鬼のいぬ間に

 有り得ない。

 緋村一族の次期頭領、緋村花蓮は目の前で起きた出来事を消化することができなかった。

 彼女達が対峙する業魔は、下級、中級、上級の分類を超越している鬼だ。

 目の前にいる鬼の厄介なところは圧倒的な耐久性にある。

 あらゆる攻撃が通らないのだ。仲間達が様々な攻撃を仕掛けていくが傷一つ与えられない。

 先ほど花蓮が放った炎蛇の術も蔦と拮抗して終わってしまった。

 火力に特化し、今まで無数の業魔を焼き尽くしてきた炎蛇にも耐えるタフネス。しかも、それが蔦という形で地面から生えでて、無数に襲いかかってくる。厄介にもほどがある。

 忍者たちが何もできずに時間を稼いでいるだけな状況に対して、忍者でないはずの桃川不動はどうだ。

 なんの霊力もこもっていない一振りで、蔦を容易く斬り裂いたではないか。


 ――不動くんはパートナーなんです!


 愛染の言葉を思い出す。

 業魔に家族を殺されて天涯孤独の身となった少女。彼女は義理の家族となった花蓮たちにすら心を開くことがなく、ずっと一人で生きていた。

 そんな彼女が初めて選んだ男であれば、あるいは……。


 僅かな望みを桃川不動に託して、花蓮は鬼退治へと挑む。

 不動が残していった切断面はまだ再生していない。

 その部分は恐らく蔦の表面よりも脆いはずだと当たりをつけて、攻撃を加えるが無傷で終わる。

 結局、その切断面に効果的なダメージを与えることもできずに、蔦は再生して花蓮へと襲いかかってきた。


「天才と言うべき、か」


 蔦のうねり一つ一つが当たれば死に至るだろう。それを避けながら思わず呟いた。

 極限まで研鑽された技術だけで、不動は忍者を上回っているのだ。

 もしも彼に霊力があれば、と思わずにはいられない。そうすれば、最強と評される忍者・孔雀をも上回る忍者になっていたかもしれない。

 だが今は仮定の話をしても意味がないだろう。現状の戦力で対処せねばならないのだ。

 迫る蔦を跳んで避け、叫んだ。


「龍よ! 焼き尽くせ!」


 鬼に壊滅させられた猫井戸一族の二の舞になってたまるものか。




    ◆




 愛染を抱きかかえて、不動は鬼から距離を取る。

 木々の合間を抜けながら山の斜面を走っていく。


 ――復讐以上の感情とは何だろうか。


 復讐に全てを捧げる彼女の姿を見て、剣に全てを捧げる自分の姿に似ていると思った。

 誰にも理解されずとも貫こうとする在り方に共感を抱いていた。

 愛染にとっての復讐が、不動にとっての剣である。では、剣にかける想い以上に強い感情とは一体なんなのだろう。


(そんなものあるはずがない)


 剣を極め、【煩悩断ち】という奥義を得ることだけを目標に、あらゆる煩悩を切り捨てて生きてきたのだ。

 剣こそが最も大事なことであった。それ以上のものなど存在しない。

 いや――存在しないはずだった。

 本人としては非常に遺憾なことであったが、一つ思い当たるものがあった。


「この道は……」


 鬼から逃げていると、見知った道にたどり着く。

 かつて蟲と遭遇した際に、愛染が不動を抱っこして小屋へと連れていった道である。

 少し悩んだ後、方向を転換して小屋へと向かった。

 勝手知ったる廃小屋へと入りこみ、愛染を横に寝かす。


「愛染! 起きてくれ、愛染!」


 肩を揺すり、頬を叩く。相変わらず反応は見せない。

 半開きの口からはよだれが垂れていて放心状態だ。


 ――今の愛染は美しくない。


 悪戯っぽく笑ういつもの愛染に戻ってほしい。


「イチかバチかだ」


 一呼吸して目をつぶり、決意を固める。

 そして不動は愛染にキスをした。愛染の口の中に舌をねじ込む。

 驚いた声が聞こえる。愛染が背中を叩いていた。

 どうやら意識が戻ったようだ。


「な、なにしてるんですか……」

「認めよう。お前は美しい」

「えっ」


 再びキスをする。

 愛染は驚いて目を開いていたが、やがて目を閉じて不動に応えていく。

 二人はまるで獣のように互いの情欲をぶつけ合った。

 昔の不動がその姿を見れば嫌悪して蔑むだろう。なんと堕落してしまったことだろうか。

 だが、悪くない。




    ◆




 身体が気怠い。それでいて心地良いような、不思議な感覚だ。

 不動は全裸で腕を広げて仰向けになっていた。


「川流ノ理です」


 桃川流の基礎にして真髄の理だ。

 愛染は不動の二の腕を枕にして、寄り添うように横になっていた。


「『どんぶらこ、どんぶらこ、と川を流れる桃のように』あること。男性が射精した後の状態。いわゆる賢者タイムという時間が、桃川流が理想とする状態なんです」


 体験した今だから分かる。

 全力で声を出し、そして身体をリラックスさせる。練習に組み込まれている発声法は、射精状態を擬似的につくりだそうとするためのものだったのだ。


「大事なのはこれからです」


 生まれたままの姿の愛染は立ち上がり、部屋の隅にあった不動の刀を拾う。

 鞘から抜き出して、剥き身になった刀を両足の間に置いた。


「何をするつもりだ?」

「見ててください」


 彼女は己の股に手を突っ込み、ヌチャヌチャと淫靡な音を立てながら中にある液体を掻き出した。

 赤みがかった半透明の、粘り気をもつ液体は刀へと落ちていく。


「桃川の血を引く男の精液。そして女の愛液。その二つが混ざり合った和合水を使います」


 和合水を十分にかき出した後に刀を拾った。

 中指と薬指の腹の部分を使って、液体を伸ばして刀身に塗りたくっていく。


「和合水が塗られた刀は、忍者が使う霊力とはまた別種の、特殊な霊性を得ます」


 どうぞ、と刀を差し出される。

 立ち上がって受け取って、まじまじと眺める。

 不思議な感覚だ。

 かつての不動であれば、その刀を嫌悪して触れようともしなかっただろう。

 だが、どうしてだろうか。

 愛液と精液の和合水を纏った刀がとても美しいと思えた。元から無駄のない美しい刀であったが、より一層美しく、神々しくなったように感じる。


「理想的な心身状態、極限まで突き詰めた剣技、和合水によって特殊な霊性を得た刀。その全てが合わさったときに振るわれる一刀こそが、あらゆるものを断ち斬る奥義【煩悩断ち】となるのです」


 かつて祖父が生きていたころに【煩悩断ち】の修得方法を尋ねた際、頑なに「お前にはまだ早い」と教えようとしなかった。その理由が今ならば分かる。

 なんと荒唐無稽な話だろうか。

 誰も信じようとしないだろうし、不動自身信じられない。だが己の身体と心が、彼女の言葉は正しいと理解していた。


 ――今の己に斬れぬものは存在しない。


 目をつぶり、意識を集中する。

 鬼がこちらへと向かってきているのを感じ取って目を開いた。


「鬼退治といこうか」

「はい。ですが、先に服を着ませんか」

「……確かにそうだな」

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