誘因の甘露④
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「どうだ?」
地下の一室に、五人の男がたむろしていた。
その中の一人は、先ほどまでロレンとリディの相手をしていたものだ。
藍色の髪をオールバックにしたサングラスの男に声をかけられて、紫髪の男はにたりと表情を歪めた。それは、ロレンたちの前で見せていた爽やかさとはほど遠い。企みを刻んだ妖しい笑みであった。
「いい感じですよ」
「アレを呼べ」
オールバックが指令を出して、低身長の水色髪の少年が別の部屋から男たちの部屋に入ってくる。オールバックの前に跪いた少年に、紫髪が近付いた。オールバックは二人を睥睨する。
「映し出せ」
短い命令で、紫髪は少年の肩に手を置く。少年はそのまま前方へ手を翳して、目を閉じた。少年の共有能力によって、紫髪が持っていた盗聴能力が周囲に共有される。
盗聴能力とは、スキンシップを取った相手の会話を盗聴できるものだ。期限は長くはない。最長でも一時間が限度のもので、使い勝手は悪かった。しかし、こうした裏側に通じる連中にとっては実用的な能力だ。
そして、共有は紫髪だけが聞くことのできる盗聴内容を周囲へと拡散するものとなる。共有は聴覚などに限られない。しかし、能力自体を共有しているわけではないので、結果を反映させるだけだ。
その能力により、少年は、オールバック、そして紫髪を含む五人の男たちにロレンとリディの会話を共有させた。
ごそごそと衣擦れの音がして、何かが軋む音が連なる。
『リリィ』
『待ってください』
『待てねぇよ』
軋む音がぎしぎしと激しくなり、リディが言葉を途切れさせた。それだけで、男たちの下品な想像を促すには十分だ。
「楽しんでそうだな」
「いい女でしたからね」
「探りは入れられなかったのか?」
「躱され続けられましたよ」
「ただやってきたというわけでもないだろうに」
オールバックは物音と状況に意識を研ぎ澄ませている。
魔探偵が取り引き現場を押さえるという情報は手に入れていた。ゆえに、ロレンへ招待状が渡った時点で、オールバックは注意を向けていたのである。
そして、紫髪に相手をするように仕向けた。
決め手となる収穫はなかったようだが、こうして様子を見張っていられるのは大きい。紫髪の能力が続く限りは、ロレンの行動を監視できる。その間に取り引きを行ってしまえば、ロレンに取れる手は限りなく少ない。
その耳を緩めるつもりは一切なかった。
『ドレス、皺になっちゃいますよ』
『覚えとけ。男が意中の女に洋服を贈るのは脱がせたいからだ』
『恥ずかしいこと言わないでください』
『こら。よそ見するんじゃねぇ』
『ロレンさん』
『よく視とけ、リリィ』
その後は、吐息が混ざるだけで会話はほとんどなくなっていく。
お互いの名を呼ぶ声と、衣擦れ。乱れた吐息とベッドの軋む音。そうしたものだけが、共有された聴覚として届いてきた。
オールバックの男は目を眇めながら、沈思黙考する。
はたしてこれが真実か。潜入捜査であれば偽装することもあるだろう。パートナーの偽装など、それこそ常套手段だ。このやり取りさえも偽りであることは考えられる。
オールバックは真剣に思考を巡らせた。
しかし、聞こえてくる物音に変化はない。時折、喘ぎと取れる声まで漏れ聞こえている。ロレンの現在進行かつ、周囲の存在を盗聴しているはずなので、録音という可能性はない。ならば、二人の関係がどうあれ、ロレンを足止めできてることに重きを置くべきだ。
しばしの思考を終えて、オールバックは判断を下した。
「引き続き盗聴は続けておけ。他は準備だ」
集まった男たちは、オールバックの号令によって、行動を開始した。
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ベッド横のサイドテーブルに多くの紙片が重なっている。ロレンの悪筆な指示がほとんどのそれを横目に、リディは男たちを監視していた。
ベッドの上でごろごろしながらの任務は、なかなか奇天烈な見た目だ。仲睦まじい者同士であることを印象づけるための手法のひとつだった。
ロレンはリディに、相手側の盗聴能力の情報を渡してある。
ロレンは男に触れられた時点で、相手の能力を把握していた。ロレンは他人の魔術に対して大変な理解力を持っている。その理解力があってこそ、結界を消滅させることもできようというものだ。
そんなロレンによってもたらされる情報を元に、二人は部屋に入ってからも偽装を続けていた。それも、より濃密な関係を匂わせるような行為を、だ。
どんなにサキュバスの力を行使することに多少なりとも前向きになったとしても、性的なことへの忌避感が消え去るわけではない。リディは抵抗を感じていた。
しかし、敵の会合場所を視察しているときに四の五の言っている場合ではないことくらいは分かっていた。そして、リディは元来生真面目な性質だ。魔探偵としての任務に妥協は見せない。
リディは断じて手抜きをしたりはしなかった。
だが、一人で行えることには限度がある。そう思ったロレンは、リディが一人で寝転がっているベッドに乗り上げた。
「ちょ、っと」
思わず上擦った声を上げたリディに、ロレンは鋭い視線を投げる。失態を犯すなと諌める色は、雄弁に届いたようだ。リディはぎゅむっと唇を噛み締めて言葉を飲み込む。
「どうしたんですか?」
「よく視せてみろ」
「な、に……っ」
分かりやすく状況を聞く会話をするわけにはいかない。リディもそれを理解しているだろう。盗聴している男に偽りだとバレてしまっては、すべてが無駄になる。それがリディの言動に枷をつけていた。
「よく視せろって言ってんだよ」
繰り返したロレンが、リディの腕を掴む。
リディは魔力の流れがぶつかるのを感じた。ロレンの魔力が、リディの身体を這い回っていく。一方的に流れてくる魔力に驚いているのか。何をされているのかが分からずに薄気味悪いのか。リディはじっと身を固めていた。
ロレンは腕に触れたまま、ただ魔力を流して状況を観察する。
「……ロレンさん」
「無駄口は叩くな」
リディが聞きたいことの予測は、ロレンには大体ついていた。
視えているのか。それが知りたいのだろう。だが、今答えを教えるわけにもいかない。
理解に特化したロレンは、リディの視力強化を探ることもできる。それを通じて、男たちの様子を窺っていた。
リディには、特殊魔術について教えていない。それでなくとも、ロレンは自分のことを悟らせるような真似をするつもりはなかった。インターンには謎だらけの存在に思えていることだろう。
現場に同行する回数が増えていくのであれば、そのうちに明かすことも視野に含めねばならい。ロレンは時期を見ることを脳内に留めておく。このまま知らせずにいるわけにもいかないことは理解していた。
そうした検討をしていると、リディの顔色が少しずつ変わってくる。ロレンのほうでも、魔力の蠢きに違和感を覚えて顔を顰めた。
肌の下を流れる魔力が、血液を沸き立たせている。体内を直接嬲られるような感覚が這い回った。
それは限りなく快感に近しいものだ。
どうして、と思ったころには、感覚はかなり犯されていた。ロレンはぐっと奥歯を噛み締めて、湧き上がってくる情欲を噛み殺す。
ロレンにしては珍しく、我慢を取り繕うことはできていなかった。それはあっさりとリディに看破されるほどに。
「ロレンさん、大丈夫ですか?」
「……クォーターだったな」
リディの声がいつもよりも甘美に響いたこと。そのぬらめいた紫苑の瞳を改めて捉えたこと。きっかけは複合的なものだっただろう。
ロレンはそのタイミングで呼び起こされる情欲の理由に気がついて、舌打ちを零した。
リディには、舌打ちをされる心当たりなどまったく身に覚えがないだろう。ロレンとて、多少は気遣う感情はあった。だが、説明する時間や場面の余裕もなければ、精神的にも肉体的にも余裕はない。滲んだ汗が肝を冷やす。
「ふぅ……」
ロレンは体内に膨れ上がる熱を、吐息として排出した。
色気とも呼べるそれが、リディに至近距離でぶつかる。リディはぴくりと肩を震わせた。ロレンですら耐えがたいものだ。リディにも影響が出ているのだろう。反応は顕著だった。
しかし、このタイミングで魔力を収めることはできない。ぐつぐつと情欲が腹の底で煮え滾っている。どうにか整えようとする息も、興奮して荒くなっているようにしか思えなかった。
ロレンは再度舌打ちをしたい気分になる。
「悪い」
ロレンは紙一重で繋がっている意識から、しぶとく冷静な声を出した。意図したそれが繕えていたかどうかは自信がない。有事としては、心細く響いたものだろう。
リディは弱々しく眉を下げていた。
「いえ……」
「想像してなかった」
「か、構いません」
真の意味で理解しているのだろうか。
ロレンはそんな疑義を抱かなかったわけではない。何しろ、リディは自分の身に起こっている現象が何か分かっていないはずだ。
ロレンとて予測の範疇を出ていない。恐らく、リディの特殊魔術を理解するために流した魔力がサキュバスの血と反応しているのだろう。理解できているのはそれだけだ。
それ以上思考を深める集中力はない。男たちの監視に割いている分までも、徐々に集中が削れていっているのを如実に感じる。
ロレンは自身の危機的状態をひしひしと体感していた。限界という言葉が脳裏を過り、それだけはならないと、意地で持ちこたえる。
他人に解く根性論など、ロレンは信用などしていない。だが、自分が堪えることとなれば話は別だった。
「もうちょっとだから、我慢してくれ」
音声よりも吐息のほうが多いような、低い囁きが口から零れる。ロレンの自覚よりも、ずっと煩悩がこもっていた。
相槌の代わりにリディの口から零れた吐息も甘くて、ロレンの脳内を痺れさせる。ぞわりと身体を走り回る電流に、理性と本能のバランス感覚が欠如していった。
お互いの息遣いが、感情や雰囲気、そして性欲をも昂ぶらせる。意識が艶美な色に染め上げられて、よそ事への意識を散らした。
だが、監視を外すわけにはいかない。それは、ただの気概だっただろうか。お互いに折れるわけにはいかないと、現実に向き合うことばかりに意識が向いていた。
我慢はよくない。
それは理性を削り取っていくというひどく危うい意味で。
「リリィ」
無意識に呼びつけていたロレンに、リディがこくりと生唾を飲む。その音が、頭蓋骨のどこかにあるロレンのスイッチを押した気がした。
触れ合う身体の熱が上がっていく。ベッドの上で近付いていた距離が、更に近付いた。
混ざり合う香水の匂いが、鼻腔からすらも心を乱す。密着した部分から、リディのしなやかな触り心地がダイレクトに伝わってきた。
すらりと髪を梳いて見つめたロレンに、リディは瞳を潤ませる。
眼前にある顔を寄せ合ったのは、どちらが先だっただろうか。
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