2-4 攻略対象、アルフレッド王子


 確か、アルフレッドのお茶会イベントは、彼がこっそり皆の目を盗んで抜け出すのをルイーゼが目撃し、あとをつける……というものだ。ルイーゼはダミアンと話し込んでいてアルフレッドが抜け出したのを目撃していない。が、真理はしっかり見ていた。


 抜け出した先は、あとをつけずともわかる。アルフレッドが抜け出したのは皆がいる庭園ではなく、少し外れたところにある東屋。お茶会には多くの子どもたちが参加しているのにそこまで誰も来ないのは、ゲームならではのご都合展開だ。


 真理も誰にも見つからないように気をつけて、東屋を目指した。ルイーゼが既にダミアンに惚れていることや、アルフレッドのお茶会イベントでダミアンが登場していることなど、恋お茶のイベントとは違う要素も出てきている。ここでアルフレッドに他の女の子が近づいていたら、ダミアンの保険にアルフレッドをそえることは難しいが……。


「……よかったぁ」


 こっそり離れたところから東屋を見て、ほっと胸を撫で下ろす。アルフレッドのそばには誰もいない。つまり、ルイーゼが入り込む隙があるということだ。


 頃合いを見て、ルイーゼをダミアンから引き離し、アルフレッドのところへ挨拶へ行こうと誘うか? それとも、別の手段を考えるべきだろうか?


 悩む真理は、後ろから迫る人影に気づくのが遅れた。好きな人と楽しく話しているところを引き離すのもなぁと腕を組んで頭を傾げたところで、「失礼」と低い声がかけられた。


「ひゃあっ……!」


 びっくりして、大きな声が出た。しまった。貴族は大声を出さないのに。


 急いで両手で口を押さえ、深呼吸する。まだ心臓はバクバクとうるさかったけれど、平静を装って振り返った。


 さっき、真理が一人で突っ立っていたとき、声をかけてくれた執事服の青年だ。


「失礼いたしました。なにやら物陰に隠れておいででしたので、どうしたのかと思い、声をおかけいたしました」

「あ、ああ……。そうなんですね……」


 不審者に見えたのか。いや、ドレスを着た不審者はいるのか?


 今度はどう言い訳しようか考える。こちらの区域は先ほどアルフレッドが自由に行き来できると言った東庭園ではない。なんでここにいるのかと問われて馬鹿正直に答えても許されるのだろうか。


 真理が迷う間、青年はなにも言わなかった。じっと射抜くように見下ろされ、だんだん焦りが生まれてくる。


 そこに助け舟を出してくれたのは、思ってもいない人物だった。


「彼女のことは気にしなくていい、パーシバル。きっと迷ったんだろう」


 また後ろから声をかけられた。誰だと振り返る前に察する。


 この声、アルフレッドだ。


 びっくりして後ろを見れば、やはりアルフレッドがやってきていた。おそらく、さっきの真理の叫び声が聞こえたのだろう。彼は真理を庇うように前に立ち、パーシバルに命じる。


「心配無用だ。僕と彼女は向こうで話しているから、引き続き見張りを頼む」

「かしこまりました」


 アルフレッドとパーシバルの関係は主従だろうか? そう考えれば、お茶会でパーシバルが声をかけてきたのも頷ける。主人のお茶会で一人で突っ立っている令嬢を気遣ったのだろう。


 それはたぶん、アルフレッド王子の命令で。


 パーシバルが一歩下がると、アルフレッドは真理に手を差し出した。


「よろしければ、向こうで少しお話をしませんか?」

「ええと……はい。よろしくお願いします」


 王子とどうお話しすればいいのかわからない。が、王族の誘いを断るのが正しいかもわからない。パーシバルには二人で話すこと前提で命令していたから、断る方が角が立つかと思い、受けた。


 小さな手のひらに、子どもになった真理の手が重なる。大人だったら美しい図に映るのかもしれないが、子ども同士だと可愛らしい風景にしか見えない。


 ちらりと、真理はアルフレッドを横目で見た。遠目では気づかなかったけれど、彼の髪は黒と青を混ぜたような不思議な髪だ。一本一本違う色に見え、混ざり合うと黒、光ると青になる。そういえば、立ち絵のイラストでもそんなふうに描かれていた。瞳は青みがかった黒色で、宝石のように輝いていた。


 同じ年頃にしては、アルフレッドの方が少しだけ背が高い。公式では最終身長は百八十近くあったななど思い出していると、青と黒の瞳が真理に向けられる。


「僕と二人だと心配があれば、侍女を呼ぼうか?」

「え? あ、大丈夫です! 侍女は……その、用事を頼んでいるので」


 サニーがいないと周りが心配したり、注意したりするから覚えた言い訳だ。この場にサニーが戻ってきても、真理が適当に嘘をついていたら合わしてくれるだろう。


 真理を先に東屋のベンチに座らせたアルフレッドは「そう?」と弱い笑みで答える。


「用事の時間が長いように思うけど。着いてから一度も、君の次女の姿は見ていないよ」

「あ」

「嘘をつくなら、もう少しバレない嘘をつかないと。良くも悪くも君は注目されていて、侍女も連れていないことが噂になってる。ノージット卿は君に侍女つけていないのかな?」

「ノージット卿ですか? ええと……どなたでしょう?」

「君の養父だ。ノージット伯爵ジョスト・ウェルザー」


 名前が長すぎる。なるほどと頷きながら、真理は頭の中にジョストの名前を上書きした。ノージット伯爵ジョスト・ウェルザーね。


「お父様は侍女をつけてくださってます。ただ、アル……いえ、殿下もご存知かもしれませんが、私はこれまで庶民として生きてきて、貴族の暮らしに慣れていません。だから一人の時間も欲しいのです」

「つまり侍女は君の希望を叶えるために、あえてそばを離れていると?」

「はい。そういうことになります」


 この嘘は上手く通っただろうか。真理が貴族の暮らしに慣れていないというのも、一人の時間が欲しいのも本当のことだ。アルフレッドは信じ切れていない様子だったけれど、追撃はしなかった。


「それは申し訳ないことをした。僕が君の時間を邪魔したね」

「あ、いえ。お気になさらず。妹から殿下には挨拶すべきだと言われていて……」


 そこで、はたと固まった。


 そうだ、まだ挨拶をしていない。


 貴族社会で挨拶は重要だと習ったのに、流れに押されてアルフレッドの隣に座ってしまった。慌てて立ち上がり、練習したお辞儀をする。


「申し訳ありません。礼儀を忘れていました。私はジョスト……ノージット伯爵ジョスト・ウェルザーが娘、マリーゴールドと申します」

「僕が先に礼儀を破ったのだから、気にしないでいい。丁寧な挨拶をどうもありがとう。僕はコードラッソ公爵アルフレッドだ。親しい友人からはアリーやフレッドと呼ばれている」

「私は……まだ親しい友人がいませんので、特別な呼ばれ方はしていません」

「じゃあ、僕が最初に呼ぼう。マリーゴールドだから、ゴールディーかな?」


 ちょっと笑っているのは、どういう意味だろうか。真理は少し考えて、提案した。


「そちらでも構いませんが、マリィではいけませんか?」

「マリィ?」

「その、昔の呼び名です。今はマリーゴールドですが、昔はマリィと呼ばれていました」


 正しくは、そう登録して呼ばせていた。どうしてもマリーゴールドという名前は自分に馴染まず、本名に近いマリィで呼ばれたい。


 王族相手に不躾だっただろうかと不安になりながら返答を待っていると、アルフレッドは気を悪くした様子もなく、反対に興味深そうに訊いてくる。


「僕が愛称で呼んでも構わないってことかな?」

「……親しい友人になる前は呼び合わないものなんでしょうか? その、親しくなるために呼び方を変えるという文化もありますが、身分に合わないのならやめておきます」


 気軽に呼び方を提案してきたから真理も話に乗ったのだが、からかっていたのだろうか。さっき笑っていたのはそういう意味だったかと納得しかけた真理に、アルフレッドは「いや」と頭を振る。


「僕から言い出したんだ。呼んでもいいなら、マリィと呼ばせてもらうよ。君は?」

「私、ですか?」

「そう。アリーとフレッド、どちらで呼ぶ? 似ているから、アリーの方が面白いかな」

「王子様を愛称で呼ぶのは恐れ多いので、殿下とお呼びしてはいけませんか……?」


 まさかそんな水の向け方をされると思わず、真理は緊張した。ぽっと出の庶民上がりの貴族が王子を愛称で呼び始めたら、周りがどんな反応をするか。考えるだけで恐ろしい。


 それに、アルフレッドにはルイーゼと仲良くなってもらいたいのだ。真理相手ではない。


 真理の返答にアルフレッドは少しだけ考える仕草を見せたけれど、すぐに笑みを浮かべた。


「構わないよ。殿下でも、アルフレッドでも。そうあまり緊張しなくていい。君が町で育ったことは聞いている。侮辱するつもりがないなら、君がなにをしても問題にするつもりはないから肩の力を抜いて」


 恋お茶で遊んでいなければ、後半の台詞は脅しにも聞こえたかもしれない。問題にするつもりはないと言って、何かポカをしたら責めるだろうと。


 だが、真理は恋お茶でこのシーンに似たストーリーを読んでいる。初めてアルフレッドに声をかけたヒロインは、彼に促されるまま愛称で呼んでしまい、不敬だったかと慌てたときの台詞だ。『僕がお願いしたことなのに、怒ったりしないよ。その名前で君が悪さをしない限りね』と深い意味がありそうな台詞を吐き、伏線となる。アルフレッドは親しい友人に裏切られたことがある過去を持っており、それは学院編で明らかになったのだ。


 今はその話はどうでもいい。アルフレッドの言葉に裏がないことだけ真理は知っていればいいのだ。


「ありがとうございます。その、私がここにいてもお邪魔ではありませんか? いない方がよければ妹のところに戻りますので……」

「いや、少しだけ話がしたいんだ。ここに座って」


 上手く逃げようと思ったら完全に捕まってしまった。ここ、と示された隣の席を一瞥し、アルフレッドに視線を向けて、なんとか笑みを作る。


「では、失礼して」


 貴族との話し方はルイーゼに教わったけれど、王族と話すのは別の緊張感がある。肩の力を抜けと言われても隣に座れば自然と背筋が伸び、膝の上に乗せた手をぎゅっと握り締めてしまう。


 アルフレッドは真理が隣に座ったあと、ほんの少しだけ気を緩めたように見えた。体を前に傾け、覗き込むように真理の目に合わせてくる。


「新しくできたばかりだと思うが……君も妹を持つ身だから、話してみたいと思って端だ。貴族の考えではなく、君自身の考えでいい。僕の話を聞いて、どう思ったか教えてくれ」

「殿下のお話ですか?」

「そう。マリィは政略結婚についてどう思う?」


 どう、と問われて首を傾げる。あまりにも縁遠い話で、すぐにピンとこなかった。


 真理が上手く想像できていないのを察してか、アルフレッドは言葉を続けた。


「王族も、貴族と変わらず政略結婚があるんだ。僕の場合、妹が他国に嫁ぐ可能性が高い。君も知っているだろうけど、妹は双子で、どちらもおてんばで……騒々しいけれど僕にとっては大事な妹たちだ。それが、国の都合で嫁がされるわけだから、こう……兄として、不甲斐ない気持ちになる」

「不甲斐ない、ですか?」

「うん。もっと僕がしっかりした王子であれば、彼女たちも自由に恋愛できただろうに。妹は不自由を強いられるのに、陛下は僕には学院で好きな相手を探していいと言う。あまりにも……待遇が違いすぎて」


 合わせられていた目は、ふいと外を向く。零れ落ちる言葉は王子としてではなく、兄として紡がれた。


「妹たちが不憫だ。だけど、国として有益な縁を繋ぐのは重要な仕事でもある」


 真理は返答に困った。


 これは、かなり重要なお話なのではないか?


 アルフレッドは身分に関係なく、妹を持つ身として真理に話したのだろう。同じ貴族の人間ではなく、つい最近まで庶民として生きてきた人間の言葉を聞きたいのかもしれない。


 が、事は国に関わる話だ。不用意に同意し、国の在り方に異議を唱えたと将来問い詰められでもしたら困る。しかし、アルフレッドの意見を真っ向から否定するのもこの場ではまずいだろう。


 どうする。なにをどう、答えればいい?


 アルフレッドの青い黒の瞳が真理に向く。


「君はどう思う? もし妹が意にそぐわない政略結婚を強いられ、それを止められないんだとしら……」


 そんなのやめて逃げればいいと、現実の真理は叫ぶ。が、この世界だとどうなのか。ルイーゼはヒロインだから政略結婚を強要されることはないと知っていても、アルフレッドの問いの答えにはできない。


 真理は、妹が政略結婚しなければならなくなったとき、どう思うのかを問われているのだから。


「私は……」

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