全裸の山ガールは泥になる
鬼斬山でひたすらに刀を振るっていると誰かの声がした。
「――ん?」
女性の声だ。
周囲を見渡すがそれらしい人影はない。
木の裏に隠れているのだろうか。
(いや違う)
木陰に隠れても人の痕跡は隠しきれない。だが周りにそういった痕跡は見当たらない。
(だとすれば一体どこから……?)
ふと顔を上げる。
近くにある崖の上に一人の女性が立っていた。
百メートル以上の高さがある崖だ。
女性の顔は距離が遠すぎてよく見えない。ただ、崖下から見ても分かることがある。
それは――女性が生まれたままの姿で崖っぷちに立っているということだ。
彼女は何をしたいのだろうか。まさか痴女なのだろうか。そんな疑問に答えが出るよりも先に事態が急変した。
「なっ!?」
全裸の女性が崖から飛び降りた。
足を滑らせた訳ではない。明らかに彼女自身の意志で、小さな段差を越えるかのようにジャンプして飛び降りたのだ。
(自殺か!?)
「きゃぁぁあああ!」
崖を落下する女性が悲鳴をあげる。
その悲鳴は命の危機を訴えるようなものではなく、まるで絶叫系のアトラクションにでも乗っているかのように楽しさの感情が含まれていた。
場違いだ。自棄になったのだろうか。
女性は地面にたたきつけられる。
柔かい土の上に葉っぱが敷き詰められているとはいえ、あの高さから落ちたなら無事ではすまない。
怪我は避けられないとしても、せめて命だけは助かってくれと祈りながら落下地点まで走った。
「大丈夫か!」
全裸の女性は大の字になって倒れていた。地面に身体がめりこんでいることから、彼女は防御の姿勢を一切とらないまま無防備にたたきつけられたことが分かる。
恐怖はなかったのだろうか。
「ぁは」
女性の声が聞こえた。
即死も覚悟していたが、まだ息があるらしい。
慌ててかけよって地面にめり込んだ彼女の身体を持ち上げて仰向けにひっくり返し、そっと地面の上に置いた。
驚くべきことに女性は無傷だ。
何も身に纏わずに百メートル以上ありそうな高さの崖から落下したにもかかわらず、彼女の肌には全く傷がない。
土で汚れているものの、美しい女性の裸体は何一つとして損なわれていなかった。
綺麗な大人の女性の裸だ。
不動はむっつりスケベな不動だ。普段ならその姿に興奮してしまっていたかもしれないが、今は状況が異様すぎる。
己の煩悩を否定したい不動にとっては幸運なことに、裸に欲情する余裕はなかった。
「確か……桃川くんだったかしら」
不動のことを知っているようだ。
改めて彼女の顔を見てみると思い当たる節があった。
(山ガールの人か)
彼女は登山が趣味でよくこの山に登りに来ていた。
山で修行をしているときに何度か出会ったことがあり、その際に「私は山ガールなの」と主張していた記憶がある。
「どうして飛び降りたりした? 下手したら死んでいたぞ」
「あの崖から飛び降りたら……すっごく気持ちいいんじゃないかってずっと思っていたの」
「だからって――」
「思ったとおり半端ない一体感だった! まるでこの山と合体したみたい!」
言葉を遮って、女性は巧悦とした顔で主張する。
ギンギンとした目をこれでもかと開いて頬を赤くする姿はイカれているとしか言いようがなかった。
女は完全に頭がおかしくなっている。
「私は山と一つになるの」
(うわぁ)
不動は周りの人から剣狂いだと引かれることが多い。
自分でも普通ではないことは理解している。だがそんな彼からしても、彼女の思考はまるで理解できない。
常人の思考ではない。むしろ人間の思考から外れているとさえ思えた。
見ていられなくなって顔をそらす。
彼女の手の先が目に入った。
(なんだあれは……?)
手が黒ずんでいる。黒い箇所は手の先から肩の方に向けて徐々に広がっていた。
よく見ると単に肌の色が変わっているだけではなかった。彼女の肌が別のものに、黒い泥のような何かに変質しているのだ。
その泥は両腕両足、そして胴体にも広がっていった。
「お、おい!?」
得体のしれない状況だ。直接女性の身体に触れたら、こっちにどんな被害があるか分からない。
困惑しながら声をかけた。
「あは、あははははは」
声など聞こえていないかのように女性は笑う。狂った高笑いだ。完全に精神がおかしくなっている。
何の対処方法も思い浮かばず、黒泥はついに彼女の全身に広がった。
その瞬間――人の形を保っていた泥の塊は崩れ去って地面に広がる。そこには女性など存在しなかったかのように、ただの黒い泥があった。
(死んだ……のか?)
目の前に女性の姿かたちは残っていない。
幻覚ではなかったはずだ。女性は確かに目の前にいた。不可思議な現象を起こして、その命を失ったのだ。
女性の成れの果てである黒い泥を呆然と見つめる。
「ん?」
その中心に、一輪の花が咲いていた。
蓮の花だ。
不自然にポツンと咲いている。周囲が黒い泥であるため、濃いピンク色の花弁が際立って鮮やかに感じる。
先ほどまでその場所に存在していなかった花だ。女性が泥になった後に現れた。
まるで女性が蓮の花になってしまったかのような――。
「いや、あり得ない」
首を振る。
そんな超常現象があり得るはずがない。
「だが――」
目の前で起きたこと。実際にこの目で見たこと。それを否定することもまた愚かである。
彼女の名前もはっきり覚えていない。どこに住んでいるかも分からない。分かったとしてもその死を、消滅をどのように伝えればいいかも分からない。
きっとこの女性は行方不明の失踪者という扱いになるのだろう。
どうすることもできない。できることがあるとすれば、それはただ一つ。
「せめて安らかに眠ってくれ」
そよ風に揺れながら静かに咲く蓮の花に向かって両手を合わせて祈った。
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