3-2 アルフレッドのルート
エスレワール学院入学当日。仕事に向かうジョストとは屋敷で別れ、三か月後に訪れる社交シーズンで再会の約束を交わした。入学してたった三か月で長期休暇に入るわけだが、いったいなんのために学校へ行くのかと真理は文化の違いに躓きそうになる。
なんのためにエスレワール学院へ行くのかと言ったら、当然、貴族の子供たちは将来の伴侶を探しに来ているのだ。
恋お茶の第二部にあたる学院編。パラメーターアップはあったものの、授業風景はほとんどなかった。ストーリーはとにかく恋愛推し。出会い、仲を縮め、デートし、恋人になり、プロポーズ。この流れに乗るのが、今後三年間の目標である。
授業は形式的にあるが、ほとんどの貴族の家では家庭教師から基礎的なことを学んでいた。だからよほどの落ちこぼれではない限り、学院の授業の大半はすでに習ったことのおさらいで、難しいものではない。
そう、落ちこぼれではない限り。
入学式では学院長の挨拶のあと、簡単なオリエンテーションがあった。そこで学院で行われる授業の一覧が渡され、基本科目以外は選択で取るように言い渡された。
ホールを出たあと、真理はそっとルイーゼに声をかける。
「ルイーゼ、入学式で説明があった選択授業だけど、なにを取る?」
「わたしは特には。ですが、お姉さまは地理と歴史はもう少し学んだ方が良いと思います。わたしも一緒に取りましょうか?」
「取りたいものがないならそうしてくれると助かる……」
真理の三年間の勉強は語学と算数だけアップした。家計簿をつけるのには自信がある。だが、この国の成り立ちやら周辺諸国との関係、軋轢、観光、名産……と学ぶことの手を広げると覚えきれないことも増えていった。
気になるのは授業一覧の中に魔法の授業がないことだった。この世界に召喚された真理は、ジョストの言うことを聞かないと元の世界に戻れないことになっている。が、自分で魔法を学べばいつでも好きなときに帰れるのではないかと思ったのだ。
ルイーゼの恋の行方は気になるけれども、帰りの手段を自分でも得ておきたい。魔法の授業があるなら取りたかったが、どこにも書いていなかった。
そもそも、屋敷で魔法関連の本を探しても見つからず、三年もこの世界にいて魔法が使われている現場を見たこともない。それとなくルイーゼに魔法の話を振ったことがあるが、なにを言っているんだろうと怪訝な顔された。そのときはまだ、信頼関係を築く途中だったから深く問いはせず、今に至る。
恋お茶をプレイしているときも魔法の話は出てこなかったから、この世界にはないと判断するのが正しいのかもしれないが……それだと、真理がこの世界に来た方法が崩れる。
魔法はある。絶対にある。
しかし、それは一般的なものではないようだ。
魔法のことはもう少し後回しにしよう。それよりも目先のことだと、真理たちと同じくホールを出た生徒たちの会話を盗み聞きする。どうやら、地理に関してはほとんどの生徒が取るらしい。反対に、自国の歴史は完璧なのか「今更取る必要はないだろう」と除外している生徒がほとんどだ。代わりに人気なのは外国語で、これは真理も取る予定だ。
配られた紙と睨めっこして、唸り声が出そうなのを堪える。猫背にならないよう背筋を伸ばし、眉間にしわを刻まないように努めて微笑をたたえて。
「これらの授業は三年の間に取れればいいって言ってたよね?」
「ええ。学年に関係なく授業は行われるようですから、来年、一年生や三年生と一緒に受けても良いとおっしゃってましたね。外国語は二年に回す方も多いようですよ」
「私も二年にしようかな……。一年のうちに地理と歴史を完璧にして……」
大学のコマ数を計算しているみたいだ。こういう計算はよくやった。時間割の組み立ても考えて、無理に詰め込みすぎないようにして……。
と、書類に集中しすぎて忘れていた。
「ルイーゼ。ちょっと外の空気を吸いに行かない?」
「え?」
「今日は校舎を自由に見て回って、寮に戻るように言われてたでしょ? だから、まずは外に行こう」
「まずは校舎の中を見て回るのが効率的かと……」
「いいから! ほら、行こうっ」
手を差し出せば、ルイーゼは仕方ないなというように笑って握ってくれる。姉のわがままに付き合っているように見えて、実はルイーゼも手を繋ぐのを喜んでいた。これは真理の憶測だが、ルイーゼは母親を亡くしてから人との触れ合いが減って、寂しかったのかもしれない。真理が遠慮なくルイーゼにちょっかいを出すのをはじめはプリシラがやんわりと咎めていた。が、ルイーゼは止めなかったし、やがてプリシラも主の機嫌を悟って止めなくなった。
今も、真理とルイーゼの後ろにプリシラとサニーがいるが、二人ともなにも言わない。手を繋いで外に向かう真理とルイーゼを周りの令嬢が変な目で見ていた。真理のお披露目は三年前のお茶会のみだが、そのときよそよそしかった庶民と貴族の娘が、今は手を繋いで歩いているのだ。そんなに仲良くなったの? と驚いているのかもしれない。
「お姉さま。中庭に向かうのでは?」
「ううん。まずはこっち。あ、足元気をつけてね」
「大丈夫です。お姉さまのお転婆にずっと付き合ってきているんですから」
屋敷でも手を引くのは真理だった。広い庭を、ルイーゼの手を握って走ったこともある。そのあと盛大に転んで、ジョストに叱られた。ルイーゼは無傷で守れたのに。
真理の目的は恋お茶初日にあるイベントだ。特定の場所に行くとキャラクターがいて、イベントが発生する。入学式のイベントは一人しか選べず、そしてスチルありの大事なイベントだ。ルイーゼのため、ダミアンがいる稽古場へと小走りに向かった。
「あっ……」
少し離れたところからでもダミアンの姿は見つけやすかった。まだ十五歳なのに、すでに成人並みに背が高い。すらっとした体躯で、機敏な動きで剣を振るっている。
剣の稽古を真面目にしているのはポイントが高い。ただの女好きでも、女遊びにふけっているわけでもないらしい。
真理はルイーゼの背中を軽く押す。
「行ってきたら?」
「で、ですが……」
「私は先に寮に戻ってるから、ルイーゼはダミアンと会ってからプリシラと戻ってきてよ。帰ってきたら、お土産話をよろしくね」
「お、お姉さま!」
「ずーっと私をアルフレッド王子のことでからかってきたんだから、それくらいいいでしょ? ほら!」
もう一度、背中を押す。ルイーゼは意を決したように、両手を胸の前で組んで、小さく頷いた。その間に素早くルイーゼの身だしなみをプリシラが整えた。さすがだ。
「行ってまいります」
「健闘を祈る」
これで入学式イベントはクリアだ。真理までダミアンに見つかり、三人で話すことにならないよう、足早にその場を去った。女遊びが噂されるダミアンと二人きりにするのは悩むところだが、プリシラもいる。学院内でもあるから、そう悪いことはしないだろう。
二人きりになった瞬間、サニーはなにか言いたそうに真理を見ている。
「私は寮に戻るから、サニーも自由にして大丈夫だよ。ええと、言い訳は……私は部屋の片付けを頼んでるって言う」
「では、わたくしはお嬢様に用を言いつけられていると答えます」
「うん。それで。じゃあ、また明日」
「おやすみなさいませ、お嬢様」
口裏合わせも慣れたものだ。サニーは真理にお辞儀したあと、別の道に向かった。サニーの部屋もエスレワール学院の女子寮にあるはずだが、どこに向かうんだろうか。
学院内では基本、侍女の付き添いは不要ということになっていた。ただ、校舎の外に出るときや校舎と寮を行き来するとき、侍女を伴うことが多い。多いというだけで、絶対ではない。学院はある程度、世間から離れた場所として自由に行動して良いということになっているからである。
改めて、自由は素晴らしいと真理は実感した。ウェルザー家の屋敷では人目が多く、一人でいる時間は自室にいるときだけ。人目があることに慣れはしたけれど、やっぱり一人の時間は必要だ。
今後、寮ではルイーゼと一緒の部屋になるから、一人でいる時間を作らなければ。そう真理が考えているところで、ふと前方の人だかりに気づき、顔を上げた。
「あ、そっか。このイベントもあるんだった」
学校から寮までの道の途中。ヒロインを待つ王子のスチルはとても良かった。晴れ渡る青空をバックにキラキラ光るアルフレッドの青と黒の髪。十二歳の頃とは違って、幼さが消えた大人っぽい笑みは、腹黒王子に相応しかった。
三年の間になにがあったのか、アルフレッドは学院入学時にはなにを考えているかわからない腹黒王子へと進化するのだ。手紙のやり取りをしていた間にそんな片鱗は見られなかったが、今日、ついに進化を遂げたアルフレッドに再会する。真理は拳を握り締め、人だかりの中心へ視線を向けた。
と。
「ああ、マリィ。久しぶりだね」
三年前のなんら変わりもない優しい笑みで、アルフレッドが手を振ってくる。まだあどけなさが残っている、柔和な雰囲気だ。真理は一瞬、混乱しかけた。
とっさに礼を取れたのは、ずっとルイーゼにマナーをうるさく注意されてきたおかげだろう。周りの人に一言告げてから、アルフレッドは真理のそばに来る。
「お久しぶりです、殿下」
「久しぶり。お茶会ぶりだなんて、信じられないな。あんなに手紙のやり取りをしていたのに、一度も会わなかった」
それは、ルイーゼがちっともダミアン以外に興味を示さなかったからだ。アルフレッドにも会ってみたいと彼女が言っていれば、真理はなんとかして会わせようと躍起になっていただろう。
会う理由がなかったとは言えない。だから別の理由を探し、笑顔で口にする。
「マナーもなにも知らない子どもでしたから。ずっと家庭教師に教えてもらっていました」
「君と僕の仲ならマナーはそれほど気にしなくてもいいと思うけど」
「お優しいですね、殿下は」
真理の言葉に、アルフレッドは笑うような、困っているような、曖昧な笑みを浮かべる。それから、周囲を見回した。
「一人かい? 侍女は?」
「部屋の片付けをお願いしています」
「学院から寮までは一人で歩かない方がいい。送るよ」
「え? あ、いえ、大丈夫です。敷地内はそれほど危険がないと伺っていますし……」
「それほど、というのはね。まったくという意味ではないんだよ。さ、行こうか」
揚げ足を取るように細かいことを言われて、アルフレッドは先に歩き出す。男子寮は学院を挟んで女子寮の反対側にあるから、アルフレッドに送ってもらうのは悪い。が、ここで無視して置き去りにすることはできないから、真理も彼の歩調に合わせた。
アルフレッドがゆったりと歩くのは、ドレスを着る女性に合わせてのことだろう。学院とは言っても、通うのは貴族の令嬢と令息だ。制服という画一的なものはなく、皆、自身のドレスを着ている。真理も当然、自前のドレスを着ていた。だからアルフレッドの気遣いは有難い。
ちらりと周りを見ると、なぜ真理がアルフレッドと歩いているのかと不可解そうな目で令嬢がこちらを注目している。少し離れたところを歩くパーシバルの姿を認めてほっとした。これならマナーでうるさく言われることもないだろう。
「元気だった?」
「はい。殿下もお元気そうでなによりです」
「今日から僕も寮生活だからね。妹たちのお喋りから離れられて、ちょっと嬉しいよ」
アルフレッドには双子の妹がいる。どちらも兄として可愛がっているが、少し会話をしてみようと試みたばかりに懐かれすぎて困っているとは手紙で聞いていた。
「買い物のお相手がいなくなって、姫様たちはがっかりなさっているのでは?」
「その通り。今度はいつ帰ってくるのって訊かれたんだ。仕事もあるからね……。王宮には頻繁に戻ることになると思うけど、妹たちの相手をする時間があるかは微妙だな」
「じゃあ、寂しがりますね」
そういえば、ゲームでもアルフレッドが仕事をしている姿をヒロインが目撃していたなと思い出す。よくわからない難しい書類を読んでいたとか……。十五のときからしていたのか。
学院から寮までの距離はそう長くはない。すぐに女子寮の門が見えてきて、真理はここらでお暇しようとアルフレッドを見上げる。
すると、自分を見下ろしている青い瞳とかち合った。
「君はまったく寂しがってなかったね」
「はい?」
「二年も手紙のやり取りをして、良いお友達になれたと思っていたよ。マリィ」
「お、恐れ多いです……」
あ、ここは光栄ですと返すべきだっただろうか。
固まる真理に、アルフレッドが文句を言うことはなかった。マナーを気にする仲ではないというのは、嘘ではなかったらしい。
苦笑して、相手は足を止める。
「なら、まずは良いお友達になれるよう、僕は頑張るとしよう」
「え……。え?」
「今日はありがとう。会えて嬉しかったよ。これから三年間、よろしくね」
ごく自然な動作でアルフレッドは真理の手を取った。そして、手の甲に口づけをするふり。
親しい者への挨拶だ。
固まった。今度こそ完璧に固まった。
微動だにしない真理を見て、アルフレッドは弱い笑みを浮かべて「ごめん」と謝ってから去っていった。その謝罪は一体、どういう意味でされたのだろうか。
そんなことよりも、アルフレッドの態度は恋お茶でヒロインに見せていたものに近いような気がする。性格の違いはあれど、ゲーム内のアルフレッドもヒロインとの再会を喜び、「これからよろしく」とキザっぽく手の甲にキスをするのだ。
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