5-3 今日を良い日にしよう

 混乱が、そのまま表に出ていたのだろう。アルフレッドは慌てたように軽く真理の背をさする。


「大丈夫だよ。知らないのなら、罪には問われない。今は御伽話として世に出回るくらい、もう現実味のない存在だから。魔法に憧れる子どもも多い。ただ、憧れるだけで、決して研究をしてはいけない。使い方を知ってもいけない。これだけは覚えておいて」

「わ、……わかり、ました」


 なだめられても緊張が消えるわけではない。このことは早急にジョストに確認しないと。


 真理が青ざめているのを見てか、アルフレッドは話を切り上げて通りに並ぶ露店に話題を変えた。


 歩きながら水が飲めるように水筒が売られ、丸のままの果物とカットフルーツがセットで売られ、土産物として木工細工が売られ、ちょっとした芸を披露してチップを受け取っているお店もある。アルフレッドは芸を披露する賑やかなお店から「あれは東大陸の芸人だね」と説明を始め、次にカットフルーツ、果実水の水筒と真理が興味を引きそうなものを選んで話続ける。


 話しながら、アルフレッドの手は真理の手を掴んだままだった。少しずつ冷静さを取り戻した真理がそれに気づいて、そっと手を引き抜こうとしたけれど無理だった。しっかりと掴まれ、そのまま天空の丘まで向かう。


「軽くなにか食べようか? 朝食はなにを食べた?」


 屋台の陰に隠れるようにポツンと置いてあった椅子に真理を座らせ、アルフレッドが訊いてくる。まさか王子に買い物をさせるわけには、と一瞬止めようかと思ったが、やめた。彼はそこを気にする人間ではない。


「朝は食欲がなかったのでなにも食べてはいません」

「顔色が悪い理由はそれもあったのか。じゃあ、スープにしよう。待ってて」


 アルフレッドが露店の方へ向かうと、パーシバルがついていった。残された真理はサニーと一緒に天空の丘へ目を向ける。


 天空の丘は丘というより、展望台のような場所だった。朝から昼に向かう時間の、空の色の薄さが眩しかった。今日は雲が少なく、太陽の光をいつもより強く感じる。日傘を持って来ればよかったと後悔しながら、遠くにある柵の前に並び立つルイーゼとダミアンを眺めた。


 なにかを話している二人の雰囲気は悪くない。昨日は真理に対して怒っていたルイーゼが笑っている。ダミアンに泣かされたのに、そのことを忘れたわけではないだろうに、あんなに不機嫌だったのに、今は楽しそうだ。ダミアンを許したのだろうか?


 ルイーゼがなにかを告げ、ダミアンが手で彼女に庇を作ってやっていた。ちょっとしたおふざけだったのだろう。笑うルイーゼに、ダミアンも嬉しそうに笑い声をあげていた。


「マリィ?」


 ぼうっとしすぎていたのか、アルフレッドが戻ってきたことに気づかなかった。


 両手に木の器を持つ彼を見上げ、真理はゆっくりと笑う。


「ありがとうございます」


 差し出された器を受け取った。中身は鶏肉のスープみたいだ。赤い色をしているから、ミネストローネみたいなアレだ、たぶん。トマト煮込みかと思ったら実はとても甘い、恋お茶の世界のスープ。


「ルイーゼ嬢たちを見てたのかい? 茂みがあるから少し見えにくいと思うけど……雰囲気は悪くなさそうだね」

「悪くないどころか、良い雰囲気です」


 アルフレッドは近くの椅子を寄せて真理の隣に座った。彼もよくルイーゼたちを観察し、「そうだね」と頷く。


「心配なさそうでよかった。マリィに嘘つきと責められずに済んだよ」

「……殿下は本当に、ルイーゼに未練はないのですね」

「未練がないというより、情を持ったこともない。友人としての話なら聞くけれど、婚約者の話をしているなら、何度聞かれても答えは同じだよ」


 スープを飲もうとしたアルフレッドは、手を止めて真理へ視線を向ける。


「不思議なんだけど」

「なにがでしょう?」

「僕はお茶会から二年間、君がもう手紙はいらないと言うまで欠かさず手紙を送っていたよね。なのにどうして、ルイーゼ嬢に興味があると思ったの?」

「はい?」

「普通ならば、君自身が僕に興味を持たれていると考えるところじゃないかと思うんだよ。それなのに、ずっと妹の話しかしなかった。どうして?」


 何度か瞬きして、ぎこちなく首を傾げた。


 あれ。


 アルフレッドの好感度は、手紙のやりとりをしているときから本当に上がっていたの?


 お茶会で真理がアルフレッドに出会い、話を聞いたことで学院編での好感度の底上げは納得がいった。入学式後のイベントも発生したため、そこで真理はアルフレッドの好感度を上げすぎたと思ったのだ。


 だけど、もしかして。


 三年前からアルフレッドのシナリオは始まっていた?


「い、妹は可愛いです」

「知ってるよ」

「なら、ルイーゼに恋をするのが普通では? 皆、ルイーゼに見惚れますよ。可愛いだけではなく、努力家で、優しくて、一生懸命で……」

「君の妹自慢は二年間の手紙のやりとりで嫌というほど聞いたよ。婚約者として素晴らしいと、君は僕にアピールしていたんだろう?」

「え、ええと……」


 そこまであけすけにアピールしていただろうかと固まり、記憶を探る。とにかくルイーゼを褒めていた。……アピールしていたかもしれない。


「私は、ルイーゼの良さを知ってもらいたくて……」

「その手紙で僕が知りたかったのは君のことだよ、マリーゴールド」


 しっかりと名前を呼ばれ、無意識に背筋が伸びる。アルフレッドに怒っている空気はない。が、責められているように感じる。


「手紙は、単純に君に悪いことをしてしまったと思ったから始めた。妹たちのことを話せるのも、マリィの視点は新しくて楽しかったからね。他に話し相手ができても、気心が知れた相手に君も含まれていたよ」

「それは……光栄です」

「でも、君は一貫して『文字の練習』と『妹のアピール』だった。マリィのことが知りたいと思っても、すぐにルイーゼ嬢の話になる。手紙では埒が開かないと思って会おうとしたけれど、君は屋敷から出ず、ずっとルイーゼ嬢と一緒にいた。だから……入学式で再会できたときは嬉しかったよ」


 頭の中が大混乱する。いや、待て、ちょっと待てと制止をかけるけれど、声にはならない。


 アルフレッドが真剣に、真面目に告げてくるから、口を挟めない。


「ようやくマリィのことを知れると思った。なのに、ルイーゼ嬢をあてがってくるとはね。中庭で何度も様子を見に来てくれたのは、自分が声をかけようとしていたわけじゃなくて、妹を呼ぶためだったとは……」


 入学して間も無くの頃、自分がやった行為を挙げられ、どきりとする。まさか、気づかれていたとは思わなかった。


「あれにはさすがに僕も傷ついたけれど、味方を得たのは僥倖だったかな」

「味方、ですか?」


 なんの話、と戸惑う真理に、アルフレッドは視線の先を真理からルイーゼの方へ移動させる。


「マリィがルイーゼ嬢の話をするなら、ルイーゼ嬢からマリィの話を聞けばいい。そう思って、話を聞いてみたら応援しますって味方になってくれた」


 ルイーゼ! まだ諦めていなかったのか!


 思わず真理もルイーゼを振り向く。彼女はこちらの視線に気づかず、ダミアンと楽しく談笑中だ。


 もしかして。もしかして!


「今日のことは殿下とルイーゼで企んだのですか? ルイーゼはダミアンと話すために、殿下は私と話すために、二人で計画したこと?」

「僕が君と話したいと思っていたことは、ようやく理解してくれた?」

「ルイーゼがいるのに!」


 どうして恋お茶の攻略対象なのに、ルイーゼに恋に落ちてくれないのだろうか。それだけでなく、二人で共謀するとは考えもしなかった。


 呆気に取られる真理に、アルフレッドは少し、眉間にシワを寄せる。


「さっきの話をもう忘れたようだね。マリィのそういう態度は改めてほしい。どうして僕がルイーゼ嬢に惚れなければならない? 僕の気持ちはマリィに向いている。他の女性に向けるよう裏でこそこそと動き回られるのは、はっきり言って気持ちのいいものではない」

「私はっ……!」


 真理は、ルイーゼを幸せにするためにここにいるのだ。好きな人と婚約させなければならない。が、その好きな人が悪い男なら他のいい男を紹介する。


 真理が知る中で、知り合いが少ない中で、この人なら大丈夫だろうと思った相手がアルフレッドだった。


 自分に向けられた好意を外すのにちょうどいいと思ったのも事実だ。責められて、上手い言い訳が出ずに、ぽろりと本音が漏れてしまう。


「私は、誰とも結婚する気がありません」

「誰とも?」

「はい」


 アルフレッドが怪訝そうな顔をするのも仕方ない。この世界は乙女ゲームの世界で、とにかく皆が恋をする。そういう世界で、誰とも結婚する気がない人間はとても珍しいのだ。


 真理の言葉の真意を図るようにアルフレッドは、じっと目を見つめてきた。あまりにも真っ直ぐすぎる瞳は後ろめたいことがある真理には強すぎる。つい、手元の器に視線を落とす。


「……私の話は深く聞かないでください。それよりも、そういった事情なので私は殿下にルイーゼをお勧めしたかったのです」

「つまり、僕の気持ちをわかったうえでルイーゼ嬢を寄越していたということだね」


 墓穴を掘った。


 違いますと言っても、アルフレッドの中では答えが出ていそうだ。すぐに切り返せず、言葉に詰まったのも間違いだった。


 そうか、と呟く声が罪悪感を抱かせる。


「最初からふられていたというわけだ」

「……殿下のお心を無視していたのは謝ります」

「きちんと気持ちを告げたことはなかったから、憶測で行動し、避けたことを悪いとは言わないよ。気分は良くないけど」

「申し訳ございません……」

「いいよ。君と僕の仲だ。マリィの気持ちはわかった」


 王子の告白を蹴って、軽く済まされた。やはりアルフレッドは婚約者として最適な相手だ。器が大きい。ルイーゼもダミアンではなく、アルフレッドに惚れてくれたらよかったのに。


 そう考えていた真理に、アルフレッドはにっこりと今までの話の流れを感じさせない笑顔を浮かべる。


「じゃあ、今日の本題に移ろう」

「本題ですか? えっと、ルイーゼたちの尾行ですよね?」

「それはマリィが安心するまでの間だよ。もう彼らをつけまわさなくても大丈夫だろう?」


 暗に、ダミアンが信用できたかと問われる。真理は悩み、少ししかめっ面になって、無理に笑みを作った。


「そうですね。プリシラがいれば大丈夫だと思いました」

「よし。では、これから僕は、君をエスコートする」

「エスコート……?」

「ルイーゼ嬢から聞いたんだ。マリィには誕生日がないから、いつもルイーゼ嬢と同じ日にお祝いしていたって。今日はマリィにとっても記念日ということだろう? お祝いしないと」

「お祝いと言っても、私は今日が誕生日なわけではなくて、ついでだったんですけど……」

「ついででも、毎年やっていたんじゃないか。今年もやらないと、ノージット伯爵が気に病むよ。もちろん、ルイーゼ嬢だって気にする」


 アルフレッドはふと、自分の器に目をやって、悪戯っぽく盃のように掲げた。


「今日は僕がお祝いするから気にするなとルイーゼ嬢に言ったんだ。だからマリィ、今日は僕に祝われて」


 もともと、真理はこの世界での誕生日祝いに興味がなかった。ここで年を取ろうが、現実世界に帰れば二十歳に戻るのだから。


 だけど、アルフレッドの言うとおり、三年間はルイーゼとともに祝ってきた。今日はなにもないだろうなと思っていたところからのお祝いが、嬉しくないわけではない。


「よろしいんですか? 私はさっき、殿下にひどいことを申し上げたのに」

「それくらいで嫌いになったりはしないよ。これからの積み重ねで、マリィは僕を好きになるかもしれない。三年は、時間がある。ゆっくり仲良くなろう」

「殿下らしいですね」


 アプリの中のアルフレッドも自信家だった。目の前のアルフレッドより偉そうで、自信満々な態度で「君は俺に恋をする」と言い切っていたから、ちょっと柔らかな言葉に変わっているのが面白い。


 真理はヒロインではない。だから、アルフレッドに恋することは決まっていないけれど、お祝いはもらうことにした。


 スープが入った器を両手で掲げる。真理が乗ったのを見て、アルフレッドは嬉しそうに笑った。そして、軽く、コツンと器をぶつける。


「今日を良い日にしよう、マリィ」

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