夜の来訪者
しばらく廃寺で待っていたが愛染は現れず、いったん自宅へと戻ることにした。
自宅は昔ながらの和風の家だ。周囲の一般的な一軒家と比べると敷地が広く、ちょっとした屋敷のように見えるかもしれない。
その屋敷に一人で暮らしている。部屋はいくつもあるが、そのほとんどは使っていない。
利用するのは自分の部屋とリビングと水回り、そして離れた場所に併設されている道場ぐらいだ。
(とりあえず晩ごはんを食べるか)
腹が減っては戦はできぬ。まずは腹ごしらえをして、それからまたあの廃寺へと戻って愛染を待つことにした。
今夜の計画をたてながら台所にある冷蔵庫の扉を開く。
庫内に食材はなかった。ペットボトルのお茶と牛乳パックが置いてあるぐらいで、ほとんどすっからかんだ。
本来は昨日の夜、山での修行を終えた後に食材をそろえるつもりだったのだが、謎の蟲と少女の出現によって白紙になっていた。
一人暮らしをしているため、ある程度の生活力はある。料理もできるし、なるべく自炊することを心掛けている。
身体は資本であり、それは普段の食事から作られるからだ。
(スーパーに買い出しに行こう)
ジャージに着替えて準備をする。
いざ外に出ようと玄関で靴を履いていたとき、チャイムが鳴った。
(誰だろうか?)
特に荷物が届く予定はなかったはずだ。
こんな時間に訪問する知り合いに心当たりはない。
引き戸タイプの玄関扉を開く。
少し離れた場所にある門の付近に人影はなかった。
ピンポンダッシュでもされたのだろうか。不審に思いながら外に出て正門へと向かう。
(誰もいない……?)
やはり悪戯だったのか。嘆息していったん家に戻ろうとして、背後から声が聞こえた。
「やっほー」
その声に驚いて慌てて振り返る。
周囲には誰もいなかったはずだ。いったいどこから現れたのか。
この心をかき乱すような声の持ち主の正体は明らかだ。
「犬山愛染……」
彼女は左手にビニール袋を提げながら、右手をふりふりと振っている。
「愛染って呼んでください」
ニッと笑う姿は非常に可愛らしい。昨日は忍者装束を身にまとっていたため、非日常な感覚があり、愛染がどこか遠いところにいるような気がしたが、今は普通の私服だ。
上はパーカーで下は短パンと動きやすそうなラフな恰好をしており、親しみやすさを感じる。明るい彼女には忍者の姿よりも今の姿の方が似合っているように思う。
「なんのつもりだ?」
「あ、あれ……? お呼びじゃなかったですか?」
家にやってきたことに対する警戒心や、必ず【煩悩断ち】のことを聞き出してみせるという気負いが態度に出ていたのだろう。愛染が困惑している。
「いきなりで驚いただけだ。その袋はなんだ?」
「カレーの材料です!」
「……そうか」
ビニール袋を持ち上げながらカレーの材料だと語る。
反応に困った。なぜ家にわざわざ持ってきたのだろうか。
そんな困惑を知ってか知らずか、彼女は自信満々に宣言した。
「私が不動くんにカレーを振舞います!」
「……は?」
意味が分からなかった。
「晩ごはんまだですよね? 冷蔵庫には何もなかったから今から買いに行くんですよね?」
「……なぜ知っている?」
「忍者ですから」
そういうものなのだと納得してしまうほどに堂々と言い放つ。不思議な説得力があった。
「なので私がカレーをご馳走しましょう」
「お、おい!」
制止も気にせず、愛染は家へと上がり込む。まるで勝手知ったる我が家とでも言わんばかりに確かな足取りで台所へと向かった。
「料理の腕には自信がありますから、期待していてくださいね」
彼女がカレーを作ることは既定事項のようだ。
実際、晩ごはんを用意する必要があったのは事実だ。作ってくれるというのなら甘えてもいいかもしれない。
軽くため息をつきながら、「勝手にしろ」とぶっきらぼうにカレー作りを許可する。
「ありがとうございます!」
彼女は嬉しそうに礼を言った後、おもむろにパーカーのチャックを下げた。
もちろんその下に白いTシャツは着ていたのだが、目の前での脱衣行為にドキッとさせられてしまう。
しかも生地の薄いTシャツ姿になったことで、その体型がよく分かる。具体的に言えば、彼女の胸の大きさがより一層強調された。
「どこかに掛けておいてもらえますか?」
パーカーを受け取りながらも、視線は彼女の胸に釘付けだった。
「あ、これ、変でしたか……?」
変なTシャツだと思われていると勘違いしたのか、シャツを掴みながら恥ずかしそうにしている。
「えと、気負わせないようにラフな服装で来たので、ちょっと子どもっぽいかもですが、私だって本気を出せばもっとお洒落さんにはなれますからね!」
焦ったように言い訳をしている。
ゴテゴテと着飾った服装よりも、シンプルな服装の方が好きなので、むしろ彼女のチョイスは正解だと思う。
「別に変じゃないが、ずいぶんと不細工な犬だな」
Tシャツにはデフォルメされた犬の顔が描かれている。
不細工なデブ犬だ。
「えっ!? 不動くんから見て私ってそんなに不細工なんですか!?」
「……は?」
話に脈絡がない。
不動は不細工な犬だと言ったのだ。Tシャツの柄について触れただけで、愛染の容姿にはなんら触れていない。
「あー、普段犬と呼ばれることもあるので、つい」
「……それは大丈夫なのか?」
「私の苗字って犬山じゃないですか? それで犬って呼ばれることがあるだけですよ」
彼女は犬呼ばわりされているらしい。
当然ながら、あまりいい意味で使われてはいないだろう。
触れてほしくはなさそうだったため、Tシャツの柄に話題を戻す。
「俺が不細工だって言ったのはそのTシャツの犬のことだ」
「この犬の可愛さが分からないんですか?」
「太っているし、目と目も離れていて可愛いとは思えないが。ブサカワというやつなのか?」
「あぁ、それは私の胸が原因ですね。本当はもっと可愛いですよ」
愛染が両腕をクロスさせながらTシャツの裾を掴む。
その動作には見覚えがあった。この後の行動が予測できてしまい、慌てて腕を抑えて止めに入る。
「ちょ、ちょっと待て!」
「なんですか?」
「ろくに知らない男の前でいきなり裸になるやつがあるか!」
愛染はよく知ってますよと文句を言いながらも腕を下ろした。
いきなり脱ぐことは止めてくれたようだ。ホッと一息をつく。
(全く、なんて女だ)
愛染のことが全く理解できなかった。
ガチガチの貞操観念をもつ不動にとって、彼女の行動はあり得ないものだ。
「男の前で簡単に裸になるのは止めろ。破廉恥だぞ」
「簡単じゃありません」
「だがお前は誰にだってすぐに裸を見せる――」
「違います」
言葉を遮るようにして否定した。
「こんなこと不動くんにしかしませんよ」
彼女の顔は真剣だった。
嘘や冗談を言っている様子はない。
不動以外には裸を見せないと本気で告げているのだ。
「何故だ?」
「まぁまぁ、そんなことよりもまずは腹ごしらえをしましょうよ」
そう言いながら、彼女はビニール袋からエプロンを取り出した。
エプロンにもデフォルメされた犬がプリントされている。
恐らく同じキャラクター犬なのだろう。
着用前のエプロンに描かれている犬は、巨乳による変形がないため、確かに可愛らしいものだと思った。
わざわざTシャツを脱がずとも、最初からこのエプロンを見せれば良かっただろうに。
「はぁ……」
思わずため息をついた。
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