誘惑の一手②
紛失物捜しに時間はかからない。リディの助力もあって、事件はあっという間に解決した。レナートの予想していた所要時間は大幅に削られ、数時間の余裕が生まれたほどだ。視力強化の有用性に、レナートは改めて感心していた。
「魔探偵にはお誂え向きと言えるね、リディちゃんの特殊魔術は」
「ありがとうございます」
ロレンにはあまり褒められることはない。折りにつけ感謝を告げてくれるレナートに、リディは照れくささを覚えながらお礼を返した。どうにも不慣れになったことは誤魔化せなかっただろう。レナートが微苦笑になった。
「時間も余ったし、ちょっとカフェでも寄って一服していこうか」
「いいんですか?」
ロレンなら、早く終われば終わっただけ早く帰宅する。どこかに寄り道していこうなどという発想は出てこない。ただしこの場合は、レナートが遊び慣れているという対称性もあるだろうが。
「構わないよ。好きなもの頼んで」
にっこりと笑うレナートの笑顔に飲まれて、リディは頷いてしまった。
ロレンや香に知られたら、不安視されるかもしれない。そんな思いがなかったわけではなかった。二人が異常なほどにレナートを警戒するものだから、リディまでも警戒心を煽られてしまっている。
実質的に何をしているのかを把握しているわけでもないのに、警戒だけが過剰に上昇しているとも言えた。リディはそれに対して多少の罪悪感がある。
他人の評価に振り回されることが悪手であることを、ロレンの件で学んでいた。ロレンには欠点も山のようにあるが、堕落の魔探偵と呼ばれるほど探偵業に対して堕落的ではない。初見でそのことに意気消沈したことには、後悔をしている。
今ではロレンの実力に疑いはないし、尊敬もしているほどだ。
同時に、昨晩の出来事と今朝の書類のことが思い出されて、喉の奥が引き締まる気がした。
リディの気持ちに影が差したことなど気がつかないままに、レナートは慣れた調子でカフェに入っていく。二階にテラス席のあるオシャレなカフェは、女性人気が高そうな雰囲気だった。レナートはその中を突っ切って、二階のテラス席を希望する。
店員さんとも知り合いなのか。親しげな様子で会話を交わしながら、席へと進んでいった。席につくと、街の景色がよく見える。
これは景色のいいカフェになるのだろう。
リディは正直、景色の善し悪しに頓着しない。視ようと思えば視えてしまうのだ。感動というのは薄れる。情緒がないことだとは思うが、どうしても興味が湧かなかった。
「何を選んでもいいからね」
レナートはリディのそんな内心に気づくはずもなく、メニューを差し出して笑う。リディもあえて口にすることはなく、メニュー表を受け取った。
レナートはブラックコーヒー。リディはカフェオレに決める。デザートの有無を聞いたが、リディは遠慮をした。毎日出勤するわけではないレナートとリディの接点は少ない。二人の距離感は、それほどのものだった。
だから、会話も滞る。
リディは口数が多いほうではない。そして、ロレンは唇を動かすことすらも面倒くさがる人間だ。香もまた、読書に没頭する癖がある。結果として、三人の事務所には静寂が保たれている。
エラン魔探偵事務所にいればそれが正常だ。リディもそれに慣れてしまって、強いて会話をするという状況が久々だった。そうした事情も相俟って、言葉が刈り取られてしまったかのようになっている。
「どう? 仕事には慣れた?」
そうした部分を察したのか。それとも、レナートの標準装備の能力なのか。気安く問いが投げられた。
「捜し物には」
「他は、まだ自信がない?」
「経験が足りないと思います」
「まだ一ヶ月半とかそのくらいでしょ? 経験値は仕方がないよ。慣れればいいってものでもないしね」
「そうですか?」
何よりも経験だと言われる。魔探偵とはそういった職業で、現場を知っているかいないかは大きな実力差に繋がるとリディは教わっていた。そして、ロレンの態度もそういった教えから大きく外れているとは思えない。
そんな思考が固まりかけているリディに、レナートはあっさりと笑って頷いた。
「慣れれば慣れるだけ、隙も生まれるから。適度な緊張感は常に必要だよ」
「それは心持ちの問題で、経験数に左右されちゃならないものじゃありませんか?」
「リディちゃんは手厳しいなぁ。その通りだけど、いつになったって経験不足なもんだよ。普通」
「普通」
あえてつけられた言葉を復唱してしまったことに、他意はない。しかし、つけた側には思惑があったのか。レナートは乾いた笑いを浮かべた。
「ロレンは普通じゃないからな」
肩を竦めて呆れたように、諦めたように言う。レナートのそれは親しいがゆえの態度ではあるが、痛切な響きではあった。
リディだって、ロレンが普通ではないことを否定はできない。
持っている特殊魔術がまったく読めないこと。何をするにも適度に慣れ親しんだような、手際の良さが垣間見られること。ロレンはかなり特異な魔探偵だ。
少なくとも、リディが学園で指導を受けてきた講師の魔探偵とは明らかに違う。その実感は確かにあって、それをレナートに肯定されてしまうと苦笑いになるしかない。
その微妙な空気の中に注文した品が届いて、二人は一服を入れた。カフェオレの甘く濃厚な飲み口に、リディはほっと息を吐く。
「……ロレンと何かあった?」
せっかく落ち着いた気持ちが一瞬で暴れた。レナートは涼しい顔でリディを見つめている。それは反応を観察するような冷静な視線であった。
「あいつは妙なところがあるし、任務のためなら何だってやるから、嫌なことがあったら言うんだよ」
「いえ、そういうわけでは……」
リディが真っ先に思い出したのは、昨日のキスのことだった。それを嫌なこと、に分類していなかったことを思い知らされて、リディは更に面食らう。頬に朱色が刷けた。動揺がちっとも収まらない。
リディはもごもごと言葉を濁しながら、カフェオレを口に含むことで語尾を飲み込んだ。
「面倒くさがりなところや適当なところで困ってることがあっても言っていいんだからね」
レナートは、絶妙に話をずらす。事務所での待機時間などで困っていることでもいいのだと、リディの思考の幅を広げた。
そうされたことでリディの思考にもたげたのは、今朝の報告書のことだった。
それこそ、少しも適当ではないところではあるが、キスのことから外れると今リディの頭を占めているのは真新しいことだ。
「何かあった?」
「……レナートさんは昨日の任務の詳細を知っていたんですか?」
それだけで、レナートはリディの引っかかりを察する。そのうえ、ロレンがリディに内容を伝えていないことも容易に予想できた。
そして、レナートがすぐさま納得したことから、リディも自分だけが知らされていなかったことを理解してしまう。実に勘のいい会話は、言外に成立してしまったがゆえに居心地の悪さが漂っていった。
「不満かい?」
「……理解はしています」
否定しなかった不満が、その音には含まれている。レナートはそれを聞き逃したりはしない。人と接することに関して、エラン魔探偵事務所で唯一の窓口となっている男のことだけはあって、気配を読むことには長けていた。
「やり方が肌に合わないっていうなら、インターン先の変更を申し込むこともできるよ」
「……簡単ではないですよね」
そうした特別申請ができるのは、リディだって知っている。だが、それを自分が利用することになるとは思っていなかったし、考えたこともなかった。
それに、特別申請には相応の理由がいる。インターン先の事務所の問題を指摘することにもなるので、慎重になる必要があった。事務所の方針に逆らって、嫌がらせ目的で申請をしてくる生徒もいないわけではない。そうして事務所にダメージを与えることもできるため、申請の審査はかなり慎重に行われる。
そう軽々しく職場放棄することが許されているとは言い難い。
しかし、レナートは軽々しく肩を竦めて笑った。まるで女性をデートに誘うかのように艶やかに。
「エラン魔探偵事務所なら、そう難しくはないと思う」
「え?」
場所特定をされたことに、リディは目を丸くしてしまった。
つまり、簡易に申請が受理される理由があるということだ。それを軽率に伝えてくるレナートにも、リディは驚きを隠せない。
エラン魔探偵事務所に何があるというのか。
「ロレンシオ・エランの噂は知っているだろう?」
「堕落の魔探偵ですか?」
「学生時代の優秀さだよ」
リディはすぐさま頷いた。
魔探偵養成学園にいて、ロレンの噂を知らぬものはいない。それこそ、特別申請が通るとは思えないほど、歴代の生徒の中でも最も優秀な生徒として有名なのだ。
「事件も知ってるね?」
「はい。聞いてます」
「そのとき、ロレンは特殊魔術について人体実験をしていた研究所を壊滅状態に陥れてる。どれだけ少年少女たちを救ったと言っても、あの壊滅状態は魔探偵局としても見過ごすことはできなかった」
「……ペナルティがついたんですか」
「勘がいいね」
それくらいは魔探偵養成学園にいれば想像できる。学園内でさえ、問題児へのペナルティは重い。事件を扱うため、責任能力をかなり重視される。退学を突きつけられる生徒も珍しくないほどだ。
それが魔探偵局直々のペナルティと聞くと、それだけで姿勢が正される。
「ロレンシオ・エランは第一級危険魔術師に指定されている」
「なっ……」
第一級危険魔術師というのは、凶悪犯罪者に与えられる区分だ。
連続殺人事件の犯人や、テロリスト。大事件としてテレビで特集されるような危険な魔術師に与えるものを、ロレンが与えられている。
リディは衝撃に愕然としてしまう。
「ロレンの特殊魔術は、端的に言えばコピー。正確に言えば、理解・分解・再構築の三工程のあるものだ。少しくらい、心当たりがあるんじゃないか?」
「……はい」
リディは、どうにか返事を捻り出した。
超理解なのかと考えたことはある。そこに二つの要素を足されて、ずっと疑問に思っていたことが腑に落ちた。分解があるならば、結界を消滅させることもできる。再構築があれば、リディの理解した能力を自分のものとして再構築することもできるだろう。
そこに到達したとき、リディはロレンの能力の特異性と危険性にぞわりと肌が粟立った。
人の魔術をコピーできてしまう。それは特殊魔術がひとつではないのと同義だ。工程や制限があるとしても、十分に一人の魔術師としての技量を超えている。
「工程、としているから、それはひとつひとつでも完結する」
「ひとつひとつでも」
つまり、単純に言っても三つの魔術を持っている。それは魔探偵局から取扱注意になるのも分かる気がした。
しかし、レナートはそれを上回ることを、今までと同じ調子でリディにもたらす。
「特に分解は厄介だ。人間だって、最悪国だって分解してしまえる」
スケールの大きさに、リディは魂が飛び出していってしまったようだった。脳の処理が追いつかない。
愕然としているリディを前に、レナートはコーヒーカップを傾けた。
今まで普通に、ともすると慣れ親しんだ相手のように触れ合っていたインターン先の魔探偵が、第一級危険魔術師に指定されていると知った衝撃はでかい。リディの戸惑いを察したレナートは、それを配慮して平然と待っているだけだった。
だが、リディにしてみればレナートが何を考えているのか分からなくなるだけだ。国を消せるなどという大規模で、凶悪なんて言葉では収められないことを平気で言う。その能力を持つロレンがどうこうというところに辿り着くよりも先に、レナートの平然とした態度への疑念が膨らんだ。
何にしても、途方もない動乱であった。
「……そんなふうに目をつけられている事務所からの移動申請は問題になりませんか」
「それはロレンがなんとでもすると思うよ。それに、今更申請ひとつで揺らぐようなものでもないしね。エラン魔探偵事務所は、かなり問題視されているんだ。リディちゃんの受け入れも、ロレンは最初拒否した。けれど、魔探偵局を通して貢献を求められたら拒否はできないからね。そうした経緯がある。だから、リディちゃんが申請を出したところで、受け入れ準備が十分でなかったという判断くらいしかされないよ。それにまぁ……ロレンは気にしないだろ」
本来なら、自分が拒否されたと言われれば、嫌悪感を抱くものだろう。しかし、レナートの暴露話に、リディは胸が温まるような気がした。
ロレンは初日、リディを追い返すような真似をしている。理不尽極まりない行為だった。
だが、エラン魔探偵事務所の立場からすれば、リディのインターンは決して順風満帆ではない。魔探偵局に目をつけられている事務所で働くことは、リディが何らかの不手際を起こした際には、瑕疵となりかねなかった。
面倒を嫌うロレンが、そうした問題について考えないわけがない。考えたうえで拒否できなかったからこそ、リディに問題を突きつけて退ける道を選んだ。そう考えてしまうのは、リディの頭が都合がいいだけだろうか。
だが、面倒くさがりなゆえに、ロレンの問題回避能力はすこぶる高い。そうした回避行動だったのだと、リディは堕落の魔探偵を信じていた。
たとえ、薬の取り引きを後押しするような仕事をこなすことがあったとしても、それは揺らぎのないものだ。ロレンたらしめている面倒くさがりという一面は、信頼に値する。
とはいえ、一時にたくさんの情報をぶちこまれたリディは混乱の極地にあった。まともな返答をできる精神状態にない。
レナートもそれを分かっているのか。今すぐこの場で決断を迫るような真似はしなかった。
「まぁ、その道もあるんだって、選択肢を考えてみるといいよ。そうすれば、もう少し気楽でいられることもあるかもしれないしね。それこそ、まだ一ヶ月半だから、これからいくらでも状況は変わる」
レナートは言い終えると、伝票を持って立ち上がる。
「俺は先に出るから、ゆっくりして帰りな。今日の報告書は気にしなくていいよ」
レナートは言いつけると、返事も聞かずに立ち去っていった。リディは挨拶を零すこともできずに、その足取りを見送る。とても何かを告げるような気持ちにはならない。
体内がぐるぐると掻き回されていて、嵐のような心境だった。
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