見習い夢魔③
「いいか。魔探偵は警官のように常に警備をして備えるものたちのことじゃなく、魔術が悪用された有事に動くものたちのことをいう」
「分かっています」
座学の基本だ。今更、学園の授業のようなことを言われても、困惑は消え去らない。不承不承ながら返答したリディに、ロレンの顔つきは峻厳になった。
「分かっていない」
歯切れよく切り捨てるロレンに、リディも渋くなる。
リディは座学の試験ではトップだ。実践になれば不足はあるだろうが、こればっかりは理解していないとは思わない。不服を隠すこともできずに、不貞腐れた顔になる。
ロレンの言葉足らずに、香の視線が文句を垂れた。しかし、ロレンはそれだけで十分とばかりに説明を放棄している。粗雑さもここまでくれば、看過されない。
「ロレンくん、教えるつもりがあるのなら最後まで行うべきですよ」
「……香さんは意味が分かっているのですか」
リディは香をどう呼ぶのか些か迷って、しかしインターン先の人間であることを重視した。年下の可愛い女の子扱いは不躾であろう。香は気にしない性質だったが、リディに分かるはずもない。
「いえ、ボクには分かりません」
ふるっと首を左右に振ると、香はへにょんと眉を下げた。幼い女の子に弱々しい顔をされると、どうにも居心地が悪くなる。リディはわけもなく申し訳ない気持ちにさせられた。
「ロレンくん」
香の声音が毅然とした響きになる。表情は冴えないが、ロレンを咎める声は堂に入っていた。日頃の様子が垣間見られるというものだ。
「……有事に動くと言っただろ。それ以上、何がいるんだ? 誰も依頼に来ないのに仕事も何もない」
「こちらから動き出すことは……」
リディの問いは、ロレンの鋭利な眼光に掻き消された。分かっていない、とその瞳が克明に突きつける。
「いいか。魔探偵なんつーのは、平和な世の中には必要ねぇ」
自分の職業を真っ二つにするロレンに、リディは瞳を見開いた。
「依頼人が来なきゃそれに越したことはない。違うか」
低い問いかけは、職業を蔑ろにしながらも、世の中を広く捉えたときには正しくあった。
そんな世界は夢物語だと言える。しかし、問題が起こらずに依頼人がいないことを喜ぶべきだという論も、リディには分かった。
リディは、魔探偵となって人を救いたいのだ。いつか自分が救われたときのように、誰かの人生を救えるようになりたい。覚えていないことばかりではあったが、根ざした感情は消えることがなかった。
だから、依頼人がいない平和を告げるロレンの言い分に、納得してしまいそうになる部分がある。
そうした緩やかな譲歩が、ロレンには通じたのだろう。ロレンのほうも、僅かに険が薄れた。
「そういうことだ。勉強でもして待っていればいい」
これで終わりだとばかりの言い草は、ここで食いつかなければ置いていかれる危機感をリディに抱かせる。それほどまでに、ロレンの口調はぞんざいであった。
「事務仕事でも構いません」
縋るように言うと、ロレンは気怠げにリディを見る。洞察するような視線で舐めあげ、香へと視線を移動させた。その意図を計りかねるリディは座して待つ。
「教えられるか?」
「ボクに任せるつもり?」
「いつもお前がしてる仕事だろうが」
「ロレンくんが面倒くさがってやらないんじゃないですか!」
「先にお手伝いをすると言ったのはそっちだろ。インターンの世話もお手伝いの一環だ」
「ボクに甘えているなんて、恥ずかしいと思ったらどうですかね?」
「今更なことをぐだぐだ言って絡むのはよせ。インターン生が困っているだろ」
「困らせているのはロレンくんでしょ」
それはまさしく正論だった。
ロレンの態度が一番の問題だ。リディが困っているのはそちらである。香の言葉は、リディにとってはありがたいかつ、しっかりしていると感じさせるものであった。
ロレンはふんと鼻息を吐き出すような呼吸遣いで、会話を切り上げてしまう。
そのままくわりと欠伸を繰り出す自由奔放さに、リディは呆れ返った。表情を取り繕うことも惜しい。
しかし、リディのそんな態度を見ても、ロレンは歯牙にもかけないようだ。インターンの態度として責めることもしなかったが、自分の行動を改めることもしなかった。
「まったく」
折れたのは香のほうで、ロレンはまったくもって大人げない。魔探偵事務所を設立できるのは、学園を卒業した生徒だけだ。間違いなく大人なのだから、大人げないというより他になかった。
「依頼が来たときはきちんと対応してくださいね」
「いつもしてるだろ」
「リディさんのことを言ってるんです」
「あー、はいはい」
ずっと議題に上がっているのに、言われて初めて存在に気がついたかのような相槌を打つ。どう考えても歓迎されていない。ロレンの態度に、リディはめっきり気持ちを沈めた。
リディはやる気満々。そうした心意気でここにやってきたのだ。初手から子犬にぶつかられて用水路に落ちるという手落ちをしでかしはしたが、やる気が目減りしたわけではない。今だって、やる気に満ちあふれている。
それをロレンは認める気配がない。リディという存在を面倒なものとして思考の外に置いているようだ。目指しているものを邪険にされたような気がしたリディは、ぎゅっと拳を握り締めた。
香が事務仕事を教えてくれるというが、それ以上の期待ができない。魔探偵として幻滅させるようなことはしないで欲しかった。
堕落の魔探偵。
最優秀生として、かつてサロギにあった魔術研究所での事件を解決したはずの男が、卒業以来実力を発揮しなくなった。それがゆえについた肩書きだ。
リディはそれを頭から信じていたわけではない。
だが、現実のロレンを見れば、その噂があながち間違っていないことを感じる。むしろ、学生時代の成績のほうが何かの偶然ではないのかと疑うほうが早いような気さえした。
考えれば考えるだけ、リディの気持ちは沈下していく。
「きちんとリディさんのことを覚えておいてください」
よもや、眼前にいる人間のことをそんなふうに言うことになるとは、香も思っていなかっただろう。ロレンの態度は、それほどまでに適当であったのだ。
そして、その態度が改められることはない。香の言葉に半眼したロレンは、リディにじろりと目を向けた。その視線が、ゆっくりとリディの存在を瞳に焼き付けるように全身を観察していく。
居場所がない気持ちになったリディは、身を固くした。何を観察されているのか分からない。目的不明の視線に晒されて、お気楽ではいられなかった。
一度はどこにも引っかからずに進んでいた視線が、往復して胸元辺りに留まる。リディは思わず、胸に手を置いてしまった。
ロレンが浮かべた薄い笑みは、悪辣なものだ。
「全裸を見せてくる女のことなんて、そうそう忘れるわけねぇだろ」
リディの顔が羞恥と怒りで真っ赤に染まる。
ロレンは意に介さずに、前髪を掻き上げながら立ち上がった。そのままスラックスのポケットにだらしなく手を突っ込んで、本棚の一部に隠れるように存在している扉へ向かう。くわりと大口を開いた欠伸は、隠されることもなかった。
「じゃ、せいぜい頑張って、インターンちゃん」
侮っている。ふざけている。そのさまを包み隠さないロレンが、すれ違いざまにリディの肩を叩いて扉へ入っていった。
ロレンくん! と叱りつけるように名を呼んだ香の声が虚しく部屋に響く。
リディは当てつけのように全裸をあげつらわれたことと、前途多難な未来にがっくりと項垂れた。
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