誘因の甘露⑤

 車内には沈痛な空気が漂っている。レナートはバックミラーに目をやりながら、後部座席で窓の外を見つめ続けている二人を観察した。

 一体何があったのやら。

 予定通り。パーティーの終了時刻に迎えに行ったレナートに、二人は素っ気ない態度で合流した。ロレンがそうであるのは常からのことだが、リディが和やかでないことは珍しい。そして、二人の間に流れる微妙な空気感は、察するにあまりあった。

 お互いを褒めることを積極的にはしないくせに、お互いにルックスが整っていることを認めている。口さがない言い争いを繰り返す。言うなれば、こなれた相手のようだった。レナートとロレンとの関係ともまた違うが、リディとロレンの関係もまた、遠慮のないものであるようだったのだ。

 それが、どこか遠慮したような雰囲気が滲んでいる。何かがあったことは一目瞭然だった。

 聞いたところで答えるか、とレナートは運転しながら考える。

 ロレンは面倒くさがって説明しないだろう。リディのほうは硬くなっているようであるから、ほぐす必要があるかもしれない。どちらにしても、今すぐ聞き出すことは難しそうだと、レナートは追及を早々に諦めた。

 それに、仕事帰りの二人を気遣う感情も、僅かなりとも存在している。ロレンだけならば配慮はしなかっただろうが、今はリディがいる。慣れないパーティー会場へ潜入したインターン生だ。気疲れさせるのは本意ではない。

 レナートは好奇心を押し殺して運転手の仕事を全うし、リディを魔探偵養成学園の寮へと送り届けた。到着しても、リディはまんじりともせずに窓の外を見つめている。

 レナートは苦笑を忍ばせた。


「リディちゃん、到着したよ」

「あ、はい。ありがとうございます。今日は、ありがとうございました。ドレスは洗ってお返ししますね」


 わたわたと言葉を並べ立てたリディが、ドアに手をかけている。

 降りる体勢で


「それでは、失礼します。お疲れ様でした」


 と折り目正しい挨拶をした。


「お疲れ様。ゆっくり休んでね」


 引き止める理由もないので滞りなく返す。ロレンは無愛想にちらりと一瞥を投げただけだ。しかし、口は開くらしい。


「ドレスは持っておけ」

「いいんですか? これ、お高いんじゃ……」

「……次がないとは言わない。自由に使え」

「それじゃあ、ありがたく頂戴します。ありがとうございます、ロレンさん」

「ああ」


 無愛想というよりは、気まずいのか。

 ぎくしゃくした会話に、レナートは苦々しさを隠しきれない。どう見ても何かがあったのが簡明なのだから、そうならないほうが無理だというものだろう。

 リディは「それでは」ともう一度挨拶を零して、車を降りて行った。車に向かって頭を下げる辺りが、リディの真面目たるゆえんだろう。

 その美しい姿をレナートは手を振って見送った。ロレンは何もしない。それが当然であるかのように、リディもそのまま背を向けて寮へと戻っていった。


「ロレン」

「……なんだ」


 エンジンをかける前にロレンを振り返ったレナートに、ロレンは分かりやすくそっぽを向く。大人げないと言ったらない。

 そして、ミラー越しでなく、直に振り向いたことでレナートには気がつくことがあった。

 やはり呆れたくなるような。少しニヤついてしまいそうになるような。そんな気分で、レナートは自分の唇をとんとんと叩いて示した。

 ロレンが眉間に深い渓谷のような皺を寄せる。

 それからしばらく睨み合いが続いて、ロレンがはっとした顔をした。その差分は僅かであり、寸刻であったが、レナートが見咎めるには十分過ぎるほどの反応だ。

 へぇ、と目を細めるレナートを、ロレンが鋭く睨みつける。


「出せ」


 短い命令に、レナートは肩を竦めて了承を返した。

 こうまで機嫌が悪いとどうしようもない。リディや香がロレンに諦観を覚えているように、レナートも観念することを知っている。これ以上からかってもろくなことにならない。

 レナートは前方を向いてエンジンをかける。その後部座席を映すミラーには、唇についたグロスを拭うロレンの姿が映っていた。




 薄暗い部屋の一室。暖色の灯りの中に、紫色と金色の髪が並んでいる。


「潜入、お疲れ様」


 金髪の男がネクタイを引き抜きながら、紫髪の男を労った。


「お疲れ様です。問題はありませんでしたか?」

「まさか。俺の実力は分かっているんだろ? ブライドが気にするようなことはないよ」


 紫髪の男は、先ほどまでロレン、オールバックの男とつるんでいた男だ。ブライドと呼ばれるその男の前で柔和な笑みを浮かべているのは、金髪の男……レナートだった。


「あの二人、何があったんだ?」

「性交を偽っていたようですけど」


 ブライドは概ねの作戦内容をレナートから聞き及んでいた。協力者だ。

 二人が恋人、夫婦を偽って潜入することも事前説明を受けていたため、どんな行為をやっていようとも騙されることはない。男たちに、信じさせる……そうでなくとも、二人に意識を向けさせる役目を担っていた。

 そして、それは成功している。


「なるほどねぇ。何かおかしなところはなかった?」

「俺は普段のお二人を知らないのでなんとも言えませんけど」

「それもそうか」


 気まずさの原因はそうした接触によるものだろうかと見当をつけながら、レナートはベッドの縁に腰を下ろす。


「報告はあるか?」

「まとめてあります」

「流石。優秀だな、ブライドは」


 ブライドはレナートの眼前に立ち報告書を差し出した。受け取ったレナートは満足げに片頬を持ち上げて、ざっと目を通す。数分とも経たぬうちに、レナートは書類をサイドテーブルに放り投げた。


「それで? 何か言うことはあるか?」


 レナートは下から覗き込むようにブライドを見上げる。刻んだ薄い笑みに、ブライドはこくりと喉を鳴らした。


「あの……」


 それだけを零し、ブライドは口ごもる。仕事上では饒舌な舌は、今や役立たずなようだ。自信のある確固とした顔色も消え去り、瞼を緩く伏せて瞳を彷徨わせる。潜入捜査を主とする男としては、随分気弱な態度だ。

 レナートはその弱腰な姿に笑みを深める。ブライドが作っている拳に触れて、その手を開かせた。絡めるように指を触れ合う。


「ご褒美か?」

「いただけるのならば」

「貪欲なほうが好みだな」


 ぐいっと手のひらを引いて顔を近付けたレナートが、ブライドの顎を掴んで妖艶に笑った。


「お願いします」

「いい子だ」


 レナートはぺろりと下唇を舐めて、ブライドとの距離をゼロにする。




 それぞれの悶々とした夜が更けていった。

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