7-3 魔法を使ったのは


 プリシラを呼び、着替えを手伝ってもらった真理は、ドレスではなく、庶民が着る服に袖を通した。ルイーゼとダミアンのデートを尾行した日に着た服だ。ドレスよりこっちの方が落ち着くのは、根っからの庶民だからだろう。


 着替え終わった真理に、ダミアンは「なるほどなぁ」と一人納得したように頷く。


「顔立ちが少し違うのも、貴族らしからぬ立ち振る舞いも、全部異世界の人間だからか」

「顔はともかく、立ち振る舞いは私の性格というのもあるかもしれませんけどね。皆が皆、こうとは限りませんよ」

「ああ、マリーゴールドが異質ってことか?」

「個人差です」


 きっぱり言い返すと、再び「なるほどなぁ」と頷く。なにを納得しているのだろうか。


 と、ダミアンと違ってルイーゼの顔は緊張していた。


「お姉さま」


 呼ばれて振り向けば、微かに震える手で真理の手を掴んでくる。


「本当にお一人で行かれるのですか? わたしもご一緒してはいけませんか」

「できればルイーゼには知らないふりをしておいてほしいから、ここで待ってて」

「ですが、わたしはお父さまとお姉さまを犠牲に生き残る気などありません」

「うん。わかってる。絶対に無事に戻るから、だからこそ、ここで待っていてほしいの。ね? プリシラと一緒に、上手くいくように祈ってて」


 ルイーゼが大丈夫だと太鼓判を押すので、着替えをしながらプリシラにも真実を伝えた。彼女は一度眉を上げただけで、あとは淡々と聞き、「そうですか」の一言で話を終わらせた。そして今も、ルイーゼの侍女として仕え、真理に対しても変わらない態度でいる。これが侍女の姿か。サニーが変わっていたのか、プリシラの忠誠心が強いのか、どちらが本物なのだろう。


 二人で一緒に残っていてほしいと頼むのは、やはり万が一のことを考えてだった。真理が考えた作戦が上手くいく保証はない。それならば、ルイーゼだけでも助かってほしい。プリシラがそばにいればきっと、ルイーゼに無茶をさせることはないと踏んでいる。


 真理の言葉を聞いてもなお、ルイーゼは不安そうだった。そこに、ダミアンが口を挟む。


「じゃあ、俺がついていこうか。護衛としては頼りないかもしれないが、これでも騎士を目指しているから多少の腕は立つ」


 ダミアン・エズラは恋お茶のエンディングで騎士になるから、腕について心配はない。だが、真理はこれも断った。


「女子寮に入った記録のないダミアン様が私のそばにいたらおかしいでしょう。誰にも気づかれないように帰ってください」

「本当に一人で行く気か?」

「馬車を使うので御者はいます。あとは一人でなんとかしますよ」


 不安そうなルイーゼと心配そうなダミアンを見て、真理は笑う。


「これでも私、中身は二十歳を超えた大人です。王城に行って話してくることくらい、朝飯前ですから」


 胸を張って、気丈に笑えていただろうか。


 二十歳だからって、真理に社会人経験はない。せいぜいバイトをしていた程度。そのときに社会を学んだとも言えるが、王城みたいなランクが違う場所へは当然、行ったことがない。


 それでも虚勢を張り、皆を部屋に残して外に出た。馬車は朝に出かけたときと同じもので、御者も同じ人だった。彼はウェルザー家が置かれた状況を知っているから、真理に気遣わしげな視線を寄越してくる。


「お嬢様。本当にお一人で向かわれるのですか?」

「ええ。大丈夫。出してもらってもいい?」

「……かしこまりました」


 馬車に乗り、ジョストが取り調べられているらしい王城へ向かう。その間、真理は頭の中で何度もこのあとのことをシミュレーションした。


 アルフレッドに取り次ぎを願う。

 ジョストの無実を証言する。

 助命を乞う。


 それぞれのシーンの中で、冷たい表情を浮かべるアルフレッドがいた。彼は恋お茶の世界ではヒロインに優しく、その他には腹黒王子らしい対応を見せていた。心を開いているのはヒロインにだけ。それから少しずつ、周りと溶け込んでいくというような展開でエンディングを迎えたのだ。だから、まだ学院編一年目では好感度が高いヒロインにだけ優しい状態と言える。


 が、それはゲームだ。非現実だ。ここにいる現実のアルフレッドは、恋お茶の世界にいるアルフレッドとは違う。


「大丈夫……。上手くいく」


 膝の上でぎゅっと手を握り締めたとき、馬車が止まった。





 アルフレッドへの取り次ぎは、思ったよりも時間がかかった。今は職務中だからと追い返されても、それに関係があることだからと粘り、帰らずにいると仕方なく事務官らしい人が奥へ引っ込む。


 そのあと王城の中へ入れてもらえたが、今度は待合室のような小さな部屋で一人、待たされた。部屋には椅子が二脚とテーブルが一脚。まるで刑事ドラマの取調室のようだと思った。カツ丼は出てこないけれど、紅茶は出てきた。


 何度か「お疲れでしょう? 一度、帰られては?」と様子を見に来る人がいて、真理が根負けして帰るのを待っているのかもしれないと気を引き締める。


 アルフレッドに会うまで帰るわけにいかない。


 大学の飲み会では徹夜で騒いだこともあるのだ。お酒もなく、食事もなく、話し相手もいない窮屈な部屋で待ち続けるのは苦痛だったが、途中船をかぎながらもアルフレッドが来るまで根を上げずに済んだ。


 日も暮れてから、またドアが開く。そこから現れたのは、何度も様子を見に来た人ではなく、アルフレッドだった。


 瞳にはいつもの優しい笑みはない。最後に見たときと同じ表情で慌てて立ち上がって礼をする真理を見ている。


「マリィ。もう夜になる。御者を待たせているから帰りなさい」

「帰るわけにいきません。ノージット卿があらぬ罪によって裁かれるのは無視できませんから」

「……僕に話があると聞いたけれど?」


 ほんの少し、いつもの調子が戻ってくる。困った顔で小さく笑んで、真理の向かいにある椅子に腰を下ろす。真理も座るように手振りで示され、それに従った。


「君はなんの罪でノージット卿が連行されたか知っているよね? 魔法を使った疑惑があり、今は取り調べの最中だ。なのに、彼に罪はないとマリィが証明できるの?」

「できる……と、言い切れないのですが。ですが、彼に罪はないと私は知っています。知っているのに、無実の罪で裁かれるところを黙って見ているわけにはいきません。彼には大恩があるのですから」


 テーブルの下で両手を組み、強く握り締める。きちんと話せているだろうか。喉が乾いて、唇がべたべたして、喋りづらい。


 アルフレッドを前にしているけれど、視界がぼやけているような、焦点が合わない感覚がした。緊張して、まともに頭が働かない。


 そんな真理に、アルフレッドは丁寧にひとつずつ質問していく。


「マリィはノージット卿が魔法を使っていないと言い切れるんだね?」

「はい」

「では、罪がないと知っているとはどういうことか、説明できる?」

「はい」


 ここが正念場だ。嘘を、綺麗に、スムーズに。


「魔法を使ったのは私です」


 真実を語るかのように、告げる。


 アルフレッドの目が見開かれた。なにを、と戸惑った声が漏れ、ハッとして手で口を押さえる。困惑が警戒に変わり、眉をひそめて確認してくる。


「マリーゴールド。自分がなにを言っているかわかってるか?」

「はい。殿下……。私は、この世界の人間ではありません」

「……は?」

「私は異世界の人間なのです、殿下」


 再度告げると、アルフレッドはどういった反応をすべきかわからないというように首を傾げる。よし、怪訝には思われているけれど、嘘だとは思われていない。


 真理は背筋を伸ばし、ここに着くまでに何度も頭の中で練習した内容を話す。


「私の世界には魔法があります。私は自分の世界で魔法を使って、ここに飛ばされたのです。ただ、それは自分の意思ではなくて、魔法の暴走と言いますか……不慮の事故による転移です」

「ま、待って。君は本当にこの世界の人間ではないと? それを証明することはできる?」

「存在の証明は難しいですが、ノージット卿に話を聞いていただければ、私が異世界から来た人間だと説明してくださるはずです。三年前にここに飛ばされたとき、私は自分の世界の洋服を着ていました。おそらく彼はそれを取っておいてくれてるでしょう」

「服ひとつでは証拠にならない。ノージット卿も今は容疑者で、彼の言葉を鵜呑みには……」

「私がノージット卿を無実にしたいがために嘘をついているのならば、彼は私の嘘についていけないでしょう。ですが、本当のことですから、打ち合わせなしでも私たちの話は合うはずです」


 話しながら、どんどん緊張はピークに近づいていく。いや、もう達しているかもしれない。どうかこれ以上は変なことを訊かないでほしいと願い、「殿下」と真理から口を開く。


「私が文字を読めなかったのも、貴族社会に疎いのも、魔法を使ってはいけないと知らなかったのも、この世界の人間ではないからです。殿下は私と話したとき『新鮮だ』とおっしゃいましたが、それは別の世界の常識で喋っていたからです。そうやって見知らぬ世界に戸惑っていた私を助けてくれたのが、ジョスト・ウェルザーなんです」


 ですから、どうか。


 立ち上がり、頭を下げる。


「恩人である彼を裁かないでください。裁くのであれば、私をお裁きください」


 心臓が痛いほど大きく鳴っている。真理の計画を聞いたとき、ルイーゼは心配したが、ダミアンは勝算があると言った。


 真理は異世界人。なら、この世界の法では裁かれないはずだと。


 アルフレッドはしばらく黙っていた。顔から困惑が抜け、真剣な表情で真理の話を吟味していた。顎に当てている指が、なにかを計算するかのように動いている。


 やがて、彼は「わかった」と顔を上げる。


「ノージット卿にも話を聞こう。ところで相談なんだけど、彼にマリーゴールドは異世界の人間なのかと訊きたいとき、どう質問すればいいだろう?」

「そのままお訊きいただければ……」

「想像で話を繋げられると困るからね。きっかけは別のものがいい。君を拾った経緯を問いただせば、話ができるかな?」

「そうですね……」


 その経緯を訊かれると、ジョストは真理を召喚したと話してしまうかもしれない。どうにかして、召喚に関係ない方法で質問してもらわないと。


 考えたあと、真理はそういえばと思い出し、胸に手を当てる。


「ノージット卿には『賀志川真理』を知っているかと、訊いてみてください」


 ひとつだけ、もとの自分と繋がるものをジョストに教えていた。マリィと名乗ったとき、それは君の名前かと問われて、本当の名前を教えていたのだった。この名前をきっと、ジョストは覚えている。


「カシガワマリ?」


 なんの呪文だというようにアルフレッドが繰り返す。真理は久しぶりに口にし、聞いた自分の本当の名前に下手な笑みを浮かべた。


「私の、本当の名前です」


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