ブーメランパンツ
不動の家には道場が併設されている。
この道場を使う者は不動しかいないが、場内はリビングや自室よりも清潔に保たれており、家主が家の中で一番重要視している場所であることが伝わってくる。
剣の修行を鬼斬山で行うこともあるが、一番時間を費やしているのはこの道場だろう。
彼はほぼ毎日、この道場で剣を振っていた。
いずれ到達できると信じている【煩悩断ち】の極致を目指して、日々剣の腕をより一層高めているのだ。
「これは本当に、意味があるのか?」
「疑りぶかいですねぇ。不動くんも納得してくれたじゃないですか」
「それは、そうなんだが……」
不動が不満げなのは理由がある。
神聖な道場で滑稽な姿をさらしているからだ。
それは愛染の「胴着を着ていると身体の動きが分かりづらいです」という言葉から始まった。
【煩悩断ち】のために不動の身体捌きを把握しておく必要があると主張され、愛染に言われるがまま、彼は水着姿で剣を振るうことになった。
しかもただの水着じゃない。
ぴちぴちのブーメランパンツだ。当然不動の所持品ではない。愛染が持ってきたものだ。
「これでも妥協してあげているんですから感謝してほしいぐらいです」
「誰が感謝するか」
「じゃあ裸になりますか?」
「それはごめんこうむる」
「だったらちゃんと感謝してください。ブーメランパンツを履かせていただいてありがとうございます、と」
「……感謝する」
彼女に口で勝てる気はしない。
屈辱的ではあったが感謝を述べて剣の修行へと戻った。
不動はわざとゆっくり動いた。
本来であれば一瞬で振りきるところを数秒かけて振るう。ゆっくりと刀を振り下ろし、そのままゆっくりと次の動きにつなげてまた刀を振った。
「ゆっくり動く筋肉もいいですねぇ」
ゆっくりと等速に動く。
それはイメージするほど簡単なことではない。余計な力や動きに無駄があれば途中で動きが詰まってしまう。
だが不動には全く淀みがなく、ぬるぬると流れるように動いていた。
ゆっくり動きながら、不動は己の身体と語り合う。
どうすればより洗練された剣になるか。
動きの一つ一つを見つめなおしていく。
傍から見ればブーメランパンツ姿で刀を振るう怪しい男だが、その剣技は恐るべき境地にあった。
「確か――【川流ノ理】でしたっけ?」
「知っているのか」
【川流ノ理】とは、川を流れる桃を理想の状態とする、桃川流の真髄である。
桃が川を流れるとき、桃に余計な力みはない。
どんぶらこ、どんぶらこ。桃はあるがままに、自然体だ。
「奥義の秘密を知っているぐらいですからね」
「それもそうか」
【川流ノ理】は桃川流の真髄であり、同時に基本でもある。
不動ですら知らない秘中の秘である【煩悩断ち】のことを知っている以上、【川流ノ理】を知っていて当然だろう。
「不動くんが【川流ノ理】を実践できているか試してみましょう」
「な、何をするつもりだ」
「気にせず動いてください」
不安しかなかったが、不動は修行を再開し、ゆっくりとした動きで剣を振り始めた。
(何をされようと平静を保ってみせる)
愛染は背後から不動に近づく。
そして背中や脇、お腹といった部分をまさぐるように撫で始めた。
こそばゆい感覚が全身に伝わる。
「ッ……」
不動は気合いで乗り切った。
最初の一瞬だけ驚いて動きが乱れてしまったが、それ以降は冷静に身体を動かすことができる。
ギリギリではあるかもしれないが、何とか耐えることができるレベルだった。
――勝った。
愛染の悪戯には今まで翻弄されてばかりだった。
だが今回は自分の方が上手だったようだと心の中で勝ち誇る。
「中々やりますねぇ。こんなのはどうですか?」
「ひゃぁっ!?」
耳に息を吹きかけられて、修行を中断してしまう。
「み、耳は卑怯だぞ!?」
「分かりました。もう耳は止めておきましょう。それでいいですか?」
「まぁ……それならなんとか」
すっかり耳は弱点になっていた。
だがそれ以外なら耐えられるはずだ。
先ほどと同じように愛染が背後から不動の身体を撫で始める。
「んあッ」
声が出た。
(なぜだ!?)
愛染の動きは先ほどと同じものだ。
なんとか耐えられたはずだ。
だがしかし――
「くッ、ふッ……」
こそばゆい感覚は同じもののはずなのに、まるで違う感覚のように思えた。
「な、なにが――」
「耳で気持ちよくなったことでスイッチが入ったんですよ」
「スイッチだと?」
「ただくすぐったかっただけのものが、スイッチが入ったことで快楽に変わったんです」
(そんなことがあってたまるか)
理不尽だと思った。
どうしてこんなにも身体は言うことを聞かないのか。
「ほら、どんぶらこー、どんぶらこーです」
「ん…ぁ…ひッ」
「桃川流の真髄、【川流ノ理】はどうしたんですかー?」
バカにしていると思った。
だが身体は完全に翻弄されて、不動は動きを止めてしまう。
愛染は後ろから不動に抱き着いて顔を前に出す。
そして彼女は不動のブーメランパンツを見て声をあげる。
「わぁ、凄いことになってますね」
屈辱だった。
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