見習い夢魔④

 結局、ロレンはそのまま扉の向こうの主となり、リディは香に事務仕事を教えられることになった。

 とはいえ、仕事の量はあまりない。事前に言い合ったように、依頼人ありきだ。現状、こなさなければならない事務仕事もない。

 香は今までの事件ファイルをリディの前に並べた。書類の形式を教えるためでもあったが、半ば時間潰しの読み物としての提供だっただろう。過去の事件を知ることも勉強になるだろうという言い訳も、香の中にはあったかもしれない。

 香のそうした魂胆よりも、リディはその面を重点的に捉えている。これから先の事件に関してあまり前向きになれない現状、現実に起こった事件を知ることは経験不足を補うことになるはずだ。リディは魔探偵になるために貪欲であった。

 リディは夢中で書類ファイルを捲っていく。

 中身は、大半が僅かばかりの魔術が関連した事件が多い。いくら魔術を悪用するといっても、重大な事件になるようなことはそうそうない。それは今まで行われてきた魔術を用いない犯罪と大きく違わなかった。

 なので、書かれている事件は、浮気や迷子、ペット探し、万引きなどの軽犯罪や軽事件が多い。

 これはロレンが地域に根ざした魔探偵であるがゆえなのだが、リディがその辺りの事情を知るわけもなかった。

 堕落の魔探偵という前評判も悪いように作用する。学生時代には大事件を取り扱った生徒なので、今それをしないことを無念に思う気持ちが大きくなった。

 リディは紙を捲るたびに肩を落とすような心地になる。しかし、書面から学べることもあった。

 所謂、犯人。それが所持する特殊魔術についての記載がある。それを学ぶことは、リディにとってとても有意義なことだった。

 人々が扱える魔術には、系統魔術と特殊魔術が存在する。

 系統魔術とは、家系で引き継がれる属性魔術だ。

 水、火、風、緑、地、氷、雷、闇に光。種類は詳らかにされている。リディであれば、ロレンを攻撃したように風だ。同じ系統を持つものは、同じような力を発揮する。

 また、系統魔術は魔力の性質を現すものだ。

 魔力は魔術を使うに必要な源であり、それは体内の不可視の管を駆け巡っている。いわば、血液と同じようなものだ。そして、その系統とは血液型と同じようなものであった。

 一方で、特殊魔術とは個人に与えられる、たったひとつの能力だ。

 その能力に際限はなく、多種多様である。誰とも被ることのない力であるので、その対応策も一概には言えない。つまり、特殊魔術に対する知識はその分だけ収集する必要がある。

 勿論、知識があれば対応できるものではない。他に例がないのだから、その場で対応しなくてはならないのは変わりがなかった。しかし、元より知識がなければ相手にもならないだろう。

 多種多様とは言え、似たような魔術は存在する。それを学ぶことは大いに意味があった。リディはこの書類にはその価値があると手を進める。

 書類には、天候を操る魔術や、自身を透明化させる魔術。そうしたものがたくさん書かれていた。どういう原理だろうかと思索するのが面白い。リディは知的好奇心を満たして貪った。

 そうして、どれくらいの時間が経っただろうか。

 びーっと鳴り響いたチャイムに、リディははっと顔を上げた。書籍を手にソファに座っていた香が、同じように顔を上げている。


「避けてくれるだけで構いませんので、片付けていただけますか?」


 テーブルの上には事件ファイルが山積みになっていた。リディは香が依頼人を招き入れることを理解して、すぐに作業に移る。

 香もさっと本を横に避けていたが、そばにあった本の山に積み上げているだけだ。リディはこの散漫とした部屋ができあがっている原因のひとつを知った。

 ロレンの適当さから考えれば、それだけではないだろうけれど。香も案外適当なところがあるようだ。

 しかし、すぐに扉へと向かう凜とした後ろ姿は、香が事務員として日頃から業務をこなしていることを感じさせた。リディが片す間に、香は既に依頼人と挨拶を交わしている。

 依頼人をソファへと案内している間に、ロレンが奥の扉から出てきた。姿形が整えられていて、先ほどまでリディに見せていた面倒くさそうな表情は微塵もない。


「いらっしゃいませ。どうぞ、おかけください」


 ロレンの口から奏でられた音かとリディが疑うほど、柔らかい声で対応する。

 ボタンすらまともに止められていると言えなかったワイシャツが整えられ、黒いネクタイが揺れていた。跳ね回っていた髪の毛もうなじでひとつにまとめられ、短いしっぽができている。

 背が高く鍛えられたシルエットは、ひどくスマートな仕事人に見えるのだから卑怯だ。リディは何かの詐欺かと目を剥いた。

 二人掛けのソファに案内された依頼人は、栗色の髪の毛を巻いた奥方様だ。上品なワンピースで、しゃなりとした物腰で席に着いた。

 ロレンがその前の一人掛けソファに腰を下ろす。リディが勝手に座っていい場所など分かるはずもなく、ロレンの後ろに待機した。小間使いのようだが、実際インターン生として正式に取り扱ってもらえていない。小間使いのほうがまだマシな扱いだろう。

 リディが内心へこんでいることも構わず、事態は進んでいく。香がコーヒーカップを置いたところで、


「依頼内容をお聞かせ願えますか」


 とロレンがソフトに切り出した。香はロレンの隣にある一脚に腰を下ろす。

 奥方様は頷くと、すぐに鞄の中から紙を取り出した。それをロレンに差し出しながら


「コロンちゃんがいなくなってしまったのです」


 と端的な依頼を告げる。

 ロレンはその紙……写真を受け取ると、目を落としてからすぐに顔を上げた。ちらりとリディを振り返ると、何も言わずに写真を差し出してくる。リディは驚きながらも、流れに身を任せて写真を受け取った。

 映し出されていたのは、茶色の毛が長い子犬だ。その子犬には見覚えがある。リディがそれに気がつくころには、奥方様から事情説明がなされていた。

 昨晩、子犬が家に帰ってくることはなく、朝になっても姿が見えないことから、エラン魔探偵事務所を訪ねてきたという。

 名前はコロンちゃん。魔犬であるが魔力抑制手術を受けている犬種で、ペットとして問題なく過ごしていたという。逃げ出す心当たりはない。お散歩で周辺を歩き回ることはあるが、遠出したことはない。

 ロレンは差し出口をせずに、詳細を聞き及んでいた。情報収集にしては雑談のような話も挟み込まれるが、ロレンは少しも嫌な顔をしない。

 その後ろ姿を、リディは意外な心地で見つめる。堕落の魔探偵を補強するような態度ばかりを目撃してきた。依頼人相手でもいい加減であるのではないか。そんな予測をしてしまうほどに、ロレンの印象はよくなかったのだ。

 しかし、眼前のロレンは、依頼人に寄り添うように話を聞き、魔探偵をこなしている。最優秀生だった。その片鱗を見ているような気がして、リディは奇妙な心持ちになる。ロレンの印象が掴めない。


「お願いできますでしょうか?」


 ペット自慢になりかけていた話に幕が引かれた。不安がうんと詰まった問いに、ロレンはにこりと微笑みを浮かべる。


「お任せください。万全を尽くさせていただきます」


 勇ましく請け負ったロレンに、奥方様は再度お願いしますと頭を下げた。

 それから名前などを伺い、依頼書類を完成させる。作り上げたそれは、香がファイルに綴じて保存した。写真もお預かりする。

 奥方様は最後にもう一度、お願いしますと告げて、扉を潜っていった。ロレンは最後まで何度でも、承りました、と頼りになる魔探偵としての姿を崩さなかった。

 しかし、扉が完全に閉まり、玄関から続く鉄の階段を下りていく音が聞こえてくると、途端に肩の力を抜く。ロレンはどさりとソファに腰を下ろすと、テーブルの上に足を乗せて弛緩した。

 その変わり身の早さに、リディは目を瞬いた。

 どうすればこんなことになるのか。

 まるで依頼人を騙しているかのような態度だ。いや、依頼人相手に無作法な態度を取らないことは褒めるべきことなのか。しかし、裏の態度が悪いのも大概だ。リディはやっぱりロレンのことが掴めずに思いあぐねた。

 そんな心境に露些かも意識を払わないロレンは、


「インターン」


 とリディに視線を投げてくる。

 顎をくいっと引く仕草は、こちらへ来いというボディランゲージだろう。従って当然とばかりの雑な態度に、リディは不平を覚えながらも近付いた。


「お待ちかねの仕事だ」


 不遜に言うと、ロレンはリディの持つ写真を指差す。

 リディはもしや、という予感がひらめいた。自分でも何故それが理解できたのか納得したくない。しかし、リディが察したことを察したロレンの軽薄な笑みを見て、それが正しいことがリディにも分かった。

 リディに向かって笑みを浮かべるロレンは、先ほどまでとはまるで違う。人を食ったようなもので、リディの神経を逆撫でした。


「できるだろ?」


 リディは身を強張らせて、写真を握る手に力を入れる。

 本日配属のインターンだ。実戦を任されて即応できるほど、リディは自分に自惚れてはいない。しかし、できないと言うことも憚られた。不真面目だとは思われたくはない。

 その困窮に、ロレンの嫌味な笑みが深まる。


「やりたくないならそれでもいいぞ」


 挑発するような言いざまに、リディはぐっと顔を持ち上げてロレンを睨んだ。紫苑の瞳がぬらりと輝きを放つ。濃い色を写すそれは、リディの熱量を感じさせるに十分だった。


「やりますよ!」

「じゃあ、行ってらっしゃい」


 意気込んで答えたリディに、ロレンはあえなく見送りを告げてソファに横たわる。

 手伝ってはくれない。教えてもくれない。

 その態度を見て、信頼から仕事を一任してもらえていると思うほど、リディは脳天気ではなかった。

 侮られている。測られている。試されている。そうした含意を感じて腹立たしい。リディは一切引くつもりはなく、心に火を灯す。


「行って参ります!」


 写真を片手に威勢よく叫んだリディは、ロレンのジャージに身を包んでいたことも忘れてローファーを高く鳴らしながら事務所を後にした。

 ばたんと激しく閉められた扉の音が室内に残響する。それに呼応するようにため息を吐いた香の非難に、ロレンが酷薄な笑みを浮かべた。


「リディ・ブランジェにとってはそう難しい仕事じゃねぇよ」


 そのとき、知っていて当然とばかりに、ロレンがようやくリディのフルネームを口にしたことを、リディが知る由もない。

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