取り調べのその後


 あれからひと月が過ぎた。


 ジョスト・ウェルザーが王城の取調室に連れて行かれたことは貴族社会の噂になり、あっという間に広がったが、三日ほどで解放されたあと、実は王族からの依頼を受けて姿を消していたという内容に変わって新たな噂が流された。


 なんの依頼かはわからないが、ウェルザー家は王族からの信頼も厚いと思われて、一時期は真理だけでなくルイーゼも遠巻きに避けていた連中が再び集まり出した。ルイーゼはいつも通りの人気で、真理もウェルザー家と繋がりを持ちたい一部の貴族からお茶会に誘われるようになる。


「うう、こういうのこなくて楽だったんだけどな……」


 よければいかがですかと渡されたお茶会の招待状を手に、中庭に向かう。人がいなくて、ゆっくり過ごすのにはぴったりの場所だ。だけど、アルフレッドの休憩所でもあるから、まず彼がいないか確認する必要がある。


 こそこそと中庭の様子を伺っていたとき、後ろからぽんっと肩を叩かれて、うひゃっと変な声が出る。


 口を押さえて振り返ると、ルイーゼがダミアンと一緒に並んでいた。


「お姉さま……。なにをされているのですか?」

「ええと、人がいないか確認してた」

「そのような怪しい行動はおやめください。周りから変な目で見られてしまいますよ」

「今更だと思うけどなぁ……」


 町育ちの真理は普通の貴族とは違う。これはもう変えようのない決定事項として生徒の間にも浸透している気がする。家の評判が上がったためか、ある程度のマナーさえ気をつけていれば、多少自由にしていてもひそひそ話もなく、なにも言われない。ああ、あの人はあれが通常だからと、変人として見逃してもらえている。


 真理にとって重要なのは自分の周りにいる人だけだ。ウェルザー家と、あとは家に密接に関わる人に誠実でいることを心がけるだけ。ルイーゼはもちろん、一応、ダミアンもその輪の中に入っている。


「二人は? これからどこかへ行くの?」

「俺たちは図書館で勉強しに行く。マリーゴールドも一緒にどうだ?」

「図書館は人がいるから遠慮しておく。今日はちょっと一人になりたい気分だし」

「今日も、でしょう? お姉さま、避けるのはほどほどにしてくださいね」

「はい……」


 ルイーゼは皆が自分から離れていた時期は寂しそうにしていたけれど、ダミアンが変わらず接してくれていたことで元気を取り戻していった。事情を知っているからというのもあるだろうが、ダミアンは本当に、外聞だけを気にすることはない。


 侍女のプリシラがいるにしても、二人で楽しそうに過ごしているのだ。わざわざ図書館までついていくのは野暮というものだろう。


「じゃあ、中庭に誰もいないようだからこれで。またね、ルイーゼ」


 さっさとその場を離れようとした真理に、「待て」と手を掴んでダミアンが引き止めてくる。


「悪い、ルイーゼ。先に行っててもらえるか」

「構いませんよ。では、お姉さま。ごきげんよう」


 真理とダミアンを二人きりにするのにルイーゼは笑顔で立ち去っていく。引き止められた真理は「なに?」と怪訝に訊き返した。


 ダミアンは一度周囲を確認してから、声をひそめて告げた。


「結果報告をしておきたくてな。アルフレッド王子はすべてを知ってる。俺とルイーゼが秘密を知って黙っていることをわかってて、黙認しているようだ」

「ああ、やっぱり……」


 ダミアンの報告に項垂れた。あのとき、アルフレッドについた嘘は通じていたかどうか、ツテがあるというダミアンに調べてもらったのだ。その結果がこれ。


「殿下は私たちをどうすると思う?」

「なにかが起きない限りはなにもするつもりないだろう。手を打つ必要がないからな」

「このこと、ルイーゼには?」

「話していない。上手く父親の罪がなかったことにできたんだ。安心しているところに水を差したくないだろ?」

「そうだね……。話すにしても、時間を置いてからかな」


 ふう、と息をつき、微笑んでダミアンを見上げる。


「ありがとう。助かった」

「なんの。未来の姉君の手助けくらい、お安い御用だ。じゃあな」


 気安く肩を叩いて、ダミアンは走ってルイーゼのあとを追った。姉君と呼ばれ、真理は苦笑する。悪くはない響きだ。


 気を取り直して中庭へ向かおうとしたとき、再び後ろから肩を叩かれて、まだ用事があったかと振り返った。


「ダミアン、なにか……」

「ごめん、僕です」


 振り返った先にいたのはアルフレッドだった。気の弱そうな笑みで、肩を叩いた手を挙げている。


「あ、アルフレッド王子……!? 申し訳ありません、先ほどまでダミアンと話していたので……」

「その姿が見えて、僕も話をさせてもらえないかなって声をかけたんだ。あ、それと君の侍女が探してたよ。学院内でもそばにいようとする、良い侍女だね」

「あ、あはは……」


 アルフレッドが見かけた真理の侍女とは、サニーの代わりにやってきたミーナという新しい侍女だ。ミーナは勤勉で、孤児だからとは関係なく、真理に真摯に仕えてくれている。それは有難いが、サニーのときにはあった一人の時間、自由にできる時間が減って、少し息苦しい。だからたまにこうやって目を盗んで歩き回っていた。


 真理が逃げてきたことなど、アルフレッドにはお見通しだろう。「あとで謝らないとね」と忠告しながら、中庭を指す。


「せっかくだから、座ろうか。今はちょうどピンクの薔薇が見頃だよ」

「で、でも、私が一緒だとお邪魔ではありません?」

「邪魔なら誘わないから。もちろん、マリィが嫌なら断ってほしい。君と僕の仲だから、細かいことは気にせず、好きなようにして」


 一か月前ならその言葉も素直に聞けたが、今の真理には通用しない。真理とアルフレッドの仲と言っても、伯爵の養女と王族の王子の壁はある。それに、アルフレッドの腹は読めないから、反感を買わないように相手の言うことを聞くしかなかった。


 ぎこちなく頷く真理を、アルフレッドは困った顔で見つめる。手を差し伸べられ、おそるおそる掴めば優しく握り返された。


 中庭に見事に咲く薔薇を眺められるよう設置されたベンチに腰掛けると、拳二つ分の隙間を空けて隣にアルフレッドが座った。


 すぐなにか話し出すかと思ったけれど、なにも言ってこない。穏やかに、静かに薔薇を眺める時間が過ぎ、それからゆっくりと口火を切る。


「なんとなくね、避けられるだろうなとは思ってた」

「え?」

「僕の仕事は表向きは人に好かれるように動いて、裏では恨まれるようなこともするから。甘いことだけではなく、無慈悲に判断しなければいけないこともある。だから、そういった面を知れば、マリィは僕を嫌うだろうと思ったんだ」

「き、嫌ってはいませんよ?」

「そうなの?」


 笑って訊き返されたけれど、嘘つきと詰られているようにも響いた。


 アルフレッドはなにを言いたいのか、真理は急に振られた話について考えて、もう一度同じ返事をする。


「嫌ってはいません。殿下のこと、嫌いではありませんから」

「じゃあ、もし僕がまだ君を好きで、この三年間は恋人でいようと誘ったら、どう答える?」

「はいっ? え、いや、あの、ですから私、結婚する意思はないと……」

「いずれもとの世界に帰ることはノージット卿からも聞いたよ。だけど、それは今ではないらしいね。マリィにはまだ、帰るまでの時間が残されている。その時間を、僕にくれませんか」


 頭の中が大混乱だ。アルフレッドは一か月前の出来事を忘れてしまったのだろうか? 王子が、罪を知りながら嘘をついて庇おうとした人間と付き合おうとする?


 アルフレッドの青みがかった黒い瞳に真理が映る。真面目な話なんだとわかって、思わず真理は居住まいを正した。


「私は、なぜ殿下がそこまで私を好いているのかわかりません。他の方でもいいではありませんか。振られたんですから、他の方を探せばいいでしょう?」

「僕も、どうして君じゃなきゃだめなのかはわからないよ。けど、他の令嬢を勧められればいい気がしないし、いずれこの世界からいなくなるのかと思ったとき、それまではそばにいたいと思ったのが、僕の気持ちだ。今、僕の心にはマリィがいる。それが答えでしかない」

「手紙のやり取りをしただけなのに?」

「入学してからデートもしたし、不本意だけど僕の悪い面も見せたよ。怖がりながらも手を取ってくれて、嫌いではないと本音も教えてくれた……と思ってるんだけど、合ってるかな?」

「嫌いではありませんけど……」

「怖い?」

「たまに。あの、殿下の人となりがよくわからなくなったので」


 前の調子を取り戻して、つい本音で答えてしまう。慌ててフォローしたけれど、怒られはしなかった。


 王城で会ったアルフレッドは怖かった。王子である彼はきっと恐ろしいところがある。が、学院の中にいるアルフレッドは真理がよく知る姿だった。こっちはプライベートの顔なのかもしれない。


 真理の答えにアルフレッドは笑みを浮かべたまま、悩んだように唸る。


「うーん……。それは時間をかけてわかってほしい。だから、一度付き合ってみるのはどうかな?」

「強引すぎますよ」

「マリィが嫌なら引くけど、僕の目には嫌そうには映らないんだ。試しに恋人になってみれば、気を引けるかなと思ったんだけど無理そう?」

「無理というか……」


 これは、アルフレッドが納得する答えを出さなければ引いてもらえない流れだろうか。ルイーゼたちと一緒に図書館へ行けばよかったと思ってももう遅い。


 アルフレッドの瞳は真っ直ぐに真理へ向けられていた。その目はきっと、真理がなにを考えているのか読み解こうとしている目だ。嫌なら引くと言っていた。だから、嫌な顔をしていないか慎重に見極められている。


 だが、困ったことに真理はアルフレッドの好意が嫌ではない。好かれるの自体は嬉しい。


 ただ問題はある。


「大変申し上げにくいのですが……」

「気にせずどうぞ」

「……私、二十歳を超えてるんですよね」

「ハタチ?」

「実際の年齢は二十三歳です。なぜかこっちの世界に来て、体が縮んでしまったんですけど、殿下よりもずっと年上なんですよ。ですからね? 私と殿下が付き合うのは良くないと言いますか……」

「君が本当は二十三歳だとしても、僕はもうすぐ十六で、たった七歳差なんだけど」


 なにか問題でもある? と、入学前のジョストみたいなことをアルフレッドも口にする。自分の世界の常識は、この世界では通用しないらしい。


 どうしよう。アルフレッドを説得する材料が見つからない。


「マリィ。それが理由なら僕は付き合ってほしい」


 押しが強い面が出てきて、真理も以前のように根負けしそうだった。


 だけど、待って。相手は七歳も年下の学生だ。


「うう……」


 もう子どもは無理って言ってしまおうか?


 真理の頭にそんなことが思い浮かんでいるとも知らずに、アルフレッドは「マリィ」と圧をかけてくる。


 しどろもどろに言い訳を繰り返して逃げようとする真理のもとへ援軍のルイーゼがやってくるのは、まだもう少し、先のこと。

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召喚令嬢の攻略事情 夢十弐書 @mutonica

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