深夜の密会⑤

 日暮れは早い。薄暗い夜道を、リディとロレンは並んで歩く。かつかつと鳴るちぐはぐな二つの足音が、閑静な裏道に響いた。


「インターン」


 そろそろだ、と話したのはリディだ。それを見越していたみたいに、ロレンはリディを呼んで手招いた。


「ひっ!」


 首を傾げて寄りつくと、腰を抱かれて身を竦める。


「な、なんですか!?」

「うるせぇ。黙れ。この辺りからホテル街付近だ。装うくらいやれるだろ」

「先に言ってくれてもいいじゃないですか!」

「声がでけぇ。目立ちたいのか」


 そんなわけないでしょうが!

 リディは心中で大声を上げて、ぎゅっと唇を噛み締めた。

 そりゃ、そうだろう。リディは学生だ。確かに、年齢よりはいくらか上に見られることはある。だが、高等部なのだから、本来ならこんなところを出入りしているのは褒められたことではない。

 それでなくても、リディはそういったことに忌避感がある。性的なことはサキュバスの血を意識してしまって、どうにも苦手なのだ。

 しかし、効率第一のロレンがこの土壇場でリディの拒否を許すとはとても思えない。そもそも、半端をやるなと説教を受けて見返すと宣言してあるのだ。これくらいでいちいち騒いでなんていられない。命の危機がないだけ、ずっと安全だ。

 ロレンはリディの葛藤など素知らぬ振りで、恋人らしく振る舞う。腰に回った腕もさることながら、身体の側面もぴったりと触れ合っていた。

 こうして並ぶと、ロレンの男らしい体格がよく分かる。リディは決してロレンに特殊な感情を抱いてはいないが、それでも男性との接触にドギマギはした。

 一方のロレンに、気負ったところはない。慣れているのだろうか。

 そのとき、リディはレナートの飄々とした立ち居振る舞いを思い出していた。ロレンにもそんな面があるのかもしれない。まったく想像はできないけれど。


「おい、視てるか」

「はい。次の角を右に入った路地裏。レンガ作りの家の壁です」

「視てろ。離れるな」


 ロレンはそれだけを指示すると、てきぱきとした足取りでリディが報告した場所へと歩を進める。

 そこにはくだんの男と同僚の女の姿があった。

 栗色のウェーブがかった豊かな髪と、カモシカのような脚。豊満な胸元を揺らす女を、男が抱きとめている。そのうちに顔と顔が近付いて、バードキスが始まった。

 その時間が少しずつ長くなっていくにつれて、リディの心臓は早鐘を打つ。このまま視ていていいものか。本心から言えば、目を逸らしてしまいたい。しかし、視ておかねばならないのが現実だ。

 リディは少しだけ視線を逸らしながらも、二人が移動などしないように様子を窺っていた。ロレンはまるでそちらが見えているかのごとく、迷いなく進んでいく。

 本当に見えているのではないか。

 リディは何度も本気でそうした疑念に塗れた。ロレンは真っ直ぐにリディの視線の先を見ている。見えていなければ、そうはならない。

 そうして、ロレンは足を止めると空中へ手のひらを翳した。その手を突いている空間が、結界の境界だとリディには視える。


「ロレンさん」


 視えているんですか、と尋ねようとした言葉は、視線と腕にこもった力で押しとどめられた。

 ロレンの手のひらから、濃い緑色のオーラが漏れ出す。その魔力も、リディにはよく視えた。そして、既視感があった。その魔力が結界に作用して、溶け込んでいく。

 魔力の流れは視えても、どんな魔術が展開されているのかまでは読み解くことができない。リディの力では、視ることまでが限界だ。ただ、その崩壊の仕方は、ロレンが魔生微生物を氷塊ごと消し去ったのとよく似ていた。

 そうして、ロレンは魔術によって結界は消滅する。


「なっ」


 結界を張った当人は、自分の結界に異変があれば認識できるものらしい。

 男は声を上げて、ロレンとリディのほうへと視線を投げた。しっかりと視線が交わったことで、結界が消滅し、二人の関係が詳らかになったことは明白に掌握されたことだろう。

 驚きに染まった男の顔が、見る間に憤怒に変貌した。女のほうは状況が読めていないのか。度肝を抜かれたまま硬直してしまっている。


「なんだ、お前らは」

「この通りだ」


 身体は密着させたままだ。それをこの通り、とはあらぬ誤解を生む以外にない。

 男はやはり下世話な想像を働かせたらしい。仮にリディとロレン。二人ができているとして、それで結界を消滅させる理由には繋がらないなどとは考えないようだ。

 混乱している人の頭は都合がいいようにできている。


「なんだ、場所でも探しているのか」

「まぁ、探していたのは事実だ」

「悪いがここは先約だ」


 こんなところで何をするつもりなのか、とリディは侮蔑的な感情が膨らんだ。

 女性のほうも納得しているのだろうか。結界で閉じ込められているとしても、なんとも心許ないものだ。ロレンのようなものがいれば、すぐに露わになってしまう。

 まぁ、こんな無粋な真似をする輩はそういないのかもしれないけれど。


「それを確認したかったから構わない」


 そういうロレンは、ポケットに忍ばせていた小型カメラを取り出して、手早くシャッターを押した。機械音は、夜の静けさに怪異的に響く。不測の事態が起こっていると、不倫カップルに知らしめるには十分だった。


「お前っ」


 一拍。それよりももう少し間があっただろうか。男は証拠を撮られたことを理解して、再び憤怒の表情に染まった。

 今度は表情だけに留まらず、足が半歩前に出て、腕がロレンへと伸びる。カメラを奪い取ろうとするその動きに、ロレンはけろっとした顔で身を躱した。リディとともにステップを踏むのにも、何の不都合もない。

 リディはロレンのなすがままになっていた。

 そのリディの様子が弱さを感じさせたのか。男はリディを標的にして、次なる一手を打とうとしてくる。

 その腕が伸びてくる前に、ロレンはリディを胸に掻き抱くように庇った。その逞しい腕が身体を囲み、苛烈な瞳が男を射抜く。

 日頃は堕落的な男であるが、魔探偵として修羅場をくぐり抜けている男だ。ただのサラリーマンを威嚇するくらいならば、それだけで事足りた。

 ロレンはリディを背後に隠したうえで、ポケットから名刺を取り出す。男が歯噛みをしているのを横目に、ロレンはにっこりと胡散臭い笑みを浮かべた。

 いつも依頼人に浮かべるものよりも、数億倍は胡散臭い。リディは背後に構えながらも、その気配を感じ取って、頬が引き攣った。


「申し訳ありませんけど仕事なので、文句などありましたらこちらへ。情報は漏らせませんが、事態は冷静に観察されたほうがいいと思います。それでは、これで失礼させていただきます。後のことはお二人で決められてください」


 ロレンは一方的に言いつけると、男たちにぐるりと背を向ける。反撃されることを脅威とも考えてもいない身のこなしに、リディは顔を顰めた。

 しかし、不倫カップルには、ロレンの言葉が随分と効き目を持っていたようだ。ここでロレンをどうにかできるとも思わなかったのかもしれない。

 結界を消滅させ、身軽に攻撃を躱し、胡散臭い自己紹介をする。

 こう並べ立てると、ミステリアスな態度だ。ロレンが意図してそうした自分を演出したのかは分からないが、これが経験値というものかとリディは感心した。

 魔探偵と探偵には直接対決の違いがある。魔術を解除する工程が挟まる以上、相手に存在を気取られてしまうことも多い。そのため、存在を明らかにすることを前提に動く。対応できなければ、一人前とは呼べなかった。

 ロレンはリディの腕を取って、事務所への道を辿り始める。不倫カップルは追いかけてくることはなく、声をかけてくることもなかった。


「……あれでいいんですか?」

「他に何ができるんだよ」

「逆恨みとかされませんか?」

「魔探偵は正義の味方じゃないからな」

「……助けてくれる存在でしょ?」


 リディはそう信じている。そうして、人の力になれる魔探偵を目指していた。だからこそ、ロレンの言い方には不服を隠しきれない。

 ロレンは歩を止めて、リディをじろりと見下ろした。


「それは一方から見ただけの話でしかない。今回のことを考えれば分かるだろ」


 実体験を無視して駄々を捏ねるほど、リディは物わかりが悪くはない。実際、依頼に従った結果、男に怒りをぶつけられたばかりだ。

 魔探偵という立場を与えられているから許されているだけで、他人のプライベートを暴く行為に変わりはない。リディは今日一日、任務として監視をしていたが、これも一般人がやればストーカーだ。

 所詮は職業として許されているだけの存在で、正義の味方などではない。

 リディが口答えできることは何ひとつなかった。俯いてしまったリディに、ロレンは吐息を零す。肩身が狭いリディは責められているように感じて、ますます萎縮してしまった。ちっと零された舌打ちは追い打ちだ。

 リディはすっかり撃沈してしまった。涙こそ出なかったが、泣き出してしまいたいくらいに打ちのめされる。

 しかし、ロレンは別にリディを責めようというわけではない。意図せぬ消沈っぷりに、頭を抱えそうになった。がしがしと髪の毛を掻き乱す。仕事のために整えた髪型が、いつも通りのボサ髪へと戻った。


「……自分が信じる目標があることは悪いわけじゃない。ただ、絶対的正義だと勘違いするのはやめておけ」

「はい」


 いくらか柔らかくなった説教に、リディは気を取り直して返事をする。

 とはいえ、それほど簡単に折り合いのつくことではない。覇気のある返事はできなくて、どうしたって半端な相槌になってしまった。

 勿論、ロレンだってすぐさま元気を取り戻すなんて思ってなどいない。居心地が悪いのもそう簡単には解消されない。

 そんな面倒な状態に、ロレンは天を仰いだ。

 暗闇の空には、小さな星が輝いている。穏やかな夜だ。要らぬ心配事を抱えておくことは、面倒くさがりの主義に反した。ロレンは呼吸を整えて、今なお俯いているリディへ視線を落とす。

 気の重さが反映されたような鈍さで手のひらを持ち上げて、リディの頭へと下ろした。撫でるのを避けて手刀にしたのは、慰めるなど柄ではないロレンの、せめてもの抵抗だったかもしれない。

 緩く。撫でる代わりに叩くかのような手刀の衝撃を受けたリディは、ゆっくりと顔を持ち上げる。冴えない表情に、ロレンは口を曲げた。

 リディはスキンシップの意外性に目を丸くする。ロレンは更に苦虫を噛み潰したような顔をしてから、口を開いた。


「……覚悟しておけ。傷つくのはお前だ」


 面倒なことはいち早く済ませてしまいたいと隠しもしない早口だった。言い切ったロレンは、リディを置き去りにして歩き始める。リディはその背中を呆然と見つめた。

 取り間違えないほどにあけすけなフォローだ。リディのことを思ってのことだと憚らない台詞に、リディは驚嘆する。

 なんてことのない。ともすると、気合いなどめっきりなくしたオフモードの背中は丸まっていて、格好も何もない。それだというのに、その背中がやけに大きく見えて、リディはぐっと拳を握り込んだ。

 この人を見返す。

 その難しさとそうした心意気を持てる自分の誇らしさに、リディは前を向いてそのだらしのない背中を追った。

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