5-2 使ってはいけない魔法



 翌朝。ルイーゼは真理とほとんどなにも喋らず、支度を整えて出かけて行った。いつもなら朝食を一緒にとるところを一人置いて行かれたため、真理は一人ぼっちでご飯を食べる気になれず、部屋で紅茶だけ飲む。


 今日は休みだ。気分が落ち込んでいるから不貞寝したいところだが、そうはいかない。


「マリーゴールド様。お支度の手伝いに参りました」


 真理が呼び出す前にサニーがやってきた。「お願い」と一言だけ告げて、鏡台の前に移動する。


 ルイーゼがダミアンに会うのなら、何事もないかあとをつけて安全を確認したい。プリシラがついている、アルフレッドが安全を保証していると言っても不安は消えなかった。


 二人は街に向かったはずだから、服装はドレスではなく街に馴染むような庶民らしい服をサニーに用意してもらった。シャツに袖を通してベストを着、リボンで留める。スカートはドレスよりも丈が短く、脛の真ん中あたりまでだった。このロングスカートに合わせる靴は膝下まである編み込みのブーツだ。座る真理の足元に跪き、サニーが手早く紐を締める。


「……ねえ、サニー」

「なんでしょう」

「サニーはそんなに私のことが嫌い?」


 両方の紐をきちんと結び終わってから、サニーは顔を上げた。出会ったときから変わらない、表情のない瞳。プリシラはつり目だが、もう少し温かみのある視線を送る。サニーからはそういったものを感じたことはない。


 立ち上がったサニーはクローゼットからエプロンを取り出した。彼女が構えるので、真理は大人しく腕を通す。


「マリーゴールド様のことがお嫌いなわけではありません」

「そうなの?」

「私の主は旦那様ですから。旦那様のご命令であれば、お嬢様のお世話もいたします」

「ええと……嫌々やってくれてるってわけね」


 はい、とも、いいえ、ともサニーは返さなかった。エプロンのリボンを結び終わったら、細かい調整をし、きちんと見られる形にする。そして、寮を出るときに不審な目で見られないよう、コートも渡された。


「本日は私もお供いたします」

「うん。お願い」


 不本意でも、真理との約束をサニーは守っている。貴族の娘は一人で外に出歩かない。だから今日は一緒にサニーも外に出てくれる。


 先を歩くのは真理だ。ルイーゼが今日、どこに行くかは知らないが、協力者は得ている。


 いや。協力者ではなく、共犯者か。


 寮を出てすぐに、パーシバルの姿が見えた。綺麗にお辞儀をした彼は、見えにくい位置に停めてある馬車を指す。


「あちらでお待ちです」


 指示通りにそちらへ足を向け、馬車の前で立ち止まった。パーシバルがノックをしたあと、馬車のドアが開けられる。


「おはよう、マリィ。上手くルイーゼを誘い出せたようだね」

「おはようございます、殿下」


 彼に手を差し出され、真理はその手を取って馬車に乗った。ドアは閉じられ、真理とアルフレッドの二人きりになる。今日のアルフレッドはいつもの立派な服ではなく、どこかで調達したらしい古着だった。整った顔立ちとは少しアンバランスだが、お忍びという形で街へ向かうのだから服装は地味にしなければならない。


 そう、ルイーゼたちのあとをつけるため、目立たないように真理もアルフレッドも庶民の格好をしているのだ。


 ゆっくりと馬車が動き出した。王族が使う紋章入りの馬車ではないが、庶民が乗るものではない。真理は気になって、問う。


「こんな馬車で街へ行ったら、人目を引きませんか?」

「途中で降りるよ。先に行った二人に追いつかないといけないからね。今日は確か、中央通りを通って街外れの天空の丘に向かうと言ってたから。通りの外れで降りよう」


 真理の不安を払拭するように、アルフレッドは明るく告げる。


「大丈夫。二人でデートさせるなら監視したいと言った、君の条件はちゃんと飲むと言っただろう? 約束は違えないよ」

「それなら安心いたしますが……」


 だが、アルフレッドはルイーゼとダミアンの恋を応援する、二人の味方だ。真理と立場が違う。


 真理はまだ、ダミアンにルイーゼを任せるのは嫌だった。ルイーゼの気持ちを尊重したくても、もう、気軽に背中を押してやることはできない。


 窓の外に目を向けて、視線の先にルイーゼの姿を探す。どうか今日は、不快な思いをしませんように。なにかあったら殴ったり、蹴ったりして逃げてくれますように。


 そしてどうか、ルイーゼの評判に傷がつくようなことが起こりませんように。


 ぎゅっと膝の上で拳を握り締める。と、目の前に座るアルフレッドから「どうかした?」と声をかけられた。


「朝から顔色が悪いね。なにかあったんだろう? 話してみて」

「……いえ。朝が早かったから、少し寝不足なだけです」

「学院の朝はいつももっと早いけど、今日ほど顔色が悪いことはなかったよ」


 よく知っているな、と真理は苦い思いで俯く。なにがあったのか教えて、とアルフレッドは促すけれど、なにをどう話しても今の状況への不満しか出てこないので口を開けなかった。


 だが。


「マリィ」


 再度、促すように名前を呼ばれたら、黙り続けているのは不敬だろうかと迷いが出る。


「……良いお話ではありません」

「気にしないで。僕と君の仲だろう?」


 親しげにアルフレッドは笑うけれど、真理は笑えない。どんな仲だというのだ。伯爵家の養女と王族の王子。身分に差がある。友達でもないのに。


 なるべく非難の色が出ないようにと気をつけて、口を開く。


「私は、やはりダミアン様を良くは思えません。殿下が悪い人ではないと言っても、私にとってはルイーゼを傷つけた人ですから」

「けれど、ルイーゼ嬢は彼の人となりをもう一度よく見てみたいと思ってるんだよ。だから、今日という日を設けたんじゃないか」

「わかっています。ですから、殿下にわざわざお話しするようなことではないんです。私が勝手に、色々考えてしまっているだけですから」


 それに、と付け足す。殿下の計画が悪かったと詰るだけで終わらないよう、自分の悪い点も曝け出した。


「私はルイーゼにとって悪い姉なんです。彼女のことを一番に考えているんですけど……でも、もしかしたら、そうじゃないのかもしれません。ルイーゼを裏切って行動していましたから」

「裏切り?」

「家の話です。深くは……」

「それってもしかして、君と父親が繋がっていることかな」


 私が悪いの。それで話を終えようとした真理は、アルフレッドの言葉に目を丸くする。


「どうして殿下がそれを知っているのですか」

「それは……。っと、待って。二人に追いついたみたいだ」


 馬車が止まり、窓の外に城下町が映る。エスペラルサ王国の首都、エンペラズだ。


 学院に近い、山側は石造りの家が多い。が、下ると下半分は石、上半分は木材でできた家が立ち並んでいた。中央通りには市が立ち、多くの人で賑わっている。一方、馬車が止まった通りには露店がなく、人の姿もまばらだった。


「ここで降りよう。通りに出るまで、僕のそばから離れないで」


 先に馬車を降りたアルフレッドが真理に手を貸す。その手を掴んで真理が馬車を降りたあとも、彼は手を離さなかった。ちらりとパーシバルに視線をやり、辺りを注意しながら中央通りに向かう。


 心なしか、サニーも緊張しているようだった。黙って彼女はついてくるが、やはり油断なく周囲を警戒している。


「……私、家からほとんど出たことがないんです」

「街に来るのは初めて?」

「はい」

「じゃあ、楽しい思い出を作って帰ろう。今日は君にとっても記念日なんだから」


 アルフレッドは笑顔を作ってくれた。だが、中央通りに入るまでは強く手を握り締めたままでいた。もしかして、街には治安が悪い場所もあるのだろうか。


「ルイーゼに危険はありませんよね?」

「危険がある誘いはしないよ。大丈夫。中央通りは憲兵も多いから、滅多なことは起きない。だけど、絶対に一人になったらいけないよ」

「……ルイーゼはダミアン様とプリシラしか、そばにいないと思うんですが」

「彼だって危険な真似はしない。いいからマリィ。まずは自分の身の安全をとると約束して」

「約束します」


 ルイーゼになにかあれば、真理が身をもって守りたいけれど。


 頷いた真理にアルフレッドは少しだけ安堵の表情を見せた。それから、繋いだままだった手を見て、そっと離す。


「ごめん。痛かったね」

「大丈夫です。それより殿下、早く二人のあとを追いましょう。人が多くて、すぐに見失ってしまいそうです」

「ダミアンは長身だから見つけやすいよ。目的地もわかってるから、急がないで」


 アルフレッドのそばを離れないと約束した以上、真理は先に走れない。早く、と人混みの中に消えてしまいそうな二人の姿を指すと、アルフレッドが先に歩き始めた。


 ルイーゼとダミアンも、真理たちのようにくっついて行動していた。だが、くっつきすぎるということはないようだ。ダミアンはプリシラのことも気遣って、二人が行動しやすいように先を歩き、こまめについてきているか振り返って確認をしている。その姿は恋お茶に出てくるダミアン・エズラ、そのものだ。


 最初からそういう行動をとっていれば、今の不安もなかっただろう。真理は彼の背中を睨みながら、アルフレッドから離れないようにしっかりあとをついていく。


「……マリィはあまり、人混みに困らないね」

「どういう意味でしょう?」

「初めて来たわりには歩くのに迷いがない。前から来る人も上手くかわしているなと思って」

「え、ええと、殿下が先を歩いてくださっているからですね」

「それでもルイーゼ嬢のように戸惑うものだよ」


 言われて、ルイーゼの姿を見る。ダミアンは歩きやすいように気遣っているものの、突然横にふらつく人間もいれば、飛び出してくる子供もいる。なにより人が多すぎて、真っ直ぐ歩くのもつらい。都内の通勤ラッシュを思い出す。真理も大学に通学していたとき、朝早く電車に乗らなければいけないときは苦しかった。


 ここの通りは観光地にもなっている都内の有名な通りよりかは少ないくらいだ。歩きやすくはないけれど、歩けないことはない。


「一応、市井の生まれですから」

「……そうだったね。だけど、街は初めてなんだ」

「そ、そうですね。ちょっと複雑なので、この話はやめにしませんか?」

「ごめん。終わりにしよう」


 触れてはいけないものに触れてしまったというようにアルフレッドは話を切り上げた。わずかに疑念は生まれたかもしれないが、まさか異世界から来た人間がここにいるとは思っていないだろう。


 三年もここにいて、自分が違う世界の人間だという意識して注意するのが鈍っていたかもしれない。気をつけよう。そう考えながら、ふと思いつく。


「そういえば、殿下」

「ん?」

「魔法のお話って知ってますか? 学院の授業にあるかなと思ったんですけど、なかったので、どう使うのかなと……」


 昔、ルイーゼに訊いたのと同じ問いをする。魔法を使ってみたいんだけど、どう使うの? そう訊いたら、ルイーゼは笑った。


 アルフレッドは顔を強張らせた。


「使う? 魔法を? 君が?」

「え? ええと、使えたらいいなと思って……変ですか?」

「使えるわけじゃないんだね?」

「はい……」


 なにかおかしい。


 どんなときも笑顔を絶やさないようにしていたアルフレッドが厳しい表情をしている。柔和な瞳が鋭く斬り込むように真理を見つめ、怖かった。


 無意識に後ずさったとき、周囲を見ていなかったから人にぶつかってしまった。「気をつけろ!」と怒鳴る声と、よろめきそうになる真理の体。とっさに真理は手を伸ばし、その手を素早く掴んだのはアルフレッドだった。


 ぐいっと引っ張られて、彼の腕の中に収まる。一瞬前の怖さと、転びそうになった驚きと、いろんなことが一気に起きて、すぐに反応できなかった。


「魔法は使えない。使い方もわからないってことでいいんだね?」

「そう、です……けど」


 目の前にアルフレッドの顔がある。誰にも聞かれないように囁かれた言葉に戸惑い、素直に真理は頷く。


 その途端、アルフレッドの体から力が抜けた。ふっとついた息が、真理の前髪を揺らす。


「よかった……。驚いたよ。あまり街では魔法の話を聞かないから、知らなかったのかな。魔法はね、禁忌だよ」

「禁忌……? 使ってはいけない魔法があるというわけではなく、魔法全体がですか?」

「そう。連法で決まっている。この世界の誰も魔法を使ってはいけない。もし使ったのなら、その人間は死罪だ」


 死罪。


 完全に、思考が止まった。


 魔法を使っただけで、死刑になるということか? なら、真理をこの世界に召喚したジョストは、もう、犯罪者?


 召喚された真理は、どう扱われる?

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