深夜の密会②

 ブザーもなく開かれた扉に、リディはぎゃっと飛び跳ねる。こんなふうに事務所を尋ねてくる人は初めてだ。慌てふためいたリディをよそに、ロレンは微動だにしなかった。


「おはよう。どうしたの?」


 入ってきた金髪翡翠瞳の男は、人好きのする微笑みを浮かべて挨拶を零す。ゆるりと首を傾げる男はこの場に慣れた調子だ。


「インターンだ」


 九割方不足の説明をしたロレンもいつも通り。向こうにしてみればリディが異質なのだと、リディも理解する。


「リディ・ブランジェです」

「俺はレナート・スポルトーレ。諜報員です」

「いつの間にそんな役職になった?」

「違ったか?」


 ひょいっと肩を竦めたレナートに、ロレンが片眉を上げた。


「主に情報収集を任せられてるから、あんまり事務所に詰めてないんだ。でも、リディちゃんがいるならこれからは顔を出すようにするし、よろしくね」

「あ、はい。よろしくお願いします」


 出勤の理由に自分を使われて、リディは困惑する。理解できない論理は横に置いて、挨拶を優先させた。腰を折って挨拶をすると、レナートはにこりと笑みを深める。


「可愛い子だね、ロレン」

「……事案だぞ」


 ロレンの元へ向かいながら零したレナートに、ロレンは渋い顔をした。上半身を持ち上げて、ソファに腰を掛け直す。ぱさりと前髪を掻き上げて、雑に整えた。

 そのロレンの対応が分かっていたかのように、レナートは胸ポケットから複数枚の名刺をテーブルに投げる。ロレンはそれを視線だけで確認した。


「仕事はしてあるんだから、ご褒美はあってはいいだろ?」

「報酬はあるだろ。自分への褒美は自分で勝手に準備しろ」

「だから、リディちゃんが可愛いねって言ってるんだよ」


 蚊帳の外のくせに俎上に載せられたリディは疑念だらけで会話を聞いていたが、レナートは可愛いと嘯きながらリディの肩を掴んで引き寄せてくる。突然のことに、リディはぱたぱたとたたらを踏むようにレナートの隣に並んだ。


「だから、事案だって言ってるだろ」

「そういうの気にする?」

「気にしろ。インターン、離れとけ」

「あの、えっと」


 リディはここ数日で、ロレンを雑に扱うことを覚えた。ロレンはそういうものに頓着しないし、文句も言わない。ただ淡泊に対応するだけだ。面倒くさがりなだけなことは分かっているが、ゆえに寛容ではある。

 しかし、出会ったばかりのレナートにそんな態度を取ることはできない。

 性格が読めないこともあるが、リディは真面目だ。大人の男性。それもインターン先の社員の一人に、放漫な態度を取ることもできず、ロレンの命令じみた言葉にたじろいだ。


「レナート、離してやれ」

「えー。せっかくなんだから、仲良くしたいよね?」


 ロレンを取り合わないレナートが、そばにあるリディの顔を覗き込んで首を傾げてくる。さらりと揺れるツーブロックの金髪が眩しい。黒いワイシャツに黒いベスト。スラックスまで黒で揃えたレナートの髪は、アクセントのように目立っていた。


「え、あー、そうですね」


 仲良く、という表現が正しいかは分からない。しかし、同じ職場にいるものだ。少なくとも、リディはあと三年ここに在籍することになる。仲違いしたいとは思わない。仲良くすることを押し付けられても困るので、相槌は半端になったが。

 答えを聞いたレナートは微笑を携えたまま、肩に触れていた手でそっとリディの赤髪を梳いた。それを見咎めたロレンが、はぁと呆れ返った吐息を零して立ち上がる。

 状況の流れが読めないリディは目を白黒させて、様子を見守るしかない。予告なしに現れたロレンの同僚は、リディには予想の埒外にしかなかった。

 そうこうしているうちに、ロレンの腕がリディへと伸びてくる。

 レナートがそうしたときよりも、リディは驚いてしまった。ロレンのほうからアクションがあるなんて、注意喚起や邪険扱い以外にない。初めてのことに、心臓が驚く。


「色欲の魔術師と仲良くしたいなら止めないが? 食われてから文句を言われても聞かないぞ」


 腕を取られて強く引かれた。レナートの手はするりと離れていく。リディは人の手に振り回されて、再びたたらを踏んでロレンの胸元に転がり込んだ。

 リディは背が低いほうではない。それでも、ロレンとは顔が胸板に収まるほどの身長差があった。

 ほとんど抱きとめられるような体勢に、リディは目を見開いて固まる。そのタイミングを見計らったかのように、レナートがぴゅうと口笛を吹いた。


「なんだ。もう、ロレンのお手つきってこと?」

「馬鹿なこと言ってからかうのをやめろ」


 切り捨てるロレンは、ぺいっとリディをソファへ押しやる。相変わらず振り回されているリディは、ぽすんとソファに腰を下ろすことになった。

 眼前にはロレンが立っている。レナートとの間を寸断するような立ち位置にいるロレンをリディは見上げた。

 守られてる?

 ロレンらしからぬ、と思えるような行動には、唖然とするしかない。ロレンはそのまま名刺をいくつかピックアップして、レナートに差し出した。


「無駄口を叩く余裕があるなら、さっさと次の段階に進んでくれ」

「まさかリディちゃんのことがそんなにアキレス腱になってるとは思わなかったな」

「……無駄な手間をかけられるのが嫌いなだけだ。お前のせいで責任問題に発展するのはごめんだからな」

「はいはい。じゃあ、招待状を持ってくるってことでいいんだな?」


 レナートは反省のない態度で、飄々と言葉を紡ぐ。ロレンは半眼を休めはしなかったが、意識は切り替えたようだ。


「できるだけ早くな」

「人使いが荒いな」

「遊ぶにはちょうどいいだろうが」

「趣味と実益だからね」

「何よりだよ。行ってこい」


 ロレンはエラン魔探偵事務所の所長。主。社長ということになる。とても業務命令を渡す態度ではないが、実質的には業務命令だ。たとえ、それが犬を追い払うように手を振る仕草であったとしても、業務命令は業務命令のはずだ。

 香だけでなく、レナートもロレンのそういった態度に慣れているのか。やれやれと肩を竦めるだけに留めて、文句もなく名刺を受け取った。


「じゃ、リディちゃん。気が向いたら俺と遊んでね」

「もっといい女引っかけてこい」

「セクハラだよ、ロレン」

「そりゃ、お前だ」


 リディからしてみれば、直截であるだけロレンの言葉のほうが響きやすい。まるでいい女ではないとケチをつけられているようで、いい気はしなかった。

 だが、そんな論法になるのはレナートの話しぶりが原因であることは分かる。ただ、どうして遊びの話がそんな女性の部分を抽出する流れになるのか。リディにはちっとも分からなかった。

 ロレンは言うだけ言うと、どかりとリディの隣に腰を下ろす。テーブルの上に足を乗せる横柄な座り方に、レナートはまたぞろ肩を竦めた。


「それじゃあね、リディちゃん」


 懲りないレナートの声かけに、ロレンはもう口を出さない。リディは「はい」と振られた手を振り返して、レナートを見送る。レナートは軽い足取りで扉を出て行った。

 途端に、ロレンの深いため息が室内に解き放たれる。疲れたとばかりの率直な態度に、リディは失笑を隠せなかった。


「お前は笑っている場合か」


 呆れ果てた調子で放つロレンに、リディは不思議そうに首を傾げる。

 ロレンは割と本気で心配していたが、リディがそれに気がつくことはない。邪気のない顔をしているリディに、ロレンはもう一度深いため息を零した。


「レナート・スポルトーレ。色欲の魔術師だ」

「それが何か……?」

「色欲って何か分かってるか? あいつは男女構わない無節操なやつだぞ」


 よもや魔術に関係することではなく、一般的な単語にも解説が必要なのか。いくらインターンでもそこまでの世話を焼きたくないとばかりに、ロレンは胡散臭そうにリディを見やる。

 リディは斜め上に視線を逃して、思考を巡らせた。ロレンの言葉とレナートの行動を思い出して矯めつ眇めつする。しばしの間を置いて、リディはじわじわと頬を赤く染めていった。

 赤髪のリディが赤くなると、その色に同調しているかのようで、やけに真っ赤に見える。ロレンは裸や下着の一件で思っていたことを、しみじみと観察していた。


「は!? レナートさんの遊びって……遊び!?」


 あわあわと分かりやすく狼狽する。

 ロレンはようやく思い至ったさまに呆れつつ、素直さにはありがたさを感じていた。

 なにぶん、感情を推察する必要がない。レナートとでは腹の探り合いになったりすることがある。リディにはそんな手間がいらないので、ロレンにとってありがたかった。

 ただ、素直過ぎるのは魔探偵としての問題にはなるかもしれない。

 リディは熱の灯った自分の頬に手を当てて、ううううと唸っていた。自分の知性のなさが今になって心にくる。リディはそのまま顔を隠した体勢で


「そ、それはいいんですけど! 招待状ってなんですか!?」


 と叫び散らした。

 誤魔化したのがあからさま過ぎて、突っつくのも可哀想になる。ロレンは諦めて、レナートの件を棚上げにした。

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