ガラクタ山の魔女とモップおばけ

「まだ付いてくるのか?」


 労働者の少年のような格好のアリスの後ろを歩くライアンを振り返って聞いた。


「勿論。どんな格好にせよ淑女を一人で歩かせられません」

「そうかい。まあいいや。けど私の邪魔だけはしないでくれよ」

「心得ておりますとも」


 得意そうに言うライアンに一抹の不安を覚えたが、アリスはホワイトチャペルで一番大きな市場を抜け、幾つかの入り組んだ細い路地を通ってゆく。


「ミス・ガー……いや、アーサー、今度は何処へ行くんです?」


 背の高いライアンが路地に干された洗濯物を避けながら聞いた。


「質屋だ」

「質屋……ですか?」

「ウルスラという偏屈な婆さんが店主でな。rubbish(ゴミ箱)みたいに何でも買うんだ。盗品遺品、犬猫死体、棺桶までな」

「な……なるほど……」


 二人すれ違うのが限界だろう狭い路地を抜けると、少し開けた広場に出た。幾つものあばら屋なのか鉄屑なのか分からない家が立ち並び、その中を楽しそうに子供達が走り回っていた。


「ここは……」

「五番街の端、通称ガラクタ街だ。貴族のお坊ちゃんには縁遠い場所だろうがな」


 ガラクタ街は五番街とテムズ川沿いの工業地帯に挟まれた場所にある。

 常に空気が悪く、誰も住みたがらないが、浮浪者や不法移民たちの巣窟になっている。


「ここは警官も嫌がって近づかない。お前みたいな金持ちそうな人間は特にな」


 そう言ったそばから、小さな子供がライアンの腰にぶつかり、あっという間に懐中時計を掻っ攫って行った。

 ライアンは驚いたと言うように口を開けたまま、既に子供が走り去った後の方向を見つめていた。


「すごい早業だ……」

「ぼやっとしてんな。身ぐるみ全部剥がされちまうぞ」


 アリスは呆れたように彼を見上げて言うが、ライアンはまるで子供のように目をキラキラさせて周りを興味深げに見回している。


「ほら、行くぞ……ったく。子守りしに来たんじゃねぇぞ」

「あっ…待ってくださいミス・ガーフィールド……じゃない、アーサー!」


 さっさと歩いて行ってしまったアリスを、ライアンが慌てて追った。


 そこは、ガラクタの山に半ば埋もれたようなあばら屋で、ガラクタ街でも一際に異彩を放っていた。

 店先なのか判断しづらいが、ゴミ山にまぎれて『rubbish(ゴミ箱)』という汚い字で書かれた看板が立て掛けてある。


 その前で、アリスは臆する事無く声を掛けた。


「よう婆さん。景気はどうだい?」


 ごちゃごちゃとゴミなのか売り物なのか分からないガラクタの山の中から影がぬうっと現れ、アリスをじろりと見つめた。

 鉤のように背が曲がり、同じような鉤鼻の老婆だ。左目は白く濁っていて、お伽噺に出てくる魔女そのものだ。それが森かガラクタの山かの違いではあるが。


「誰だい。お前さんは」

「あ……そうか……この姿じゃ初めてだったな……。ええと、俺は……」


 年端も行かない少年(男装してはいるのだが)が、しかも見目麗しい貴族の青年を連れているとなると、明らか怪しいと言っているようなものである。

 だが、そんな空気をぶち破るかのように、ライアンがアリスの肩を叩いた。


「アーサー、アーサー! 見てください!」


「あ? 何だようるせえなぁ」とアリスがライアンの指差す方に目を向けた時、見た事の無いヘンテコな生き物がそこにいた。


「何だありゃ、モップのバケモンか?」


 真っ白でふわふわなモップの先端に、真っ黒な目と鼻が付いている。それは老婆の後ろの古びたロッキングチェアの上でくつろいでいる。

 それは中国原産のペキニーズという愛玩犬なのだが、犬の種類などとんと知らぬアリスには知る由もなかった。


「ララちゃんですよ!」

「ああ?」

「モリス男爵の奥方が飼っていらっしゃった! ララちゃんです!」


 アリスの屋敷に訪れて、必死な形相で妻の犬を見つけてくれと年嵩の紳士が縋り付いてきたのはよく覚えている。


「ああ! それがそうか! 婆さん、その犬、誰が売って来たんだい?」


 その言葉に、店主ウルスラの片目がぎらりと光った。


「……ここは質屋だよ。銭がなけりゃ他を当たりな」


 アリスはライアンの脇腹を肘で突いてから目配せをした。ライアンがハッとしてポケットからポンド札を数枚出すと、ウルスラの手が素早く札をひったくった。


「ヒッヒ……毎度。ブルネットの女だよ。かなりの美人でね。良いところのメイドだねあれは」

「メイド?」

「ストールからエプロンドレスが見えたからね。まぁあの器量ならメイド仕事だけにしとくには勿体無いがね」


 ヒヒヒ、と笑いながらポンド札を数える老婆を横目に、アリスの脳裏にある人物が思い浮かんだ。


「もしかして、その女って……」


 そう言おうとした時、後ろから新たな客が現れ、その影がアリスの顔にかかった。


「ご機嫌よう。お婆ちゃま。今日も買い取って下さる?」


 糖蜜をさらに甘ったるくしたようなウィスパーボイス。その声には聞き覚えがあった。


「アンゼリカ。やっぱりお前か……」


 脱力したように振り向けば、白い日傘を差して、ブルネットの豊かな髪を背に流した、誰もが振り返るような美女がそこにいた。

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