深夜の密会③

「薬の取り引き現場の調査だ」

「取り締まるんですか?」

「いや?」

「は?」


 業務内容を聞いたリディの表情は険しくなる。不具合を訴えるそれに、ロレンのほうも表情が歪んだ。


「取り締まらないんですか……?」


 再確認されて、ロレンは鬱陶しがる顔になった。

 リディが優等生であることを、ロレンは提出書類で把握している。視力強化やサキュバスクォーターも、そこで知り得た情報だ。ロレンはきちんとそれに目を通しているし、必要な情報は頭に入れてある。必要なときに逐一情報収集をして回るような面倒は被った。

 だからこそ、リディの思考が読める。


「調査が仕事だ」

「……」


 リディは黙ることで、ロレンの思考を肯定したようなものだった。

 薬の取り引き現場というきな臭い現場について調べている。それだけで手を引くことに、不満を抱いてしまう。

 摘発してこそ平和を守る職だろうに。

 リディの感情に勘づいているロレンは、快い顔をしない。リディのそれは、魔探偵としては致命的な弱点だ。少なくとも、ロレンは懸念を抱いた。


「魔探偵は慈善事業じゃないぞ」

「……はい」

「依頼人からの仕事を忠実にこなすのが魔探偵として正しい」

「……ロレンさんは、納得できるんですか」

「できなきゃ魔探偵じゃない。憧れているなら、納得しろ」


 リディはだんまりを決め込んでいる。葛藤は隠しきれていない。

 しかし、ロレンはそれに取り合うつもりはなかった。個人の裁量の部分に、これ以上言い募ることはない。

 それよりも、現実的な話のほうがよほど重要だ。ロレンはテーブル周囲に置いてある書類から、必要なものを取り出してリディに向かって差し出した。

 物怖じしていたリディは、視界に入ってきた紙片にちろりと目をやる。


「こっちは現場で取り押さえるまでが仕事だ」


 別の仕事だ。

 素っ気なくはあったが、リディにとっては気分を切り替えるきっかけになった。時に現実がもっとも効果的に気持ちを立て直す手段になる。ロレンはただの怠惰からの行動だったが、リディには覿面効果があった。

 書類を受け取ったリディはそれに目を通していく。


「浮気調査……」

「不満か?」


 魔探偵の仕事とは、魔術犯罪を取り締まると掲げられている宣言に比べて、地味なものが多い。

 これは学園でも講義されることであるし、初日に事件ファイルを確認したことで知っている。だが、実際の事件として目にするのでは、実感が違った。

 人を救う、という大きな目標を掲げていれば、多少の肩透かしは否めないほどに地味だ。だからといって、治安維持のために無視するなんてことは考えもしないが。


「……魔術を使って身を隠してるってことですか?」

「そうだな」


 リディは文句の代わりに、書類に目を落として有益な言葉を零した。

 若干へどもどしたことはバレバレだったが、ロレンは無駄口を叩かなかったことに免じて黙過し、会話に応じる。


「特殊魔術の可能性は何か分かるか」

「透明化でしょうか」


 事件ファイルに目を通しておいたことは無駄ではなかった。脳内に浮かんださまざまな種類の特殊魔術から、リディは思いつくものを取り出す。

 ロレンはリディと同じほどの反応スピードで、別解を並べた。


「認識阻害も同化も結界もある」


 それもすべてではないだろう。新たな能力が次々に発見される。特殊能力とはそれほどまでに流動的で、千差万別なのだ。


「認識阻害……見えなくなるんじゃなくて、見えなくする?」

「そうだな。もしくは、違うものに誤認させる、だな。お前もサキュバスと視力強化の合わせ技ができるようになれば、近しいことはできるんじゃないか」

「私もですか?」

「不可能じゃない」

「同化と結界とは?」

「同化は認識阻害と透明化に近いな。自分が消えるのではなく、周囲の背景に溶け込む」

「……周囲に同化する。存在はそこにあるということでしょうか?」

「そうだな。存在が消えるわけじゃないのは、すべてにおいて同じだ。まぁ、気配を気取られない限り見つからないということもありえる」

「結界もですか?」

「結界だってその場に干渉できないフィールドを作るってだけだからな。気配を悟られれば解除することもできるだろ。何にしても、見つけないことにはどうしようもない」

「それは厄介では?」

「お前が気配を見つけられないことがあると思うのか?」


 端然と突きつけられて、リディは目を瞬いた。

 そこまで断言されるほどに、自分の能力が買われているとは思っていない。散々、忠告ばかりを受けているのだ。そのような信頼がどこから生まれたのか。リディはあまりの不思議さに混乱するほどだった。


「お前の目は節穴か」


 信頼されている理由が明かされて、リディは得心がいく。理由のない信頼などをロレンに抱かれるのは、それはそれで恐ろしい。


「そういうわけで、そいつを監視して現場を押さえろ」


 書類についているサラリーマン男性の写真を指で叩きながら、任務の説明が大雑把にされる。

 リディは黒髪にスーツを着た男性の姿を確認した。あまり特徴のない姿には、多少の不安を覚える。


「職場はここな。自宅はここで、活動範囲はこの辺りとされている」


 書類にまとめてあった地図を示して、ロレンの説明が続いた。指が示した部分には、既に赤い円形の線が引かれている。

 さほど遠くない位置を示した場所を確認したリディは、ふっと気合いを入れて拳を握った。エラン魔探偵事務所に運ばれてくる仕事はそんなに多くはない。活躍できる場を手に入れたリディは、張り切った。


「それじゃ、早速行ってきます」

「は?」


 意気揚々。力説したリディの心意気を、ロレンの低い声が引き止める。そんな対応をされる謂れはないリディは、眉を顰めてロレンを睨んだ。

 無言の睨めっこが数秒。折れたのはロレンだ。

 無駄な時間を削減するほうが楽だとばかりにため息を吐いて、テーブルを指で叩いた。とんとんと叩いて示したのは部屋の一部ではなく、エラン魔探偵事務所全体を示したものだったらしい。


「ここからでも見られるだろうが。無駄な労力を使うな。外に出て行って、どこで見張る気なんだ」


 正論に、リディは無言で浮かせつつあった腰を下ろし直した。

 ロレンはそれでいいとばかりに見届けて、ソファに深く腰かけて腕を組む。だらしのない体勢は、見ているほうが身体が痛くなりそうだった。

 リディはそれを横目に、瞳への集中力を高める。魔力によって強化された視力が、視界を広げて観察対象を見つけた。

 現在の時間は、九時過ぎ。大抵の会社で始業を過ぎた頃合いだ。男も会社に出社していた。これならば、監視もさして難しくはない。リディは時折小休止を挟みながら、言われた通りの監視を続けていた。

 魔術を使うには、魔力を使う。消費量も回復量もそれぞれに違うので一概にどのくらいと言うわけにはいかないが、消費することは事実だ。

 そのため、休憩も必須になる。回復薬を使用しない限り、魔力は時間で回復する。枯渇すれば生命が危ぶまれるので、無茶はできないものだ。

 しかし、リディはかなり燃費がいい。

 視力、という誰でも持ち得ている能力の強化だからか。相性がいいのか。個人の資質における部分の研究はまだまだ進んでいないが、リディが自覚していればいいことだ。

 そして、燃費のいいリディにとっては、こうした長期戦も負担にはならない。休憩を挟みながらも、問題なく任務をこなしていた。

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