく自分が置かれている状況を思い出して、バツ悪そうに「すまん」と呟いた。
「……ハァ、全く、とんだお姫様だ。心配させねえでくださいよ。旦那」
落っこちて来たお姫様のブロンドの髪にくっついた鳩の羽毛を取ろうとテディが手を伸ばすが、アリスはするりとその腕の中から抜け出してしまった。猫のようにつれないお姫様にテディは苦笑する。
「うるせえな。それで? そっちの首尾はどうだ。奴らは何か掴んだか?」
辺りに人がいないかを確認しながらアリスは声を潜めて問いかける。
「残念ながら何も。捜査本部の方はどうにも外からはガードが固くて難儀してましてね」
「そうか……やはり現場を一から洗うしかねえか……」
苦々しい溜息を吐くアリスに、テディが口を開いた。
「そういえば、旦那の捜査資料は何処にあるんです?」
「ほとんどが俺のデスクの中だよ。私的な捜査メモの手帳はアパートだが、部屋の鍵はデスクん中だ」
「成程……」
「全く。こっちは時間がねえってのに、今日はタウンゼント卿とかいう奴のパーティだとよ。貴族って奴は揃いも揃って暇人なのか」
その名前に、テディが首をひねった。
「タウンゼント卿?……って確か……偉い金持ちでしたよね。軍部や警察にかなり出資してるらしいですよ」
「お前、良く知ってるな」
「伊達に新聞社の使い走りしてるわけじゃないんで。今日の参加者って誰が来るんです?」
クラウディアの言葉を思い出しながら、アリスがテディを見た。
「ああ、確か軍や……警察関係者だ」
「もしかしたら、有益な情報が手に入るかもしれませんね」
「確かに多額の出資者の主催パーティなら高官が多数来てもおかしくは無いからな」
それは非常に魅力的な案だったが、幾つかの懸念事項がアリスを悩ませた。
「だが今の俺じゃあ、奴らから何か聞きだす前にあのおっかない【お母様】に睨まれちまうし、奴らからも警戒もされるだろう。変装でもできればいいんだが……」
そこまで言って、アリスはテディの顔をじっと見つめ、それから爪先から顔を値踏みするように見た。
「よし」
「だ、旦那?」
「お前、一緒にパーティに来い」
ええ!? とテディが素っ頓狂な声を上げる前に、アリスは素早くその口を両手で塞いでいた。
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