三章「エスレワール学院への入学」
3-1 入学前の準備
真理が乙女ゲームアプリ、恋とお茶のメモリーズの世界に召喚されてから三年の月日が経った。
ジョスト・ウェルザーから娘のルイーゼが幸せな婚約ができるよう協力してほしいと半ば脅される形で迫られ、衣食住を保証してもらう代わりに引き受けてもう三年。本来なら二十三歳になるはずだけれど、こちらの世界に来て体が縮んでしまった真理は十五歳の少女に成長した。染めていた髪も今はすべて、地毛の黒髪だ。
そして、ジョストから頼まれたルイーゼも十五歳だ。
十二歳の頃から他の令嬢とは違う可愛らしさと美しさを兼ね備えた少女は、三年経ってさらに美に磨きがかかった。真剣な表情は凛々しく美しい。ふと微笑む姿は愛らしく可愛らしい。恐ろしいほど周りを魅了するその子は、自分の魅力を知らずに育った。ウェルザー家と養子縁組し、ルイーゼの姉となった真理は彼女の無自覚さが怖い。さすが、恋お茶のヒロイン。
「お姉さま、準備は終わりましたか?」
自室でぼうっとしていた真理は、ドアのノックとともに聞こえた声にハッとする。
「終わった。入っても大丈夫だよ」
「失礼しますね」
気軽な調子でルイーゼが部屋の中に入ってくる。一時期は真理に距離を取っていたルイーゼともある出来事から少しずつ、砕けていった。おかげで、彼女が片思いしているダミアンを落とすために必要なパラメーターを学院入学前からアップすることができた。
恋お茶は、お茶会イベントのあとに学院編が始まる。ゲーム上ではスキップされる三年間。当然、プレイヤーはなにもできない。が、この世界はリアルタイムが流れているから、真理は本来なら学院編で行うパラメーター操作をルイーゼに勧めたのだ。
学院編では学院内の特定スポットを選択、そこに攻略キャラクターがいたら会話し、タイムをひとつ消費、いなかった場合でもタイムをひとつ使ったことになる。タイムは三ポイント溜まっており、消費後はしばらく時間をおかないと回復しないため、その間にパラメーターを上げるための操作が必要だ。
パラーメーターは五つ。学術、芸術、マナー、流行、体力だ。ダミアンを攻略するときに必要なパラメーターは体力である。他四つのパラメーターは適度なランクで条件クリアになるため、比較的に攻略しやすいキャラクターだ。が、体力パラメーターは上げるたびに他のパラメーターの数値を下げるというデメリットがあり、数値を維持するためにはバランス良く他のパラメーターも強化しなければならない。
つまり、めんどくさい。
だから今のうちに体力パラメーターを上げてしまい、学院生活は普通に暮らしてもパラーメーター条件に影響しないようにしたかった。
ルイーゼには「ダミアン様と付き合いなら体力が必要では?」とそれとなく促し、自主的なトレーニングを始めるに至った。またタイミングを見て「ダミアン様は剣術がお得だから、ルイーゼもできるといいかも?」とアドバイスをして、ルイーゼは剣を習うことにした。剣術については、ダミアンのイベントに関係がある。好感度が高く、体力パラメーターがある程度上がると一緒に剣の稽古をするイベントが発生するのだ。
もちろん、体力以外のパラメーターにも注意する。この世界では数値なんてものが見えないから真理はどのくらいまでルイーゼを成長させればいいのかわからなかったが、おそらく学院生活は普通に送っても問題ないはずだ。
無事にルイーゼを成長させることができ、すでに真理はやり切った気持ちでいっぱいだ。あとは学院に入学したあと、ダミアンが出没するスポットにルイーゼを誘導し、彼女の恋を応援するだけ。
ルイーゼは真理の荷物をしっかりと確認していた。三年の間、真理は真理でマナーをみっちりしこまれた。貴族としての立ち振る舞いは細かいところまで指導されるけれど、文化の違いはつらい。頭にいくら叩き込んでも、二十年も暮らしてきた日本生活での癖がつい、出てしまうこともあった。
だからルイーゼは心配をしている。真理が姉なのに、妹を躾けるようにひとつひとつ必要なものを確認して、頷いた。
「変なものは入れてないようですね」
「サニーが用意したから問題ないはずと思ってたけど、心配してたのはそっち?」
「私物も持っていくことになりますから。お姉さまはよく変なものを欲しがるでしょう? ですから、学院に持ち込み禁止のものを入れていないか心配していたのです」
「変なものじゃなくて、便利なものなの……」
たとえば下着とか。こちらはコルセットという窮屈なものをつけられる。おかげで体型が良くなった気がするけれど、食事がしづらくてたまらない。動きづらいのも不便だ。
ドレスもふんわりと裾を広げるために必要な器具を取り付けられそうになったけれど、これは回避できた。特別な糸を使用した生地の薄いスカートを何枚か履くだけで、ほんの少し裾が広がる。パニエに似ているなと思ったら、この世界でパニエと呼ぶスカートらしい。それを着れば、とりあえずは裾を広げる器具の装着は避けられた。
そういう、小さな不便に真理が不満を漏らすたびに「貴族に必要なものです」とルイーゼに一蹴された。
「でも、とりあえず荷物は大丈夫そう?」
「はい。お姉さま。学院でもよろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくね」
エスレワール学院から送られてきた入学案内には、学生が入寮する部屋の割り当てが書かれてあった。基本、二人一部屋で割り当てられており、真理とルイーゼは同じ部屋だ。
これで入学後もスムーズにルイーゼのサポートが行えると真理が安心する一方で、ルイーゼも同じことを口にした。
「同じ部屋で安心しました。これでお姉さまの恋をそばで見守ることができます」
「……何度も同じこと言いたくないけど、殿下との手紙は友人以下のそれだからね? ルイーゼとダミアン様の手紙とは違うの」
お茶会からルイーゼとダミアンは、定期的に手紙のやり取りをしている。三年間の間に二回は、父親の仕事についていく形で顔も合わせていた。
だが、真理とアルフレッドは違う。本当に手紙だけで、甘い言葉のひとつもかけていなければ、会う約束をしたこともない。
「大体、文字を覚えた時点で、もうやりとりはしてないし……」
「それはお姉さまが『もう文字は覚えました』と話を切り上げてしまったからでしょう? あとから聞いて、わたし、愕然としました……」
ほう、と頰に手を当ててわざとらしい息をルイーゼはつく。
真理とルイーゼが仲良くなった出来事とは、これだ。ルイーゼは真理とアルフレッドの恋にときめき、勝手に応援を始めた。それから少しずつ、手紙の書き方や文字を教わりながらルイーゼと仲良くなったのである。
ルイーゼは真理がアルフレッドに興味がないことは理解していたが、アルフレッドは真理に好意を持っていると思い込み、二人の仲を近づけさせようと色々画策していた。その頃は少し、いやだいぶルイーゼの言動に手を焼いたが、一年前に手紙のやり取りをやめてからは平和になった。
いい姉妹になったはずだと、真理は信じている。
「王子様との恋は憧れのものとおっしゃっていましたのに」
「だんだんわかってきたけど、ルイーゼ、半分楽しんでるよね?」
「なんのことでしょう?」
真理がアルフレッドとの手紙をやめたことを憂いていたと思えば、今度は笑みを浮かべる。ルイーゼはこんなに食えない女の子だっただろうかと、ゲーム内での立ち振る舞いを振り返る。……こんな感じではなかったような気がする。
その日の夜。明日の入学式を祝って豪勢な夕飯を食べたあと、少し早めに寝ようかなと支度をしていた真理にサニーが声をかけてくる。
「マリーゴールド様。旦那様がお呼びです」
「え、今?」
「ええ。お早く」
有無を言わせないサニーに、真理は慌てて寝間着の上にガウンを羽織る。時間も時間だから、このくらい許されるだろう。
普通なら侍女見習いであるサニーが真理の身支度を手伝うが、彼女は黙ってドアの前で待っていた。貴族の令嬢と侍女として正しくない関係なのはわかる。が、サニーは真理を敬う気はなく、真理もサニーに無理してまで自分に支えてほしいと思っていない。
良くも悪くも相手にあまり構わないという利害が一致した結果、真理はサニーに「人前ではそれらしい関係を保つ。他の人に怪しまれない程度に世話するのはどうか」と提案し、サニーはそれを受け入れた。気が進まないながらも彼女が真理の世話をしていたのは、いずれきちんとした令嬢の侍女になりたいこと、そのときに悪い評判がつかないようにしたいこと、他に行く当てがないことなど理由がある。だから、妥協案はサニーにとっても悪くない話だったらしい。
部屋の外に出れば、サニーは真理の侍女らしく振る舞う。ドアを開けて真理を通し、薄暗くなった廊下を歩きやすいように明かりで足元を照らす。
ジョストの部屋に着き、サニーがドアをノックして来訪を告げた。「入れ」という返事に、サニーが真理のため、ドアを開ける。
「失礼いたします」
真理が中に入ると、ジョストは手振りでサニーに下がるよう、指示を出す。真理とジョストの密談はこれまで何度もあったから、サニーは訝しがることなく下がった。
「少し待っていてくれ」
ジョストの部屋にはたくさんの書類が積まれている。壁際に並ぶ棚には分厚い本。壁にかけられた国旗に地図。どこかの国から取り寄せたらしい立派なソファに、真理は座った。
お茶の用意はない。ジョストのために用意されていた水差しから、新しいコップに水を注いで飲む。
「……よし、これでいい。それでマリィ、明日からの準備はどうだ?」
「滞りなく。三年の間にやれることはやったし、あとは選択肢を間違えなければルイーゼは好きな人と無事にゴールインできるよ」
「選択肢を間違えなければ?」
「訂正します。愛し合う殿方にプロポーズされるまでちゃんとサポートするから安心して」
間違いなんて許さないぞというように念を押され、言い直した。あのルイーゼが選択肢を間違えるはずないが、親であるジョストは不安らしい。真理が保証することで少しだけ安堵の表情を浮かべる。
真理の向かいに腰を下ろしたジョストは疲れが浮かぶ目元を指で揉み、ふう、と息をつく。
「君のことは信頼している。母親が亡くなってから落ち込んでいたあの子に、本当の笑顔を取り戻してくれた。心から感謝する」
深々と頭を下げられ、真理は怯む。それは恋バナで盛り上がっただけなのだが、一応父親にあたるジョストに恋の話はしたくないから話を変えた。
「感謝は最後にして。それより、ダミアン様をルイーゼの相手に選んで、本当にいいのね? ルイーゼは彼のことが好きみたいだけど、この前、嫌な噂を聞いたってお父様も言っていたでしょう?」
「ああ……」
真理の確認に、ジョストは指に髪を差し込み、握り締める。
「ここ一年は女遊びが激しいと聞くが、だからと言ってふしだらな真似はしていないようだ。ただ、やたらと年頃の令嬢に声をかけているという話で、相手にはされていない」
「ダミアン様は家督を継ぐ立場にないから?」
「おそらく。今の段階で、家督を継がない男にわざわざ媚びる子もいないということだろう。あちこちで違う子に声をかけている姿も噂になっている。彼自身に魅力がない、というところだ」
「ルイーゼの相手にいいかどうかも微妙だね……」
ダミアンとは、そんなキャラクターだっただろうかと首を傾げたくなる。彼は硬派キャラでアピールされていたはずだが、ここでもアプリとは違う側面が出てきてしまった。
真理は恋お茶の世界にいるつもりなのだが、キャラクターたちの印象が少しずつズレてきている。召喚された当初より、今は特にズレを感じる。同じ世界の別の軸に来たみたいだ。
「一応、王子様の方にもルイーゼの良さはアピールしてる。向こうもルイーゼの話はよく聞いてきたから、ダミアン様がだめならそれとなく王子を推してみるよ」
「アルフレッド王子はマリィと文通していたんだろう? マリィを通して、ルイーゼを見ていたということか?」
「そう仕向けたの。保険は必要でしょ?」
「だが……娘二人を天秤にかけられたみたいで気分が悪い」
ジョストの渋面は変わらない。彼は三年の間で真理も本当の娘として扱うようになっていった。記念日にはルイーゼと真理のケーキ、プレゼントを両方用意する。どちらの方が立派で、どちらの方が質素ということはない。まるっきり同じケーキに、二人に同じくらいたくさんのプレゼント。おかげで地味なドレスしか持っていなかった真理のクローゼットは三年間でパンパンになった。多すぎて整理したほどだ。
自分が帰ってきたときにルイーゼしか出迎えに来なければ真理を心配して部屋まで訪ね、サニーと上手くいっていないようだと知れば様子を聞いてくる。人を悪魔に例え、ルイーゼのために脅迫までしてこの世界に縛り付けたのはどこのどいつだったか、ジョストは忘れたのだろうか。
真理は笑って、この世界の父親の肩を叩く。
「心配しないで。言ったでしょ? 私、元の世界では二十歳だったの。だから今はもう二十三歳。十五歳は子どもすぎるよ」
「もう成人を迎えるんだぞ?」
「私の世界ではまだ子どもです。十五歳に手を出したら犯罪だよ」
「こちらの世界では三十の男と十五の娘の結婚は当たり前だが?」
「それは知ってるけど、私には合わない常識。だからね、お父様。安心してアルフレッド王子をルイーゼに勧めましょう」
と、そこまで言って思い出す。まだダミアンがだめと決まったわけではなかった。
「ダミアン様のことは入学してから、学院で直接見極める。ルイーゼも目の前で彼が他の女性に声をかけていたら心変わりするかもしれないし」
「だといいんだが……」
娘を学院に送り出す父親として、思うところはたくさんあるのだろう。だが、言っても仕方のないことだ。ジョストは一区切りつけるように、膝を叩き、顔を上げる。
「妹を頼んだぞ、マリィ」
「もちろん。任せて、お父様」
可愛らしい妹を女好きの男に嫁がせるわけにはいかない。
エスレワール学院に入学したらまず、ルイーゼとダミアンの恋を応援しつつ、彼の本性を暴こう。
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