秘剣・煩悩断ち
愛染を伴って、不動は小屋の外へと出た。
小屋の周囲は伐採しているのか、少し開けた空間となっている。
太陽を遮っていた雲が晴れ、日が差し込む。
眩しくなって左手で光を遮った。
白い胴着、黒い袴を身につけ、右手に刀を持ちながらゆっくりと歩く。
心身ともに最高の状態だ。
何が相手でも怖くない。たとえ忍者たちですら手に負えぬ業魔、鬼であろうと。
「逃げなさい、鬼が来る」
満身創痍の花蓮がそばに降り立つ。身にまとった忍者服はボロボロになっていた。背中側は大きく布が破れていて肌が露わになっている。
「俺が鬼を斬る」
相当な激戦だったのだろう。肩で息をしていた彼女は、自信満々な不動を否定する。
「確かに剣の腕は認める。でも、忍者でない以上どれだけ斬っても意味がない」
「いや、今の俺なら斬れる」
「不動くんならできますよ、花蓮さん」
二人に真っ直ぐと見つめられて、花蓮は目をそらした。
「どの道、他の方法が残されている訳でもない、か」
花蓮は半ば自暴自棄にため息をついて頷き、不動たちを手伝うと進言する。
「手出しは無用だ」
和合水が塗られた刀を持ちながら、小屋の前のひらけた場所の丁度真ん中付近で立ち止まって構えた。
視線の先、木々の向こうから鬼が現れる。
鬼は勝ち誇った笑みを浮かべていた。地面から蔦が生えて襲いかかる。
一呼吸。そして一振り。
何度も繰り返してきたように、蔦を斬り落とした。
「はぁ!?」
後ろで花蓮が驚きの声をあげている。
まるで忍者が業魔を滅したときと同じように、斬った蔦が跡形もなく消失した。霊力を持たない不動の攻撃が、一本の蔦をまるごと滅したのだ。
初めてダメージを負った鬼が一瞬固まったかと思えば、憤怒の表情になり、無数の蔦を不動に向ける。
かつて不動の父が語っていた言葉がある。
――【不動】という名は桃川の極意に通じている。だが勘違いするな。動かざること、それは土深く根を張って川の流れに逆らい、その場に留まることではない。川を流れる桃のように、あるがままであることだ。
直撃すれば死をまねく恐ろしき蔦の連打を物ともせず、時に斬り、時に避けながら、するすると前へと進み、鬼との距離をつめていく。
無数にあった蔦は、不動が斬る度にその数を減らしていき、既に数本を残すばかりとなっていた。
鬼の本体が不動の間合いに入ろうかというところで、鬼は顔を歪めて後ずさった。
圧倒的な耐久性で無敵を誇ってきた鬼が初めて恐怖を見せたのだ。
緑の巨人の姿をした鬼と、人間の不動。単純な生物としての強さは圧倒的に鬼が上回っている。
だが不動は剣の極みに達することで、鬼をも越える強さを得ていた。
「恐れを拒むな」
不動が優しく諭すように言う。
己の感情を拒めば、そこに歪みが生じる。抗うのではなく受け入れることが大事なのだ。
煩悩を拒み続けていた不動は、煩悩を受け入れた。
あるがままに、自然体に。それがたどり着いた答えだ。
「ガッ、ガガッ!?」
鬼が悲鳴をあげて逃げ出す。
だが、まるで瞬間移動でもしたかのように距離をつめ、鬼の前へと回り込んだ。
「己を受け入れろ」
不動の剣が鬼を斬り裂き、猛威を振るった鬼は呆気なく消滅した。
「桃川流奥義『秘剣・煩悩断ち』」
奥義の名を呟き、刀をおさめた。
――【煩悩断ち】とは煩悩を断つことで、あらゆるものを斬る剣ではない。
――煩悩をもってして、あらゆるものを断ち斬る剣である。
◆
「なんだ、あれは」
緋村花蓮は目にした光景を信じられなかった。見間違いだろうと目を何度擦っても、摩訶不思議な現実に変化はない。
「あの男は忍者ではないはずだ」
現に今も彼からは霊力を感じない。手に持っている刀にも霊力は宿っていない。
「特殊な条件下でのみ可能となる、彼の剣術流派の奥義【秘剣・煩悩断ち】。それはあらゆるものを斬り裂きます」
業魔ですらも、と愛染がうっとりと不動を見つめながら言った。
デタラメだ。
花蓮が今まで忍者として培ってきた常識と合致しない。業魔はただの物理現象では決して倒すことができないはずなのだ。
だが結果こそが何よりも雄弁だ。
緋村一族総出で手も足も出なかった鬼を、ただ一人の剣士が滅ぼしたのだ。
「あぁ、なんと美しいんでしょう」
恍惚状態の愛染が女の香りを漂わせている。
まだまだ小さいと思っていた義妹の見せる艶やかな姿だ。紫色の瞳を向けられている男、桃川不動の存在が憎らしい。
だが同時に花蓮もまた、彼の剣を美しいと見惚れてしまう。
忍者として剣術の鍛錬もつんでおり、花蓮はかなりの遣い手である。だからこそ、不動がどれだけの極致にいるのかを肌で感じとることができた。
思わず唾をのみ込む。
「寒気がしてきた」
時に美しいものは、見るものに恐怖を与える。
洗練され、極まった剣技。見ているだけでも心が吸い込まれていきそうだ。
「そうですか? 私は身体が熱くなってきました」
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