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誘因の甘露①

 ペット捜しに迷子、落とし物。とにかく捜し物をするのに特化しているリディは、軒並みそうした地味な仕事に引っ張りだこになっていた。

 それが無駄な仕事だと思っているわけではない。しかし、毎度同じような内容をこなしていればマンネリ化もする。しかも、リディにしてみれば、ただ街を見回しているだけなのだ。この一ヶ月半ほどで、街の構造に満遍なく詳しくなってしまった。


「インターン」


 ロレンに名で呼ばれないことにも慣れてしまったことは、釈然としない。

 まるで一人の魔探偵として認められていない。ただの見習い。インターンという存在。記号として呼ばれているようで、とても喜べることではなかった。

 しかし、ロレンにいくら言っても直ることはない。取り合うことを面倒くさがられてしまって、リディのほうが諦めてしまった。そっちのほうがずっと安泰だ。という心境は、面倒くさいことを避けるロレンの悪影響であるような気がしている。

 よくない!

 と定期的に気を入れ直して、リディは魔探偵へなるべくインターンに身を入れていた。

 今日も今日とて、朝一でロレンを起こすためにサキュバスの能力を試して、適度に切り上げる。初手でかましたような不手際はなく、ただ手を翳すだけになった発動はリディには痛くも痒くもない。

 淫らな夢を見せることにあまり成功していないからこそ、無感情でいられると知っているのはロレンだけだ。とはいえ、その内容に触れれば過不足なく誘因できるようになったときに説明が困ることは明白なので、口を噤んでいた。

 その日課でロレンを叩き起こしてから、リディの業務は開始する。香はロレンの起床時間を確定できたことを喜び、リディの手柄だと褒め称えた。あまりにも褒められるので、香の苦労に同情したくらいだ。

 そうして始動する一日に、レナートが顔を出すことは稀で、今日はその稀な日であった。


「おはよう。揃ってるね。本当、リディちゃんが来てからロレンが起きてる確立が上がってビックリだ」


 扉を潜るや否や飛び出た皮肉に、ロレンは目を細めるだけに留めた。戯れの相手をするつもりもないのだろう。


「毎朝、起こしてますからね」

「羨ましいね。本望じゃないのか? ロレン」

「くだらないことを言うより先に報告することがあるんじゃないのか?」

「返答を避けると本心のように聞こえるけど?」

「何を答えても自由自在に解釈するやつにわざわざ餌を投げる気はない」

「ちゃんと仕事をしてきたんだから、報酬のひとつやふたつ、弾んでくれてもいいと思うけどね」

「金銭以外を支払う義務はないな」


 ロレンとレナートの会話は、どちらかともなく一方的に切り上げることが多かった。今日もまた、決着はつかないまま、うやむやに流れる。

 そうしたじゃれ合いのようなやり取りが、二人がお互いを理解し合っているように感じるのは、リディの曲解だろうか。どうしてもそうした解釈が抜けず、またそれが少しだけ羨ましくなる。

 一体いつになったら、自分は認めてもらえるのか。

 名前の件と相俟って、そんな埒のあかないことを考えてしまうのだ。当人たちはそんなものは勘違いだとばかりに、流した会話を蹴っ飛ばして、どんどん先に進んでいく。


「これでいいんだろ」


 胸ポケットから白い封筒を取り出したレナートが、指に挟んでロレンへ差し出した。目的の手紙を獲得してくるレナートの手腕は鮮やかなものだが、そのキザったらしい差し出し方は興ざめする。ロレンは半眼でそれを受け取った。


「あれから一度は開催されているらしい。総合だと今回で三度目だってよ」


 レナートの補足を聞きながら、ロレンは封筒を開いて中身を確認する。二つ折りの厚紙で作られた招待状は、箔押しがされていた。豪華なそれを、ロレンは荒っぽく開く。


「今夜かよ」


 苦笑いを零すロレンに、レナートが肩を竦める。


「俺をもってしてもギリギリだったってことだよ」

「昨晩に持ってこないことに悪意を感じるがな」

「丑三つ時に帰ってきたって誰も起きちゃないだろ」

「お楽しみだったことは分かった……インターン」


 リディが二人の会話に入っていくのは未だに難しい。そして、仕事の話に割って入るほど、邪魔な振る舞いはしなかった。

 ……既に一度要らぬ書類を手に取って、余計なことをするなとロレンにしこたま怒られたわけではない。決して。

 呼ばれたリディは、ロレンのソファの後ろに回り込んでそばに寄った。こうして呼びつけられることに慣れている仕草に、レナートは感心する。手荒く、時に暴言を吐くロレンに、リディは案外懐いているらしい。


「えっと、ロレンさんが行かれるんですか?」

「お前もだ」

「えっ!?」


 リディはぎょっと目を剥く。ロレンとレナートと招待状を細かく見比べては、もう一度ぎょっとしてから招待状をしげしげと見つめた。


「……私、そんなところに行けるようなフォーマルな衣装も持ってませんし、マナーも分かりません」

「俺のパートナーだからマナーは最低限でいい」

「……」


 むしろ、リディの不安を煽るようなことを言う。

 依頼人を前にすればいくらかマシと言えど、事務所内でだらしのないさまばかり見ているのだ。ロレンがマナーなどに精通しているかどうかは怪しい。

 そんな疑念を抱いたことがロレンにまで届いたのだろう。胡乱げな瞳がリディを貫いた。


「……レナートと行ったら帰りはホテルに一泊になるが、それがお望みか」

「いえ!」


 リディはもう、レナートの行動の意味深さを理解している。ロレンの含んだ物言いもすぐに理解して、ぶんと力強く首を左右に振った。


「あ、ひどいなぁ」

「香」


 レナートの感想にバツの悪いリディが視線を逸らす。そうした些末な出来事はすべてスルーし尽くして、ロレンは香を会話に引き入れた。

 ぱっと本から顔を上げた香が、おっとりと首を傾げる。読書に夢中になっていて、会話は一切聞いていなかったのだろう。要らぬことに意識を割かない一心さは、決して悪いものではない。だが、ときと場合によっては悪癖であった。

 今はそのときだ。


「パーティーだ。インターンの準備をしてあるだろ」


 せめてもの救いは、香が短い指示で物事を理解できる賢い少女である点だろう。香はロレンの端的な言葉で、すぐさま笑みを浮かべてリディを見た。

 今まで話をしていたはずのリディのほうが、その分かりきっている態度には置いてけぼりを食らってしまう。香とロレンの間では、既に事件の共有がされていたようだ。

 レナートとの間だけではなく、香との間にも疎外感を見つけたリディは、胸が締め付けられるような気持ちがした。


「リディさん。こちらです、お化粧とお洋服用意してありますから」


 仕事に対してスピーディーなのは、この事務所の傾向だろう。香でさえ、感情に左右されない効率重視の側面があった。

 リディは香の部屋へと案内される。

 初めて入った香の部屋は、本に包まれた部屋だった。机の上にも本が積み上げられていて、本棚からも溢れかえってしまっている。かろうじてベッドの上だけが綺麗に整えられていた。それでも、100センチちょっとしかない香が寝る分しかないのだから、もはや本の住み処だ。

 そんな状態である部屋の壁に、黒いイブニングドレスが下がっている。裾に向かって美しく広がるスカートにレースで柔らかさを施された、少しだけラメが入ったキラキラした衣装は、飾り気のない香の部屋で最も目を惹いた。


「リディさん、こちらへお願いします」


 背中を押されて、リディはただ釣られるように椅子に腰を下ろす。


「お化粧と、それから髪も整えさせてもらいますからね。任せてください」


 力こぶのない細腕をむんと見せつけて、香が宣言した。リディにだって少しはめかしこむレパートリーはあるが、パーティーに向かうための装いなど知らない。

 意気軒昂な香に、リディは身を任せた。

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