忍者の世界

「忍者の世界を見せてやろう」


 花蓮に肩を掴まれたかと思えば世界が変化した。

 夜中の住宅地。街灯に照らされて浮かびあがるのは、黒装束を身にまとった複数の男女だ。

 塀の上、木の枝の上、屋根の上、電柱の上。様々な場所に黒い人影が浮かぶ。

 辺りは静まり返っている。

 忍者たち以外の人々の気配が感じられないし、普段は聞こえてくるはずの野良猫たちの鳴き声も今はない。

 不自然なまでの静寂だった。


「なんだ、ここは? 人が、生き物が消えた?」

「ほう、そこまで分かるか。我々忍者はここを忍界と呼んでいる」

「忍界?」

「そもそも業魔と戦って誰にもバレないと思うか? 相手にもよるが戦闘はかなり激しくなる」

「忍者だからなんとかするんだろう?」

「隠密行動を心がけているし記憶を操作する術もあるが、それでも限界はある」


 現代社会は人類総監視社会だ、と倫理の授業で教師が熱心に語っていた。

 不動は所持していないが、ほとんどの人間がスマートフォンを所持している。

 なにか異変があれば、すぐにスマートフォンの写真で撮影し、それがネットに拡散される。

 化け物と忍者の激しい戦闘がすぐに公のものとなってもおかしくはない。

 だが不動は忍者や業魔が実在することなど聞いたこともなかった。


「我々は人々が感知することのできない裏側の世界で戦っている」


 忍者とは文字通り、忍ぶ者だ。

 彼らは誰からの称賛を受けることもなく、人知れず業魔という怪物と戦っている。

 ずっと昔から、人々を守り続けてきたのだろう。


「これが忍者の生きる世界だ。君と重なることはない」

「俺は諦めない」

「強情だな君も。まぁ今は我々忍者の狩りを見せてあげよう」


 忍者たちによる上級業魔の討伐を見学することになった。


「っ!」


 忍者たち以外の何かが闇夜を蠢いている気がして、思わず刀に手を添える。

 愛染が制止するようにその手を抑えた。


「不動くんはわたしが守りますよ」


 屈辱だった。

 幼き少女に守られるなど、不動の沽券に関わることだ。むしろ剣士として、不動が彼女を守るべきなのだ。

 だが、こと業魔に関しては愛染に遙かに劣っている。

 緋村花蓮が用意した毛玉、見習い忍者の練習用として使われている業魔を倒すことができなかった。何度斬っても毛玉は復活してしまう。業魔に対して無力であることを改めて思い知らされた。

 鞘を握る手が力む。

 不甲斐ない己は、少女に守られるのがお似合いなのだろうか。


「悔しいと思います。ですが今は、花蓮さんの戦いを見てください。炎蛇使いの一族、その本気の戦いを」

「炎蛇使い?」

「忍者には様々な一族があります。一族ごとに得意とする術が違うんです。緋村は火に関する術に秀でていて、彼らが使用する炎蛇の術は、火力に関しては忍者随一と言われています」

「じゃぁ愛染の一族は転移の術が得意ってことか」

「はい。そうでした」


 過去形の返答に疑問が生じた。

 だが不動が問うよりも先に事態が急変する。


「来るぞ!」


 忍者の一人が緊迫した声を出す。

 その若い男の背後から獣が姿を現した。街灯の光を浴びて全容が明らかになる。

 四肢を持ち、赤黒い毛で覆われた巨大な狼だ。

 狼は男の後ろを追って駆ける。三、四メートルはありそうな街灯のランプをうっとうしそうにかみ砕く。


 周辺が暗闇に覆われた。

 狼は男に追いつき、闇の中でなお禍々しく光る白い爪で襲った。

 男はギリギリのところで爪を転がって避ける。空振りに終わった爪は、その勢いのまま民家を囲うコンクリートの塀をえぐり取った。

 もしも男に直撃していたら、一瞬でその命を刈り取っていただろう。

 だが男は動揺を少しも見せず転がりながら指で印を結ぶ。

 忍者にとって回避行動は避けるだけを意味しない。次の一手に向けた準備行動も兼ねている。


「食らえ!」


 男の指先を起点にして赤い光がはじけるように広がった。

 離れて見ている不動ですら眩しいと感じるほどの光だ。

 至近距離で直撃する狼はたまったものではないだろう。目がくらんでうめき声をあげている。


「下がれ!」


 ヤクザ風の男が叫び、その声に合わせて若い男は跳んだ。

 五人の忍者が一斉にクナイを投げる。

 クナイは狼を囲むようにして、アスファルトで舗装された道路に突き刺さった。


「ハッ!」


 五つのクナイが赤い線で結ばれて星を描く。

 光のショックから立ち直った狼が忍者たちに襲いかかろうとした。


「ガゥゥ?」


 狼は結界に阻まれて困惑の鳴き声をあげる。

 コンクリートブロックを容易く破壊する爪で、見えない壁を壊そうとするがびくともしない。


「ご苦労」


 結界の中で狼が怒りの咆哮をあげて暴れている。その傍らで、花蓮が皆をねぎらいながら歩み出た。

 忍者装束を身にまとった彼女は目をつむる。

 空気が変わったように思えた。

 全裸で喚いていたときとはまるで違う。一族を率いる者としての威厳があった。

 まるで彼女が主役の舞台でも見ているかのようだ。

 花蓮は目を開きながら狼へと右手を突き出して、


「龍よ、焼きつくせ!」


 炎で形作られた蛇が現れた。炎の蛇は胴体を伸ばしながら猛スピードで狼へと向かう。

 蛇の頭が結界をすり抜け、顎を開き、巨大な狼に食らいついた。

 狼は悲鳴をあげたかと思えば、塵一つ残らず跡形もなく消滅した。


「あれが炎蛇の術です」

「龍って言ってなかったか?」

「蛇です」

「まぁ、龍と蛇は関係が深いしな」

「そういうことです」


 有無を言わせぬ口調に頷くしかなかった。

 毛玉は下級、蟲は中級の業魔で、狼は上級業魔だ。

 不動は下級の毛玉すら倒せない。だが花蓮は上級業魔を一撃で葬った。

 まるで次元が違う。


「これが忍者の世界だ。忍者ではない君では愛染の力になれない」


 討伐を終えた花蓮が近づいてきた。

 不動は何も言い返せず、無力感にうちひしがれた。両手を握りしめて地面に目を落とした。


「俺は……」


 剣士に必要なものは言葉ではない。結果で証明するのみだ。だが業魔に対して何の結果も残せていない。

 斬れない剣士に何の価値があるのだろうか。

 今まで積み重ねてきた研鑽は無駄だったのだろうか。


「花蓮さん」

「お姉ちゃんと呼んでくれたまえ」

「不動くんは花蓮さんより強いですよ」

「いくら妹といえど許せない冗談だな」

「戦えば分かります」

「愛染……」


 不動は驚いて顔を上げる。


(今までの醜態を見ていたはずなのにどうして)


 愛染と目が合う。彼女は頷いた。

 ぱっちりとした瞳には一切の曇りがない。


(俺を信じてくれている……)


 落ち込んでいた不動の心が温かくなる。

 不動の剣を信じてくれた者は今までいなかった。

 学校の先生は剣を極めるという曖昧な進路を希望する不動を否定する。クラスメイトたちは剣一筋の不動を、『サムライくん』などと呼んで冷やかしている。

 誰にも理解されず、一心不乱に剣に打ち込み続けていた。


「愛染」


 両肩を掴む。

 華奢な身体だ。あれほどの体術を使う力がどこに潜んでいるのだろうか。


(もっと知りたい)


 愛染のことを、その全てを知りたいという欲が芽生えた。

 剣にしか興味がなかった不動が初めて女性に、いや、初めて誰かに興味を抱いた瞬間と言える。


「不動くん」


 愛染は全てを委ねるように大きな二つの瞳を閉じた。

 くりっとした長い睫毛が不動を誘惑する。

 初めて知る熱に浮かされながら、愛染を抱き寄せて、そのまま顔を近づけていくと、


「だぁああああ!」


 花蓮が身体を割り込ませて強引に二人を引き離した。 


「なにするんですか、花蓮さん!」

「私は妹にまとわりつく悪い虫をはらおうとだな……」

「いくら花蓮さんでもやっていいことと悪いことがあります!」

「ぐ、ぐぬぬ」


 花蓮は不動から愛染を庇うように仁王立ちをした。

 目から涙が溢れている。

 人差し指を突きつけながら、上ずった声を出した。


「しょ、勝負だ、桃川不動!」

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