堕落の魔探偵⑥

 リディは呼吸を止めずにはいられなかった。

 レナートから最悪の予想を聞くよりも、当人からやったことを告げられるほうが衝撃度は強い。

 しかも、消したと言うのだ。ただ殺すのとも違う。ロレンの魔術では、存在を消滅させることができてしまう。

 跡形もなく。場合によっては、生きていた痕跡すらも隠滅してしまえる。

 呑んだ息がごくりと喉を鳴らした。大仰な反応になってしまったリディに、ロレンは更に苦い笑みを貼り付けて、一本調子で唇を開く。


「消したのは、研究所の所長夫婦で、香の両親だ」


 ひゅんと派手な呼吸音が、夜の帳に響いた。

 一切の反応をしなくなったリディに、ロレンは苦いものを噛み締める。だが、話はまだ終わりではない。ロレンは引き続き、舌を動かした。


「香にも人体実験は行われていた。あいつはボロボロで、そうして無能になっていた」

「無能……? 消したってことですか? 娘から魔術を奪ったんですか? どうやって? 魔力を消した??」


 リディは一気に混乱の坩堝に陥る。特殊魔術を消したなんて話は、一寸たりとも聞いたことがない。

 魔術を消すというのは魔力の消滅ではないのか。魔力の消滅は死だ。しかし、香は生きている。一体何をどうすれば、無能になるというのか。ロレンが魔術を使って人を消した、という現実よりも、よっぽど意味が分からない。


「無能は能力がないことじゃない。能力をなくさせる魔術のことだ」

「なくさせる……」

「両親を消した俺を抑制したのは香自身だ。あいつが俺の最終ストッパーだよ。お前もサキュバスの血が弱まったはずだ」

「そんなことできるんですか!?」

「倒れたのはそれだ。媚薬の効果を抜かせたからな。サキュバスの血にも影響が出たはずだ。詳細は調べない限り分からねぇけど……血液検査の結果はまだだろ?」

「そうですね。このざまなので、受け取れてません」

「どうせなら、検査入院させてもいいんだけどな」

「このままですか?」


 ロレンは思いつきのようだったが、反面差し迫った感想でもあるようだった。何しろ、効率重視だ。それもいいかもしれないと本気で考えていることは、リディには分かった。


「学園に戻らなきゃならない急務もねぇだろ」

「報告しなきゃいけないと思いますけど」


 ロレンが思い出したかのように舌打ちをする。なんとも乱暴で、リディは苦笑をしてしまった。

 いつもは月に一度で構わないが、さすがに自分が被害者として巻き込まれた事件の報告は必要だろう。すぐに求められるはずだ。どちらにしても寮に戻るとはいえ、学園からの呼び出しもあるに決まっている。

 それに、


「家族にも連絡しておきたいです」

「……そうだな」


 舌打ちをしでかした乱暴な態度は消え去り、慮るような相槌が返ってきた。ロレンは決して、人情がないわけじゃない。

 家族と零したことで、リディは残っている疑問が胸を突いた。


「……今、香ちゃんはどうなってるんですか」


 尋ねたかったことは、香の家族や生活についてだった。どうにも曖昧になってしまったのは、両親を消してしまった張本人に尋ねることに踏ん切りがつかなかったからだ。


「俺の養子だよ」

「それは……」


 ロレンの人の良さを感じるとともに、香の感情へ思考を飛ばすと、複雑な念が絡み合う。

 人の感情が多面的だなんてことは明快なことだ。けれど、リディは今ほど感情の振れ幅が大きくなったことはなかった。

 飲み込んだ言葉が何だったのか。リディ自身にもそれは不明だった。それだというのに、ロレンは当たり前のようにリディとの会話を続ける。


「香は、両親のことをあまりよく思っていなかった。苦しい思いもしただろう。本当は、ちゃんと覚えていないだけで、大事にされてる記憶もあるのかもしれねぇけどな。少なくとも、あいつは俺がどういう存在で、その上で籍をともにすることを納得してる」

「……それ、当時に納得できてたんですか」

「完全とは言わねぇよ。今は魔術道具のペンダントで記憶の詳細が開かないようにしてあるしな。でもな、そうでもしなきゃ、香はどこかの施設で実験体になってたかもしれない」


 世知辛い。そして、嫌な現実だ。

 けれど、リディにだって香の希少性は分かる。特殊魔術の調整に成功した子だ。そんなもの、この世に一人しかいない。ロレンが保護していなければ、どうなっていたことか。考えるだに醜悪な想像しか巡らなかった。


「ロレンさんは、大丈夫なんですか」


 聞いてよいものか。そんな葛藤は、抱くだけ無駄だとリディは割り切った。どうせここまできたら、という開き直りもあった。今聞かなければ、後々まで考えが拭えない状態が続くはずだ。

 リディは自分がそういうものを切り捨てていけるほど器用ではないと自覚している。


「何がだよ」


 そんなリディの勇気を無駄にするように、ロレンが空惚けるような相槌を寄越した。リディは不満に顔を顰める。ロレンはまるでそれが見えているかのように肩を竦めた。タイミングのよさに、リディはますます渋面になる。


「……ロレンさんは、つらくないんですか」


 一番苦しいのは香で、その順番を間違うつもりはなかった。リディはロレンに特別同情しているわけでもない。それでも、考えるのをやめることはできなかった。


「……そんなもん、感じてもしょうがねぇだろうが」


 ロレンは合理的で無駄を嫌う。そんなことは嫌というほど思い知っていたリディだが、こればかりは許容できかねた。

 気がついたときには、ベッドから降りてカーテンを開いていた。素足で踏むリノリウムの床は、ぺたりと足裏にくっついてひんやりとした温度を伝えてくる。

 そこまでは勢いだけで行動できた。しかし、ロレンを目の前にすると、それ以上の行動が出てこない。リディは情けなくも、ただその場に立ち尽くすだけになってしまった。

 驚いたロレンの顔が、少しずつ苦笑いに変化していく。


「お前がそんな顔してんじゃねぇよ」


 困惑を隠しきれない表情で、チョップのような手つきがリディの頭に落とされた。それはちっとも痛くなくて、リディは妙に泣き出しそうになってしまう。

 ロレンシオ・エランは、決して自ら望んで第一級危険魔術師になったわけではない。そんな大犯罪者のような感情を持ち合わせてもいない。

 インターンがくだらないことで揺らぐのを、完全に見捨てはしないほどに。失敗を叱って煽って、向き不向きを見極めて諦めさせようとさえしてくるほどに。真面目に人を取り扱うところがある。

 素直ではないし、優しくはない。面倒くさがりなのは事実で、適当なこともしょっちゅうだ。それでも、リディを不条理に放り出したりはしない。気遣わないわけじゃない。

 そんな人が、人を消した過去を抱えているなんて、つらくないわけがなかった。

 リディはぎゅっと拳を握り締めて、下唇を噛み締める。堪える態度を堪えきれなかったリディに、ロレンは重ねて困惑を滲ませた。

 自分が泣きそうになっている場合じゃない。つらいのは自分じゃない。そう分かっていても、感情表現のすべてを制御下におけるものではない。リディは無力な自分が忌々しくて仕方がなかった。


「いつまでも裸足で突っ立てんなよ。ベッドに戻れ」


 半分くらいは、そばに突っ立ってられていることに面倒くささが先立ったのだろう。それでも、今のリディは気遣いとして処理してしまうほどには、感情が揺り動かされていた。

 軽いパニック状態だったと言っても過言ではない。リディはまたぞろ感情が爆発して、衝動的な行動を取っていた。

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