鬼
愛染は思いつく限りの攻撃を試してみたが業魔になに一つダメージを与えることができなかった。
(これが、鬼ですか……)
耐久性が高いことがいかに厄介であるかを痛感していた。
愛染の、いや、犬山一族の戦闘スタイルは速さと手数で勝負するものだ。
より多くの業魔を狩るにはその方が都合が良い。
だが一方で緋村一族が追求している単純な火力もまた、ときに重要である。特に強い個体を相手取る場合には必須だろう。
そして【煩悩断ち】はあらゆるものを斬るという究極的な火力をもつ技だ。桃川流の奥義を使えば、この硬すぎる鬼も倒せただろう。
(未練ですね)
愛染は自嘲する。
気高く美しい剣士の誇りを踏みにじった身だ。彼に復讐の手助けを求めることはおこがましいだろう。
でもせめて命だけは救ってみせる。それがせめてもの償いだ。
――この命にかえてでも、必ず。
覚悟を決めた愛染は、蔦の襲来を回避しながら己の精神防壁を解除した。
これは他の忍者からすれば常軌を逸した行動である。
目の前に泥棒が前にいるのに、扉も金庫の鍵も開ける者がどこにいるだろう。
だが愛染は無防備な心で、不動を囲う檻へと身を放り投げた。
蔦に絡みとられてゆっくりと吸い込まれていく。
愛染は精神防壁を解除することで、業魔に敵ではなく獲物であると認識させることで檻の中へと取り込まれることを狙ったのだ。
二度と戻ってはこれないかもしれない暴挙である。
剥き出しになった心を業魔に侵されながら、それでも不動に手を伸ばした。
「不動くん! 手を伸ばしてください!」
◆
「手を伸ばしてください!」
彼女の声が確かに聞こえた。幻聴ではない。
靄がかった意識がクリアになっていく。
言葉に従って手を伸ばすと指先が何かに触れた。
(この感触、愛染の手だ!)
二度と離すものかと指を絡めて手を繋ぐ。
恋人のように手を繋ぐことで愛染を近くに感じ、冷えきった心が温かくなる。
愛染が転移の術を使う際の呪文が聞こえたかと思うと、視界が開けて身体が空中へと放り出される。
突然変化した状況、咄嗟に愛染を抱き寄せて、不動が下になる形で地面へと落下した。
「助けてくれて、ありがとう」
愛染を拒み、傷付けてしまったにもかかわらず、彼女はおぞましい業魔から救い出してくれたのだ。
彼女の重みを感じながら抱きしめる。
「不動、くん」
弱々しい声で不動を呼ぶ。
「鬼が、来る前に、逃げて、ください……」
愛染の身体から力が抜けた。
不審に思い、両肩を押して持ち上げる。
紫眼の瞳孔が開きっぱなしだった。焦点が合っていない。
「おい、愛染!」
「ぁ、うぁ」
半開きの口から呻き声が漏れ出ている。
彼女の頬を手で何度か叩く。何の反応も返さない。意識を失っているようだ。
一体どうして、と愛染の身体を強く抱き寄せる。
(濡れている?)
忍者服が濡れて、湿っていることに気がついた。
鼻を近づけて臭いを嗅げば、業魔が発する甘い臭いがした。
「俺を助けたせいか……。本当に、馬鹿なやつだ」
大事そうに愛染の頭を抱えて、己の胸元で抱きしめて目をつむった。
不動の口元には笑みが浮かんでいる。
無力な自分に対する苛立ちがある一方で、愛染が己のために身を投げ打ってくれたことに対する喜びも感じていた。
「ッ!」
不動の優れた感覚が業魔の接近を感じとる。
周囲に目を配れば、愛刀が地面に直立して突き刺さっていた。不動に抜かれることを今か今かと待っているようだ。
愛染が意図して刀の元に転移したのだろうか、それとも偶然だろうか。
いずれにせよ、やるべきことは決まっている。
(俺が、この少女を守るのだ)
不動は忍者ではない。剣を振るうことしか能のない剣士だ。
業魔を滅するための霊力を扱うことができず、業魔を斬り裂いたところで、すぐに復活してしまう。
不動には業魔を倒すことができない。
(だが、それでも、愛染を守ることはできる!)
愛染を左手で抱えながら立ち上がり、刀を右手で抜き取った。
業魔によって敏感になった肌が、動いて擦れる度に快感の悲鳴をあげる。
現状、快楽から逃れる術はない。
抵抗しようとすればするほどに力みが生じてしまう。
ならば――。
「はぁぁッ!」
腹に力を込めて息を吐き出す。肺にある空気を全て吐き出さんばかりに深く、深く息を吐き出した。
(快楽を拒むのではない。受け入れるのだ)
剣士としての誇りも、掲げてきた理想も、今はどうでもいい。
愛染を守りたい。その一心だった。
背後から蔦が猛スピードで急襲する。
常人では対処できない不意打ちだが、不動はまともではない。
ほんのわずかに身を捻って避けたかと思えば、その体重移動の力を利用して、蔦を斬り裂いた。
先端側の蔦が土の上に落ち、本体側の蔦は暴れ回った。
(ゆっくりしている暇はない)
どれだけ鮮やかに斬ったところで、すぐに再生してしまう。
再生のために要するわずかな時間を利用して業魔から距離を取るのだ。
山の斜面を、愛染を片手に抱えながら走って下る。
凸凹とした斜面、木の根や岩に足を取られないように気をつけながら、全速力で下っていく。
わずかに距離を稼げたかと思えば、復活した業魔がすぐさま襲いかかる。
同時に迫る何本もの蔦を斬り落としては、また山を下る。
斬っては走り、斬っては走る。その繰り返しだ。
劣悪なコンディションでなお、不動の剣技はかつてないほどに冴え渡っていた。
だが――。
「さすがに辛い、な」
放心状態で呻く愛染に負担をかけないようにしながらも、何度も曲芸じみた動きを繰り返しているのだ。
身体に疲労が蓄積されていき、全身が鉛のように重たくなる。
「龍よ、焼き尽くせ!」
赤い大蛇が、木々の隙間をぬいながら飛来した。
(あれは、確か炎蛇の術といったか)
大蛇は蔦と衝突し拮抗し、やがて蔦を弾き飛ばした。
その様子を見て一息つきながら、己が汗だくであることに気付いて額の汗を拭う。
不動は彼らの存在を感知していたため、そちらに向かって逃げていたのだ。
餅は餅屋、業魔は忍者である。
「あれは私たちがなんとかする」
緋村花蓮が愛染の顔をのぞき込みながら言う。
彼女の一族の忍者たちが、鬼に攻撃をしかけていく。
木の枝の上から投擲する者、地面を這うように迫り近接攻撃をしかける者。鬼の注意は彼らへと向かう。
「愛染は大丈夫なのか!?」
「今すぐ死ぬようなものではないけど、安心できる状態でもない」
「なっ!?」
「業魔に対抗するために、忍者は霊力による精神防壁を構築している。だが愛染は意図的にそれを解除したようだ。心が剥き出しになってしまえば、業魔に侵入されて業に囚われてしまう」
花蓮が愛染のまぶたを指で上下に開き、その眼をのぞき込む。
そして苦々しく呟いた。
「恐らく復讐の幻覚を見せられている」
「どうすれば助けられる」
「今は無理ね。あなたは彼女を連れて逃げなさい。あの業魔を倒すまで、離れた場所で安静にしてて」
有無を言わさぬ口調だ。
業魔狩りのプロフェッショナルである忍者たちが来た以上、不動にできることは何もない。
刀を握る右手に力がこもる。
その場で深呼吸をして、「分かった」と頷き、愛染を抱えて走り去る。
逃げ出すことは許さないとばかりに一本の蔦が襲いかかった。
「邪魔をするな!」
不動の剣技の前に、鋼鉄よりも硬い蔦は、容易く斬り落とされる。
「嘘、でしょ」
傍で見ていた花蓮が呆然としている。
すぐに我に返り、不動を呼ぶ。
「待ちなさい、桃川不動!」
「なんだ」
「愛染は復讐に囚われている。なら、それ以上の感情を与えてやればいい!」
そう言って、花蓮は鬼のいるところへ向かっていった。
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