帰路

 緋村一族の屋敷から帰る道中、登下校で通っている桜並木にたどり着く。 桜はいつのまにか満開になっているようだ。

 夜の桜。そこには不思議な雰囲気がある。

 そんな夜桜に影響されたのか愛染の様子もいつもと違っていた。やんちゃな悪戯っ子の姿は鳴りを潜めて顔に影が差している。

 憂いを帯びた愛染の横顔に見とれて思わずこぼす。


「綺麗だ」

「え? 今、なんて言ったんですか?」

「……なんでもない」

「なんて言ったんですか? ねぇ、なんて言ったんですか?」


 愛染がぴょんぴょんと跳ねている。

 小さな少女の動きに苦笑した。

 不思議なものだ。

 こんなチンチクリンの少女が不動の剣を信じてくれたお陰で、いくぶんか自信を取り戻せたのだから。


「ありがとう」

「なんですか、突然」

「どれだけ挑戦しても業魔を斬れなかった。はっきり言ってショックだったよ。それでも愛染が俺を信じてくれたから、また剣を振れる」

「いやぁ、照れますねぇ。ぬふふ」


 すっかりご機嫌になった愛染が鼻歌を口ずさみながら軽やかに先を行く。


「愛染」


 スキップしていた愛染を呼び止めた。こちらに背を向けたまま止まる。

 肌寒い風が吹き、二人の間に夜桜が舞った。


「目的は、なんだ」


 今の愛染はどんな表情をしているのだろうか。背中越しでは分からない。その背中はいつもより小さく見えた。

 桜の木を見上げながら、愛染は言う。


「聞かないでくれている、と思っていました」

「興味がなかっただけだ」

「そ、それはそれでショックです」


 愛染が大げさにずっこける。


「でも今は」


 愛染が何らかの目的を持って不動に近づいたことは分かっている。だが【煩悩断ち】を得られるのであれば、どうでも良かった。愛染の目的など関係がないはずだった。

 それなのに――。


「愛染のことをもっと知りたくなった」

「ぴぎゃっ」


 愛染は前を向いたまま奇声をあげて固まった。

 耳が真っ赤に染まっている。


「ずるいです」


 真っ赤な顔で頬を膨らませながら彼女は身体ごと振り向いた。

 互いに見つめ合って、愛染は苦笑した。


「復讐ですよ」


 彼女は桜の花びらを手で受け止める。

 そのてのひらを見つめながら、丁度今ぐらいの時期でした、と話を続けた。


「家族が業魔に殺されたんです」


 愛染の顔から表情が消えて、淡々と語る。


「業魔は強さや脅威の大きさによって、下級、中級、上級の枠組に分けられています。ですが、ときにその枠を越える最悪の業魔が発生します。その枠外の存在を、忍者は鬼と呼んでいます。その鬼の一体に家族が殺されたんです」

「鬼、か」

「恐らく鬼は、わたしにも、花蓮さん達にも倒せないでしょう」

「なぜだ?」

「単純に力不足ですよ。わたしたちの限りある霊力で、鬼という常識外の存在を滅しきれないんです」

「だが【煩悩断ち】なら鬼を斬れる。そういうことか?」

「はい。わたしは鬼の存在が許せません。鬼を滅ぼすために、復讐のために、不動くんを利用しようとしてるんですよ」


 自分自身を責めるような笑みを浮かべて言った。


「軽蔑しますよね」

「いや、尊敬するよ」

「えっ?」


 心からそう思った。

 愛染と出会ったとき、くのいちとして房中術にも秀でている、性的なことも簡単に行える女なのだと思っていた。

 だが何度も彼女の悪戯を受ける内に、それは違うのだということに何となく気付き始めていた。

 不動には性的な経験がないし、直接聞いた訳ではないので断言はできないが、おそらく愛染は男を知らない。本来の彼女は初心な少女なのだ。

 そんな彼女が復讐に利用するという理由があるとはいえ、無骨な男に近づいて、身体を許すような真似をすることは辛かっただろう。苦しかっただろう。屈辱だっただろう。

 それでも彼女は折れなかった。


「復讐なんて意味がない、とか、復讐は止めろ、とか言わないんですか?」


 愛染がおずおずと、脅えるように不動を見上げた。

 きっと色んな人に復讐を否定されてきたのだろう。


「言うものか」


 ――剣がなんの役に立つ。

 ――良い大学を出て、良い会社に入りなさい。


 ひたすら剣に打ち込むことを誰にも理解されなかった。

 そんな彼だからこそ、愛染の気持ちが良く分かる。


「復讐したいと心が叫んでいるんだろ?」


 愛染が胸をぎゅっと抱きしめるようにしながら無言で頷いた。

 いつも天真爛漫だった少女の悲痛な姿だ。見ているだけで苦しくなってしまう。


「その心もお前自身のものだ。自分自身を裏切るな」

「……復讐、手伝ってくれるんですか?」

「あぁ。俺がお前の刀になる」


 突然、愛染が力が抜けたように座り込んでその場で泣き始めた。

 わんわん、と子供のように声をあげて泣いている。


「お、おい! 泣くヤツがあるか」

「だって、だってぇ」

「ったく、子どもみたいだな」

「えぐっ、十八さい、ですよぉ」」


 強い少女だ。

 彼女を抱き寄せて、少しでも気が楽になればいいと頭をぽんぽんと叩いた。

 しばらく泣き叫んだことで落ち着いたのか、愛染が目をこすりながら頼み事をしてくる。


「一つ、お願いがあるんですけど」

「なんだ?」

「デートしませんか? 復讐も【煩悩断ち】も関係ない、ただのデートを」

「なぜだ?」

「憧れなんです。好きな人と一緒にデートをすることが」


 デート。軟弱な行為だ。

 世にはびこる猿どもとは違って、そんなことにうつつを抜かす暇はない。

 剣の修行の方が遥かに大事である。

 不動には無縁のものだ。


「ダメ、ですか?」


 復讐に全てを捧げる少女の、ほんのささやかな憧れだ。

 協力したいと不動は思った。

 願わくば、愛染の苦しみを、少しでも軽くするために。


「一回だけだぞ」

「はい!」

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