深夜の密会④
そうして、昼になるころ。鳴り響いたドアベルの音に、リディは性急に焦点をエラン魔探偵事務所に戻した。またしてもレナートがやってきたのかと思ったが、扉を入ってきたのは香だ。
部屋にいるのでは、と決めつけていたリディは驚いてしまったが、香はごく自然に
「ただいま戻りました」
と挨拶を零して入ってくる。
「お出かけしていたんですね」
「学校ですよ」
「あれ……」
「制御学校の特別教室なので、必要日数のみ出席すればいいんですよ。だから、今日は久しぶりに登校してきました。お昼までだったので、終了です。リディさんはお仕事中ですか?」
「あ、はい」
「根を詰め込み過ぎないように、お昼休憩は取ってくださいね」
香はリディの仕事内容を知っているようだった。
そのアドバイスに頷いて、ちょうどいいタイミングだろうと鞄の中から弁当を取り出す。お昼はいつもお弁当だ。
高校に入るまでは食堂を利用していた。
しかし、インターンが始まればそういうわけにはいかない。売店を使う手もあるが、毎日それで済ませるのは金銭的に贅沢なことになる。両親は生活費に厳しくはないが、そこはリディの気持ちだ。
リディが弁当を広げるのを前に、香も鞄の中からパンを取り出す。
「ロレンさんはいいんですか?」
隣に腰を下ろしたロレンは、ぐてりとソファに座ったまま眠りこけている。
身体が痛くないのだろうか。眼鏡はかけっぱなしで邪魔ではないのだろうか、と疑問は尽きないが、ロレンはお構いなしであるらしい。いつも妙な体勢で寝ているので、リディも心配することが馬鹿馬鹿しくなっていた。
「寝てますからね。放っておいてあげましょう」
「……よく寝ますよね」
ロレンは仕事がなければ、日がな一日寝ていることも多い。あまりにも寝ているので、だらしがないと言うよりは、何らかの症状ではないのかと訝しむほどだ。
そして、どうやらそれはそう遠くもない予想であったのだと、リディはようやく知ることになる。
「燃費が悪いですからね」
「燃費……」
「ロレンくんは特殊魔術と相性が悪いんですよ。魔力が食われやすいから、よく眠るみたいです。といっても、本人が言ってるだけなんで、本当かどうかは分かりませんけど」
香はいくらか真面目に話した後に、けろりと笑って締めくくった。それが配慮であることくらい、リディにも分かる。
魔力が食われる。
これは魔術を使用せずとも、無尽蔵に魔力が溢れてしまう人に用いられる言葉だ。収めるためには、魔道具をつけたり抑制薬を服用したりする必要がある。そのうえで睡眠が必要というのであれば、それは度外れた重症であり、香がけろりと締めて空気を読むような態度を取るのも頷ける深刻な状態だ。
リディは、改めて眠っているロレンを見つめた。
健やかな寝息で、穏やかに眠っている。そうした裏事情など露ほど感じさせない。堕落にお似合いの姿だ。
たったこれだけのことで、ロレンの印象が好印象に反転するわけではない。しかし、リディはだらしなさの点でいくらか上方修正を行った。
香が締めくくったように、当人の気質の可能性もあるのだ。すべてを好転させはしない。リディはその辺りも真面目で、軽率に印象を翻したりはしなかった。
「あんまり気にしないほうがいいですよ。本当に性格の問題もあります」
そうした判断を脳内でつけている沈黙を深刻に受け取ったのか。香はむんと膨れて、愚痴のように呟いた。
これは幼いがゆえに許される空気の緩ませ方だろう。そこまでの効果を見透かしていたのかは定かではない。しかし、リディにとっては十分にくすりと心を癒やすものだった。
「面倒くさがりは面倒くさがりなんですね」
「そうですよ。だらしないんです」
そこからは、香によるロレンの日常生活の暴露が始まる。
着替えのだらしのなさから、毛髪の鳥の巣具合。愚痴混じりで面白おかしく話される香の話に癒やされながら、リディは昼食を摂った。
それから、香は読書の時間に入り、リディはまた仕事へと戻る。ロレンは相変わらず、長い睡眠中だ。
エラン魔探偵事務所は朝に限らず、賑やかではなかった。
不測の事態があれば業務時間は前後する。依頼人がいることであるし、犯罪者相手だ。こちらに都合のいい時間に活動してくれる道理はなかった。実際、浮気調査の依頼だって、リディの知らぬ時間外に依頼が来ている。
しかし、リディは今まで業務時間内でしか活動をしていなかった。それほど重大な仕事を任されていなかったこともあるし、インターンであることもあるだろう。これはロレンが規則を守っているというよりも、余計なことをさせていないというだけだ。
だが、それも今日で終わりになった。
浮気現場を押さえるとなると、どうしたって夜が狙い目になる。実際、男は日中不審な動きもなく仕事をしているばかりだった。社内で完結した動きに、リディは多くの休憩時間をもぎ取れたほどだ。
そうして、男の勤める会社の就業時間が終わるころ。ロレンがおもむろに起き上がって活動を開始した。まるで始めからそうするつもりであったかのような起床時間に、リディは苦い気持ちがする。
業務の間まで見張る必要ははたしてあったのか、と。
無論、万全は尽くすが、中年男性の仕事を見張らせられた退屈さはいかんともしがたかった。
「場所は分かってるな?」
立ち上がったロレンが伸びをしながら、リディを見下ろしてくる。
リディは瞳の焦点を切り替えて、男の居場所をしかと確認した。帰宅中であるのだろうが、自宅とは別方向に進んでいるのが見える。
「向かうんですか?」
「奥さんいわく、毎週決まった日に帰りが遅いらしいからな。それが今日だ。この後合流するに決まってる」
「確かに、自宅には戻ってませんけど」
「だろうな」
ロレンの情報収集は的確らしい。リディは無駄なく歩き始めた猫背の背を追いかける。
香は留守番だ。事務員として詰めていなければならないらしい。レナートの出勤は不規則とのことだから、エラン魔探偵事務所はかなり人員がギリギリだ。
リディが入って多少は余裕ができたと香は言ったが、インターンの個人行動には限界がある。限度を超えればロレンが監督することになるので、人手が増えたとは言い難かった。
すたすたと大股で歩くロレンに、時々道案内しながら進んでいく。緩慢とした歩調は、リディでもやすやすと追いつけた。これが気遣いならリディにもありがたがる気持ちも湧くが、恐らくはそういったものではない。ロレンの動きが緩慢なのは、平常運転だった。
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