FILE.XXX

「いい加減、そろそろ自重したらどうだ」

「腕を上げてきているところなのに、どうして自重になるんですか」

「自由自在になったからこそ、自重しろと言ってるんだろうが」


 起きてきたばかりのロレンの愚痴に、リディが不貞腐れる。自重を求められる理由に納得がいかなかった。

 ロレンの朝が、リディの淫夢による起床であることは続いている。その言い争いだった。ロレンの嫌気の差した顔に対して、リディも不満を隠さない。

 自重を求める正当な理由にちっとも気がついていないリディに、ロレンは呆れて吐息を零した。


「本当に自在になったら困るのはそっちだろうが」


 意味ありげに唇を歪め、リディの顔を熟視する。その視線は、唇に一点集中していた。言いたいことは、リディにだけは届いたらしい。方向性を示してやればすぐに気がつける勘はあるのだから、日頃からもう少しアンテナを張って生活して欲しいものだ。


「っロレンさんが、我慢すればいいと思います」

「上司に嫌味を言えるようになったか」


 あの夜のことは、結局生半可になっている。リディもあえて責めたりもしないものだから、ロレンのほうから繰り返すつもりもなかった。

 そのくせ、まるであの日我慢できなかったことを非難するような言いざまをして寄越す。リディにはそんな計算はなかったが、ロレンはそう言って睨みを利かせた。


「なんだ。朝から喧嘩か?」


 ふわああと欠伸をしながら入ってきたレナートが、否や口を開く。

 レナートの立場が改めてリディに説明されることはなかった。すべて伝えたはずだとばかりに、レナートは偽りなく派遣社員として活動を続けている。

 監視役だと正々堂々とした態度は、いっそ清々しい。その清々しさで、掴まった犯人たちの処遇も報告されていた。

 男たちは、魔探偵局からの視察としてロレンたちが動いていると考えていたらしい。実際のところ、ロレンはそれを取り引き相手へ渡していたので、摘発することが目的ではなかった。一応、魔探偵局の社員がレナートの手配で間に入っていたらしいが、あくまでもフォロー役でしかなかったらしい。

 依頼は取り引きを求めている相手からだった。その依頼を受けていることに、リディは思うところはあるが、とはいえそうした勘違いから、犯人たちはロレンの情報を絶つために動いたらしい。

 リディの存在について、調べが正確でないうちに動いたのは、行き当たりばったり。おかげであれほど杜撰で、ロレンがあっさりと片をつけてしまえたというわけだ。

 あっさり、というにはあれから一週間きっちり入院させられてしまっていたが。それ以降、ロレンは通常運転に戻っている。

 リディを助けた際の全力は、まったく出すつもりはないらしい。リディとて、あれを常に出されても心痛がたまるばかりだと思うが、堕落を極めきっているのもどうかとは思う。

 改めてこの人に師事しようと心に決めてかました宣言が、多少なりとも歪みそうだった。

 ……簡単に諦めるつもりはないけれど。


「いつものことですよ」

「毎朝やってたの?」

「レナートさんが知らないだけです」

「香ちゃん、よく黙って聞いてられるなぁ」

「リディさんがロレンくんを起こしてくれますからね。ありがたいばかりです」

「ちゃっかりしてる」


 肩を竦めるレナートに、香がへらりと笑う。その笑顔に、つらい体験をした形跡はひとつもない。

 リディは事情を聞いたことを香に悟らせていなかったし、ロレンもそんな話をしたことを伝えていなかった。わざわざ言うことではないという共通認識だ。それはこの小さな子どもが、子どもらしく振る舞えている現状を鑑みてのことだった。

 ロレンも香のこととなると、いくらか慎重になるらしい。と、リディは近頃ようやく気がついた。


「それにしても、レナートさんがこんなに朝早くに顔を出すなんて珍しいですね」

「ああ、仕事だよ」


 にこりと微笑んだレナートが、ロレンに向かって書類を差し出す。

 今までであれば、リディは大した感慨もなくその様子を見ていたはずだ。しかし、今となっては、それが魔探偵局を通じてのものだと察せられる。

 ロレンが大層面倒くさいという顔をする理由も分かった。

 そんな顔をしながらも、書類に目を通して息を吐く。如才なく把握したらしいロレンは、その紙をひょいとリディへと寄越した。

 突然のことに戸惑いつつも受け止める。


「確認しろ。すぐに出るぞ」


 よれたシャツに寝癖のついた髪。動き出そうとしたら、それを整えるのに時間はあまりかけない。ロレンが準備を開始したのを見て、リディは慌てて書類の確認を始めた。


「……すっかり馴染んだね」


 その様子に零したレナートの感想に、リディはにこりと笑う。だから、やめるつもりは毛頭ない、とばかりの表情を、レナートは明確に受け取って苦笑いを浮かべた。


「まぁ、よく励んでよ」


 当人がいいのなら構わない。レナートはやはり監視者の素質があるのか。適度な距離感で答える。

 たったそれだけの短いやり取りと確認の間に、ロレンはすぐに戻ってきた。どんなに整えていても、ポケットに手を突っ込む無造作な歩き方は変わりない。


「ロレンくん、ネクタイ曲がってますよ」

「あ?」


 面倒くさそうな相槌で、ロレンは指をかけて整える。しかし、それは正確ではなく、香は首を左右に振った。


「ロレンさん」


 リディがそばによると、ロレンは首元を預ける。リディは手早くネクタイを整えた。


「おいおい。しっかりしろよ、ロレン。学生に世話されてちゃ締まりがないぞ」

「うるせぇよ」


 レナートのからかい口調を面倒だとばかりに切り捨てたロレンは、さっさと踵を返して歩き出す。

 相変わらずの適当さにレナートは肩を竦めて、香とアイコンタクトを交わした。


「行くぞ、インターン」

「はい!」


 いつも通り。名前は呼ばれない。しかし、リディは悔しさも隔たりも感じることはなく、元気に返事をして後を追う。

 やる気のない丸い背中が、開かれた扉から注ぎ込んだ光に輝いていた。

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見習い夢魔と堕落の魔探偵 めぐむ @megumu

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