くっころ男子が堕ちるまで

ほえ太郎

くっころ男子が堕ちるまで

煩悩塗れの猿ども

 桃川不動は袋に入った刀を背負い、学ラン姿で姿勢良く歩いていた。

 時代が違っていれば銀幕のスターにでもなれただろう美青年だ。カラー写真よりも白黒写真が似合う端正な顔立ちをしている。


 高校へと向かうべく通学路の桜並木を颯爽と歩いていたが、立ち止まり眉をひそめた。


「煩悩塗れの猿どもめ」


 視線の先には二人の男女。不動と同じ鬼斬高校の制服を着ている。

 不動に学友はほとんどいない。

 興味がなかったからだ。同世代の男女に時間を費やしている暇があれば、少しでも多く修行に時間を割きたいと思っている。

 目の前で馬鹿をしている2人にも面識はない。恐らく先輩の2年生か3年生だろう。


「私のこと好き?」

「あぁ、勿論さ」


 とっとと登校すればいいものを、彼らはわざわざベンチに座って肩を寄せ合いながらくだらない話をしている。


(不快だ)


 せめて臭いものには蓋をしてほしいと思う。

 だが煩悩塗れの猿に、そんな最低限のマナーを求めることは酷なのかもしれない。


 彼らは上っ面の愛をささやきながら抱き合ってキスをしている。

 調子の良いことを言いながら、脳裏では交わうことしか考えていないはずだ。なんと汚らわしいことだろう。


 人と獣の違いとは何だろうか。

 理性だ、と思う。

 理性があるからこそ人だ。進化の過程で理性を身に着けたのだ。故に人は人であるために理性に従わねばならない。本能に、煩悩に流されては駄目だ。


 ひらひら、と一枚の桜の花びらが舞う。

 無意識に右手を前に差し出し、花びらをてのひらで受け止める。


「桜、か」


 3月の頭。

 まだ桜は咲き始めたばかりで、いまだつぼみのものも多い。

 日本を代表する花は何か、と問われたときに桜をあげる者は多い。日本に生きる者であれば、誰もが桜を美しいと思うことだろう。


 道沿いに並ぶ桜が満開になれば、きっと美しい光景が広がるはずだ。

 傍を通り過ぎた老夫婦も咲き始めた桜の木々を見て「もうすぐですね」と楽しそうにしている。


 彼らは猿ではない。

 先ほどのいちゃついているカップルに比べると雲泥の差だ。まともな人たちだ。


(だがあの人たちもまた、煩悩に塗れている)


 老夫婦に対しても煩悩塗れという評を下す。それは一般的な感覚からは外れているだろう。きっと誰が聞いてもおかしいと思うだろう。

 桜を眺めて2人で散歩する老夫婦を見て、春の趣を感じこそすれ、煩悩塗れなどとふざけた感想を抱く者は誰一人としていないはずだ。


 でも、その例外がここにいる。桃川不動だ。

 何かを美しいと感じる心。それはきっと自然な感情だ。

 でも不動にとってはその心もまた煩悩だった。

 花に魅せられるなどあってはならない。その煩悩は剣技を曇らせる原因となる。


「不浄だ」


 自分に言い聞かせるように呟きながら、右手をギュッと握りしめる。しわくちゃによれた花びらを路面のアスファルトへと放り捨てた。

 バカップルも老夫婦も桜の木々も意識から外して、真っすぐに前を見つめながら再び歩み始める。


 ――己の煩悩を、断たねばならぬ。




    ◆




 ムッと口を結んで歩き始めた不動の姿を、木陰から見守る一人の少女がいた。


「あの人が桃川不動ですか」


 少女は目的の人物をその目におさめながら呟く。

 特徴的な紫色の瞳には、喜びの感情が宿っていた。


(予想以上です)


 不動のことを名前でしか知らなかった。だから不安もあったのだが、彼の姿を直接見て杞憂であることが分かる。

 たとえどんな人物であろうと目的のためにやるべきことをなすつもりではあるが、少女にも好き嫌いはある。どっちにしろやらねばならないことであるのなら少しでもいい気分でやりたいと思うのは当然だ。


 最近の男性アイドルや、女性に人気な男性芸能人は、中性的な魅力を持つ者が多いが、不動はそういった傾向とは真逆にあった。

 長身で彫りの深い整った顔立ちは、女性が言うカッコいいよりも、男性の言うカッコいいに当てはまっている。太く真っすぐに生えている眉毛と強い意志を感じさせる切れ長の目は、今風ではないだろうが、誰に聞いても魅力的だと評価されるだろう。


「ぐふふ」


 少女はニヤリと厭らしく笑う。

 不動は彼女の好みど真ん中だった。


(早く穢してしまいたい)


 あの好青年を、純粋無垢であろうとしている彼を穢さねばならない。

 それが少女のなすべきことだ。

 少女は魔性の者であるかのような紫色の瞳を輝かせながら、心の中で宣言した。


(あなたはわたしのものです)


「――ッ!」


 不動が急に立ち止って振り返る。

 彼の視線はこちらに向いていた。


(気づかれた!?)


 そんなはずはない。完全に気配を消したはずだ。

 少女が動揺している間に、不動は確信を持った足取りで近づいてくる。

 今、彼に姿を見られる訳にはいかない。少女は慌ててその場から姿を消した。


「……ふぅ」


 一時的な拠点にしている場所に移動した少女は、ベッドの上に腰かけながらひと息つく。


「偶然でしょうか? いえ……違いますね」


 つい今しがたあったことを思い返す。

 不動は確かに少女の存在に気がついていたらしい。

 隠形には自信があった。同業者の中でも群を抜いているという自負がある。

 不動の姿を見て心を乱した部分はあったかもしれないが、それでも一般人であるはずの青年に気づけるはずがないのだ。


「侮ることはできませんね」


 少し見ただけでも、彼が真面目な堅物であることは分かった。そんな彼を篭絡することなど容易いはずだった。

 だが、もしかしたら一筋縄ではいかないのかもしれない。


「楽しくなってきました」


 獲物を前にした狗のように、ぺろりと舌をなめる。

 少女はご機嫌そうに足をぶらぶらと揺らしながら、下手な鼻歌を口ずさみ始めた。


 ――むっつり堅物系男子、桃川不動。

 ――彼が煩悩塗れになる未来は、すぐそこまで近づいていた。

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