見習い夢魔②

 魔力や魔獣、サキュバスや吸血鬼などの生物が現実的な存在となったのは、今から五十年前のことだ。半信半疑の生物だったそれは、ある日一般人との比率がひっくり返り、この世の常識となった。

 そうしてさまざまな生物と能力が世界にはびこるようになると、法律やマナー・ルールが整備されていく。

 その中で、ただの警官では対処できない事件が起こるようになるのに、時間はかからなかった。

 当然、対応する部署が作られる。それは警察組織とは別に、魔探偵という形で形態づけられていった。その裏側には多様な思惑がのさばっていたらしい。とはいえ、裏の思惑であるのだから、表立って歴史に残るものではなかった。

 いつのころからか、魔術事件は魔探偵局が担うもの。そうした常識ができあがっていった。

 そして、魔探偵局を中央として魔探偵事務所が設立されるようになる。当初は個人の経営であった魔探偵事務所を中央魔探偵局の下部組織とし、魔探偵には資格制が採用された。

 その資格を得るための学校として、魔探偵養成学園が設立されたのはたったの二十年前の出来事だ。

 今、魔探偵養成学園は過度期となっている。この二十年で魔探偵事務所もかなり増え、それに比例するかのように学生も増えてきた。

 学生は、必ずしも魔探偵を目指しているわけではない。魔探偵養成学園という名目ではあるが、ようは魔力を取り扱う学園だ。自分の能力について学ぶために。制御を覚えるために。そうした目的で魔探偵養成学園へ入学してくる生徒もいる。

 能力や制御との付き合いは、生活に密接するものだ。常に見守る必要があるとして、学園は全寮制となっている。

 そして、高等部になればインターンとして魔探偵事務所に派遣されることが決定事項となっていた。これは他の道に進むものにも、それに見合った場所が用意される。何にしてもインターン制は揺るがない。

 その学生であるリディ・ブランジェも例に漏れず、インターン先のエラン魔探偵事務所にやってきたのであった。



 

 ソファで対峙する男女の空気は窮屈なほどに重い。

 居たたまれないのはどちらか、などと無価値な言い争いをするつもりはお互いになかった。なかったが、だからといって居たたまれない心地が払拭されるわけでもない。

 覗いたほう、覗かれたほう。ともに全裸を見た同士。どちらもどちらだ。

 リディは現在、ジャージに身を包んでいる。ジャージはリディが叫び声を上げたシャワールームに飛び込んできた香が持ってきてくれたものだ。大きさから考えても、香のものではなく男のものだと分かる。

 下着の類は濡れていなかったので自分のものをそのまま着られて安堵していたが、全裸を見た相手の服を着ていると思うとすわりが悪い。リディはそわそわと袖を伸ばしたり弄ったりしていた。ちなみに、髪の毛は毛先をタオルで拭っただけに留めている。

 男のほうは、一人掛けのソファにふんぞり返っていた。

 ざっくりと着こなした白いワイシャツに、真っ黒なスラックス。背をだらりと背もたれに預けるだらしのない格好だ。湿ったままの髪が、ひょこひょことあちらこちらに跳ねている。黒縁眼鏡の向こうの瞳は半眼で、やる気が感じられない。

 二度目のリディの悲鳴で目を覚ました男は、どうにか復活したばかりだ。


「ロレンくん、ちゃんとしてください」


 二人の間に挟まるように、男……ロレンの隣にある一人掛けのソファに腰を下ろす香が口を開いた。至極当然の声かけにも、ロレンは香を睨む。

 三白眼の視線は、リディによい印象を与えることはなかった。


「俺はいつも通りだ」

「今日くらい改めてくれてもいいでしょう!」

「大体、何だよ。朝から」


 心底、機嫌が悪い。それを隠しもしない態度は幼稚だ。朝からといっても、業務時間は近付いている。いつもこんなふうらしいという態度も、リディには悪印象だった。

 しかし、それでもリディには後ろめたさがある。

 全裸を見られたのはお互い様かもしれない。しかし、シャワールームの扉を開けた落ち度を、リディは認めずにはいられなかった。

 そのため、大きな態度を取るわけにはいかない。ついでに言えば、インターン生である。お世話になる事務所の主に対して文句を言わない常識くらいはあった。初日だからこそ、礼儀正しくしておきたい。

 そう思うほどには、リディは生真面目な生徒であった。


「まったく」


 この場で一番平静を保っているのは、最も幼い香だ。ロレンの態度もため息ひとつでいなして、リディへと向き合った。


「すみません。こちらがうちの主になるロレンシオ・エランです」


 他者紹介としては正道であっただろう。

 ロレンがここまで大仰に振る舞っていなければ、初対面の橋渡しとして何の問題もなかった。ロレンの胡乱な目つきが何よりの問題だ。

 それでも、リディは内にある生真面目さを捻り出して取り繕う。お世話になる学生としての姿勢を思い出して、丸まっていた背中を伸ばした。

 ぶかぶかのジャージでは格好もつかないが、今はそれはいい。格好よりも姿勢のほうがずっと大切だ。


「本日よりお世話になります。インターン生のリディ・ブランジェと申します。よろしくお願い致します」


 滑らかに頭を下げる。リディの所作に迷いはなく、整ったものであった。

 それに答えたのは、幼いみそらで主よりもよほど麗しく立ち振る舞っている香だ。奇しくも、出会って交わしたばかりの挨拶を繰り返す羽目に陥った。


「こちらこそ不出来な事務所ではありますが、誠心誠意努めて参りますのでよろしくお願い致します」


 香の不甲斐なさの滲んだ声も意にも介さないロレンは、二人の交流を他人事のように聞いている。

 一言くらいあってもいいのではないだろうか。

 流石のリディも、不満の声のほうが大きくなってくる。それほどに、ロレンは不遜で、不要とばかりに口を開かない。


「ロレンくん、何かないんですか」

「……インターン、な」

「忘れてたとか言わないですよね」

「……」


 ついと香から外れた視線が、壁に貼られたカレンダーへ注がれる。その動きに釣られてリディもそちらを見たが、その行為はまるで無意味だった。

 貼られているカレンダーは先月のままで止まっている。何かの予定が書き込まれてはいたが、リディがやってくる日をチェックできるものではない。

 リディは半眼になってしまった。しかし、ロレンはそれに文句をつけることもしない。下手にいちゃもんをつけてこないのは助かったが、ロレンのそれは無関心でしかなかった。

 関心を持って世話してくれなくては困る。

 というほど、おんぶに抱っこになるつもりはリディには更々ない。しかし、お世話になるのは事実だ。おんぶに抱っこになるつもりはなくとも、手間くらいはかけてもらわなければインターンにならない。現状は思わしくないだろう。

 どうしてこんなところに。

 リディはそう思うことをやめられなかった。

 連携している魔探偵事務所は多岐に亘る。しかし、決定権は学園側が持っていた。

 折衝しなければならないので、やむを得ないものだとリディも理解はしている。今このときまで、そこに不満を抱いたこともない。規則であるのだから当然だと。だが、今となっては相談もしてくれないものかという気持ちが拭い取れなくなっていた。

 エラン魔探偵事務所。ロレンシオ・エラン。

 知っていれば、リディはインターン先の変更を申し出ていたことだろう。

 ロレンシオ・エランと言えば、学園でも歴代一位と噂になるほどの最優秀生だ。リディたちの世代になっても、その噂は絶えることなく引き継がれている。

 ただし、それはそのロレンシオ・エランが落ちぶれ、堕落の魔探偵と呼ばれるようになったというろくでもない噂とのセットで、だ。

 リディは眼前にいるロレンを改めて視界に留めた。だらしのない格好に、等身大の表情と粗雑な態度。最優秀生だったと信じるよりも、堕落の魔探偵だと信じるほうが容易い。

 三白眼気味ではあれど、怜悧な瞳に高い鼻梁。整ったとスタイルのよさ。しわくちゃのワイシャツの下にある筋肉質な身体。そうした外見にかまけて堕落に耽る男。

 ロレンの第一印象はとても悪かった。


「やっぱり忘れていたんですね」

「それほど重要なことか?」

「業務はどうするんですか」

「いつも通りでいいだろ」


 香相手でも、ロレンの態度は変わりない。リディだから、粗雑に扱っているというわけではなさそうだ。しかし、常からこうであるとすると、それはそれは面倒くさがりの印象が強まるだけだった。


「……リディさんが手持ち無沙汰になることが目に見えているんですけど、大丈夫なんですか?」

「お仕事、ないんですか?」


 香の言い分に、リディは口を滑らせてしまった。

 仕事がないのは困る。任せてもらえるほどの自信があるわけではないけれど、意志はあるのだ。リディは魔探偵への憧れを募らせて、今日からのインターンを楽しみにしていた。最初から放置をかまされるなんて事態になるのは困る。

 困り顔の香の隣から、ロレンの半眼がリディを貫いた。物言いたげな視線に、リディは微かに身を揺らす。

 ここにきて、初めて意図して視界に捉えられたような気がした。


「インターンに任せられる仕事はすぐにはない」

「……事務仕事でもないんでしょうか」

「参考書でも読んでればいいんじゃないか」

「インターン生です」

「知ってるよ。だから、勉学に励めと言っている」

「お仕事がなくて困るのはロレンさんも同じではありませんか?」


 インターンへの仕事という構文では、相手にしてもらえそうにもない。それを察したリディは、恐れ多くも事務所全体の話として問いを投げかけた。

 ロレンの眉間に皺が寄る。


「それは依頼人次第だ」


 元も子もないことを言う。依頼人ありきなことは、多くの職に言えることだ。簡潔に過ぎて、ロレンの言いたいことがリディに届くことはなかった。

 ロレンに倣うかのように、リディの表情も険しくなっていく。


「魔探偵は警官じゃない」


 唐突に論じられて、リディは一層と当惑を深めた。歴然とした事実を突きつけられては、その真意を掴むことも難しい。

 リディは成績優秀ではあるが、今日出会ったばかりの人間の少ない言葉から真意を見つけ出せるほど、世慣れてはいない。

 ……いや、それができる人は、何かそういった特殊魔術を持っているだろう。リディにそんな能力は備わっていなかった。

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