不動くんはすけべぇです

 国語の授業が、地獄のような授業が終わった。

 不動はすぐに教室を飛び出て屋上へと向かう。


「ふざけるな!」


 不動は愛染を屋上のフェンスに追いやって、彼女の顔の横に手をついた。いわゆる壁ドンである。


「乱暴じゃないですか」


 愛染を怯ませようとした不動の行動は効果がなかった。彼女は生意気そうに笑っている。


「お前は――俺を――」


 感情が溢れて言葉にならなかった。

 【煩悩断ち】を得るために、不動は愛染に逆らえない。

 だが教室での行動はあまりにも屈辱的だった。

 姿を隠した少女による一方的な悪戯。声も出せない状況で、好き放題に身体を弄ばれる。

 不動の意志に反して身体は反応してしまう。劣情を刺激され、「お前は煩悩に塗れた猿なのだ」と思い知らされた。

 唇をかみしめる。

 愛染のことも、自分のことも腹立たしかった。


「唇から血が出てますよ」


 ――知ったことか。


 唇の痛みが、唇から流れる血が、心を静めてくれるはずだ。

 愛染を睨みつける。

 先ほどの教室みたいに、彼女に主導権を握られる訳にはいかない。めちゃくちゃになってしまう。


 【煩悩断ち】は修得したい。そのための訓練が必要だというのなら否はない。だがそれは彼女のペースではなく、不動のペースで、己の制御ができる範囲で行われるべきことだ。


「恐いですねぇ」


 愛染はわざとらしくヤレヤレと肩をすくめる。


(バカにしている)


 不動のことを単純な男だと思っているのだろう。

 その辺の男と同じで、性欲に突き動かされるケダモノだと思っているのだろう。


「俺には性欲など必要ない……」

「いい加減に認めたらどうですか?」


 愛染がため息をつく。


「不動くんはすけべぇです」

「黙れ!」


 不動は愛染の胸倉を掴んだ。

 これ以上彼女の言葉を聞きたくない。その一心だった。


「グッ、かはッ……」


 愛染は息苦しそうにしながらも、それでも笑った。


「そんなに、らんぼうにされると、きもちよくなってしまいますね」


(なんなんだこいつは……)


 胸倉を掴まれてなお余裕を崩さず、いやらしく笑っている。

 理解不能だ。恐ろしい女だ。


「お前なんて、【煩悩断ち】さえ手に入れば――」

「酷いこと言いますねぇ……さすがの私も傷つきますよ?」


 愛染が心にもないことを口にしている。


「酷いことを言う不動くんにはお仕置きです」


 愛染は何気ない動きで不動の耳に触れた。

 それは特に意味のない行動のはずだった。

 だから不動は愛染の動きにそこまで警戒はしておらず、避けることなく受け入れた。


 ――受け入れてしまった。


「んあッ」


 力が抜ける。


(なんだ!? 何が起こった?)


「ぬふふ」

「んッ、く……あッ」


 愛染の指が耳の表面を這うように動く。


「あれ~? どうしたんですか? 私はただ不動くんの耳を触っているだけですよ?」


 神経の全てが耳に集中しているように思えた。

 愛染の少しカサついた指先の感触も感じる。


「な、何をした」


 耳を触れられるたびに身体が跳ねる。

 立っていられなくなって膝をつきながら尋ねた。


「もしかして、耳に術を使われた――とでも思ってますか?」

「そうに決まっているだろ」


 でなければこんなに気持ちいいはずがない。

 耳を触られただけで、まるで敏感な場所を触られたみたいに反応してしまうはずがない。

 愛染が人間の快楽を操る淫乱な術を使ったに違いないのだ。


「残念ながら違います。さっきの授業で不動くんの耳を散々弄びましたよね?」

「……」

「そのお陰で不動くんの耳はとっても敏感になったんですよ。術は関係ありません。とはいっても、ここまで分かりやすい反応を得るためには元々素質がないと無理ですけど」

「どういうことだ」

「要するに、不動くんはとんでもないすけべぇだってことです」

「そんなはず――ひゃぁっ!?」


 耳に息をふきかられて女子のような声をあげてしまう。

 抗議しようとするが、いつの間にか愛染はどこかに消えていた。

 やり切れぬ怒りをぶつけようと、地面のアスファルトにこぶしを打ちつけた。


「くそッ!」

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