見習い夢魔⑥
ロレンはコロンをひと撫でして様子を確認すると、自分のことを見ていたリディへ視線を向けた。そうして向けられた視線の鋭さに、リディは萎縮する。不穏な雰囲気が漂っていた。
ロレンはその不穏さを携えたまま、ずんずんとリディに近付いてくる。
「え、あの、何で……すか」
無言で近付いてくる高身長の男は大迫力だ。
リディはじりじりと足を引いてしまっていた。しかし、それはすぐに行き場を失う。下げた踵が、壁にぶつかって音を立てた。
「ロレンくん」
キッチンへ逃げていた香が事態の収束を感じて顔を出し、様子を見て声を出す。だが、ロレンはその制止を含む呼びかけに気を向けることはなかった。
逃げ場をなくして横へ避けようとしたリディの挙動を見逃さずに、どんと壁に手を突いて退路を塞ぐ。ロレンは見下すようにリディの眼前に立ちはだかった。
「インターン。お前の視覚は信用に値する」
とても褒められているとは思えない低い声が評価を下す。リディはちっとも喜べずに、頬を引き攣らせた。
「つまり、捕獲の時点で魔生微生物は見えていたはずだ」
はずだ、と可能性の論調だが、ロレンの中では既に決定事項のように扱っている。リディはそれを気取って、視線を逸らしてしまった。
事実、微生物は見えていたのだ。ただし、リディがそれを魔生微生物だと認識したのは、ロレンが微生物と発してから魔力の流れを確認してのことだった。紛れもない知識不足であり、それを真っ当に指摘されてまごつく。
「……魔生微生物の種類を全部把握していないことは仕方がない。だが、報告はできたはずだ。違うか?」
冷厳な声でありながら、ロレンは感情的に責め立てることはなかった。冷静な判断力を求める声に、リディは「はい」と顎を引く。
「威勢がいいのはいいが、できないことはできないときちんと判断しろ。余計な手間を取らせるな」
自分の面倒を押し出さなければいいものを、とリディは思いはしたが、忠告は胸に刻んだ。
「……それから、ついでだ。もうひとつ言っておく」
ロレンの声がまた更に低くなる。
「俺は使えないやつを使う気はない。知らないことを後から言い出すな。報告はすぐさま行うこと。面倒なことは御免被る」
面倒くさがりであることは否定しないらしい。しかし、ロレンの論調は効率を重視したものである。たとえ、その根底に面倒くさがりの性根があるとしても、手を抜く方向へ舵を切っているわけではないようだ。
「はい」
再度、リディははっきりと頷いた。しかし、その態度にロレンは顔を歪める。
「本当に分かっているのか」
「……はい」
ロレンが何故それほどまでに険しい顔をしているのかは分からない。そうまでして再確認されてしまったリディは肯定に躊躇を覚えたが、それでも否定はしなかった。
「……使えないやつはいらないと言ったぞ、俺は」
「魔生微生物の件ではご迷惑をおかけしました。申し訳ございません」
リディは未だに、壁ドン状態から解放されていない。頭を下げるほどの距離がないため、ロレンを見据えたままに謝罪した。
しかし、ロレンの峻烈な顔つきは緩む気配がない。むしろ、剣呑さは鋭さを増しているようで、リディの心を怯ませた。
香に口を挟む猶予は与えられない。
「サキュバスクォーター」
一言。呟くようでありながら、ずっしりと品定めするように発声された音に、リディはひゅんと呼気を揺らした。青ざめてロレンを見る。
その顔色を見て、ロレンは吐息を零した。
「……能力値はどれくらいだ」
「最低限しか使ったことがありません」
「分かった。だが、サキュバスの能力を使えば生物をそれなりに幻惑することができるようになる。夢を見せる術の応用だ。そして、幻惑はお前の視力と相性がいいはずだ。子犬を捕まえるのにも応用できただろう。何故、使わない? 自分の能力を注がずにこなせることだと思ったのか」
「それは」
「使えるものを使わないやつに教える気はない。自分の能力が使えないというのは、安全を手放すということにもなる。本人の手抜かりによる能力不足を救う気はない。やれないなら、向いてない。今すぐ帰れ」
厳格な論を身も蓋もなくぶつけて遠ざけるロレンに、リディはごくりと生唾を飲み込む。
叱責を受けないほど優秀であると、過信していたわけではない。しかし、ここまで苛烈な指導を受け、初日にしてインターンを辞める選択肢を与えられるとも思っていなかった。リディは絶句して、ロレンを見つめる。
「もう、ロレンくん!」
そばに寄ってきていた香が、ロレンの太股を叩いた。せいぜい蚊が刺したほどの力は、ロレンへの抗議としては足りない。それでも、ロレンは香を見下ろして、リディから離れることはした。
しかし、前言を撤回はしない。
「どうしてそういうことを言っちゃうんですか」
第三者による指摘でも、ロレンは引くことはなかった。一度決めたことを貫くと言えば美しい精神だろう。だが、それはリディにとっては手厳しいものだ。
「無駄な時間を過ごさずに済むんだから、優しさだろうが。うちはそんなに甘くない」
ばっさりと吐き捨てたロレンに、香が口を噤む。
香は納得してしまったのか。甘くないということが真実なのか。それ以上、食い下がることはなかった。
ロレンは真っ直ぐにリディを見据える。
「……こっちは魔探偵局との折り合いで受けただけだ。やる気のないインターンなんぞ、いらねぇの」
「やる気はありますっ」
有無を言わさず決めつけられていることに、リディはついに声を荒らげた。確かに、このたびのことはリディの不始末だろう。糾弾されても文句は言えないし、理解もしている。
だが、気持ちを勝手に決めつけられ、将来を潰されてはたまらない。
リディの魔探偵への憧れは、言葉で諌められて収まるほど軽くはなかった。
「あるのに、自分の能力は使わないのか」
「不確かなものは使えません」
「使うつもりもなさそうだが」
ロレンの指摘に、リディの荒れる心にブレーキがかかる。
図星だった。高等部。十六歳になろうという年。年頃の女子にサキュバスの能力を使うというのはハードルは高い。いくら幻惑などと有効な名称がついていても、サキュバスとは夢魔だ。
性欲を力にしている。エッチな夢を見せてその力を奪い取る。そうした生命体だ。
クォーターなどでなければ、受け入れざるをえなかったのだろう。しかし、クォーターの血では、サキュバスの衝動などに襲われることはない。それがゆえに、リディは今までそれを忌避してきた。
その潔癖とも呼べる初々しさを、ロレンは見抜いている。そして、的確に貫いていた。
「……これから、やりますよ」
「二度目はないぞ」
初回を一度目としてカウントしてくる厳正さは小揺るぎもしない。それは、面倒な手間をかけさせてしまった結果なのだろうか。
リディは最初から期限を切られる理不尽さを感じていないわけではなかった。
しかし、だからこそ、負けず嫌いに火がつく。それは、ペット探しくらいできるだろうと焚きつけられたのと、大きく変わりがない。
実に扱いやすいインターンであっただろう。
「できないなら、それで」
「できます! やりますよ!」
またぞろ切ろうとしているのを察したリディは、先回りして叫んだ。血気盛んにロレンを睨みつける。
ロレンは視線を泳がすことも口で文句を言うでもなく、それを受け入れた。真っ正面から捉えられたリディは、勢いを殺すことなく言葉を重ねる。
「必ずやり遂げます。万全を尽くします。見返してあげますよ!」
挑発的な啖呵になったのは、ロレンの表情があまりにも挑戦的であったからだろう。
そして、リディからその言葉を引き出したロレンは、今までに見せたことのないほどにいい笑顔を見せた。そのいい、がどの点からであるかは、言及しないでおこう。
「そうかよ」
「そうですよ! 覚えておいてください」
「そんな格好で啖呵切る女のことはそうそう忘れねぇよ」
全裸をからかわれたときのような発言に、リディは眉を顰める。今それを掘り返す必要があるだろうかと、怪訝が深まった。
ロレンの視線が、意味ありげにリディの身体をなぞっていく。舐めるようなそれに、リディは自身の身体に目を落として石化した。
「ぎゃあああああ」
慌ててシャワールームから飛び出たリディのワイシャツのボタンは段違い。下着が覗いていて、肌が露出している。
叫んだリディはそのまま飛び上がるように、シャワールームに逃げ込んだ。
くくくっと愉快そうに笑うロレンの声が、扉を隔ててリディに届いた。香が、ロレンくん! と諌める声が続く。先ほどまでの緊迫した雰囲気はどこへやら。
リディの宣言はなんとも不格好に記憶へ残ることとなったのである。
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