4-2 令嬢と噂話



 この世界で結婚なんて考えていない真理は、ダミアンの忠告を真面目には聞いていなかった。ルイーゼは必ず幸せになる。だから三年後、真理はこの世界からいない。そこまで将来のことを考えなくてもいいだろうと他の令嬢よりも自由に過ごしていたら、なぜか、厄介なことになった。


 原因は、忠告してきた本人のダミアンだ。


「ああ、ここにいたか、マリーゴールド」


 いつも通り、ルイーゼを誘導してアルフレッドがいる図書館に連れて行ったあと、真理は一人で中庭に来ていた。未だに元孤児という出生が足を引っ張り、真理も進んで交友関係を築かないため、友人もおらず、人がいないところでゆっくりと昼食を取るつもりだったのだ。


 それが、ダミアンだ。彼はなぜか、真理を見つけると必ず声をかけてくる。


「一人で飯か? マリーゴールドにはまだ友達ができていないんだな……」

「余計なお世話ですよ、ダミアン様。それと、私のことは呼び捨てにしないでください。あまり親しげに見られるのは困ります」

「困るって言うほど、アンタは周りを気にしていないだろ?」


 ベンチに座る真理の隣に、許可ももらわずにドカッと腰を下ろす。名前を呼び捨てにするだけではない。ダミアンの親しげな態度は、周りからも見てわかるものだった。


 ダミアン・エズラとマリーゴールド・ウェルザーは付き合っている。


 そんな馬鹿な噂が聞こえ始めたのは、つい昨日のことだ。周囲を気にしない真理とは反対に、ルイーゼは常に周囲に注意を向けている。「お姉さま、ダミアン様と付き合っているんですか?」と若干引き気味に訊かれたときは焦った。


 この男とどうして付き合わなければいけない。ルイーゼを泣かせた男なのに。


 広げていた包みを真理は適当に包み直した。彼を置いて立ち上がろうとしたけれど、すぐに相手が気づいて腕を掴んでくる。


「待ってくれ。話をしよう」

「何度話しても私の答えは変わりませんが?」

「それは昨日までの話だろ」

「今日も同じだと言ってるんですよ」


 なあ、とダミアンはさらに真理に近づく。立てないように腕を掴まれているから逃げられないけれど、できるだけ体を反らして彼から遠ざかった。


 真理は周りをあまり気にしていないけれど、周りの目を一切意識していないわけではないのだ。女遊びを噂されていた男に詰め寄られているなんて、どこの誰が言いふらすかわからない。


「ダミアン様。自分が前に、私になんて言ったか覚えてます? この距離は、あまりよろしくないのでは?」

「マリーゴールドがあまりにも無防備だから、結婚なんてどうでもいいのかと思っていた」

「私は警戒していますよ。だから、手。手を離して」


 このお願いを聞かなかったら、一発蹴ってやろう。脛を蹴るくらい、可愛いものだろう。


 動きやすいドレスを着てきて良かったと、真理はほんの少し足を引いて、蹴る体勢を取った。それに気づいたのか、ダミアンはパッと両手を挙げる。


「手。離した。これでいいだろ?」

「じゃあ、私はこれで」

「あああああっ、待てって! マリーゴールド。頼むから、ルイーゼと話ができるように取り持ってくれないか?」


 情けなく泣きついてくるダミアンに、真理は立ち上がったままその場から動かずにため息をついた。


 そう。真理とダミアンは頻繁に顔を合わせているが、その会話の中身はこれだ。周囲が疑うような仲ではなく、ダミアンはルイーゼと仲良くなりたいと思い、真理に橋渡し役を頼んでいるのである。


「嫌ですよ」


 それを毎度、にべもなく断る。


「マリーゴールド……」

「ルイーゼが他人行儀なのでしょう? では、それが答えです。あなたとは話したくないってこと」

「無礼を詫びたいんだ」

「詫びはしたと聞きましたよ」

「俺がしたい詫びは一方的なものじゃなくて……こう、相手も受け入れてくれるような謝罪をしたい」

「受け入れるかどうかは相手次第なので、押し付けるものではないでしょう。避けている人間を追いかけ回すのもどうかと思いますが」

「彼女が嫌がるのはわかっているから、追いかけ回したことはない」

「私はつきまとわれてるんですけど……」


 ダミアンが心を入れ替えて、ルイーゼを大切にしたいと考えているのはわかった。が、だからなんだと真理は突き放す。


「ルイーゼの態度がすべてです。私になにを言おうが、こっちは手伝う気はさらさらありません。というか、ルイーゼは新しい恋をしてるんだから邪魔をしないで。ダミアン様は新しい女の子を見つけたらどうです?」

「辛辣すぎるぞ、マリーゴールド」

「失礼。あなたがしつこすぎるので、私のこのくらいの毒は吐いていいものかと思いました」


 何度も声をかけられ、何度も同じ話をしているから、ダミアンがどの程度まで礼を失しても怒らないかラインは掴んでいた。この程度、彼は少しムッとするだけであとには引かない。


 女遊びさえなければ、ダミアン・エズラはいい男だったのだ。ルイーゼだけを大切にし、彼女を傷つけなければ真理も喜んで協力していた。


 すべてはこの男の身から出た錆で、同情の余地もない。だいたい、ルイーゼはこのところ毎日、アルフレッドに会って楽しそうに話しているのだ。部屋に戻ってきても機嫌が良くて、ダミアンと会ったあとのような悲しい表情を見せることはなかった。


 まだ、ルイーゼの心にダミアンがいるのかもしれない。だが、アルフレッドと一緒にいれば忘れられるだろう。


 今は大切なときなのだ。一度失敗したこの男に、ルイーゼの幸せを壊されてたまるか。


「ダミアン様の反省は聞きました。ルイーゼも承諾しました。それで話は終わりです。もう私につきまとうのもやめてくださいね」

「けどな……」

「絶対ですよ。約束ですからね。……では」


 まだなにか言いそうなダミアンを置いて、真理は足早に中庭を立ち去った。校舎の中に入るとき、ちらっと振り返る。ダミアンは項垂れて、その場から動いてはいなかった。


 今日のところは諦めてくれそうだ。しかし、明日になったらまた来るだろう。


「なにか対策を考えないと……」


 真理とダミアンが噂になればルイーゼの耳にも届き、せっかく忘れかけた男のことを思い出してしまう。さらに、姉が自分を傷つけた男と親しくしていると知って、ショックを受けているかもしれない。


 ダミアンが近づかなくなる方法。それを考えて、廊下を足早に歩いていたとき、ちょうど廊下からおりてきたアルフレッドとばったり会った。


 ルイーゼと図書館にいるはずの、アルフレッドと。


「な、なんでここに……?」

「探したよ、マリィ。少し……」


 気さくに話しかけてきたアルフレッドは、真理の手にあるものを見て首を傾げる。


「もしかして、昼食がまだだった? どこか食べるところに行こうか」

「え? あ、いや、そんなことよりルイーゼは……?」

「彼女のことを話したいんだ。あまり、人がいないところへ行こう。大丈夫。パーシバルはついてくるから安心して」


 真理のそばに侍女がいないとわかっていて、パーシバルの名を出したようだ。見える位置に立つ従者を見て、真理は曖昧に微笑む。侍女や従者のことよりもルイーゼの話が気になる。


 アルフレッドが連れてきたのは空き教室だった。今は昼休み中だから人もおらず、アルフレッドはドアを開けたままにして、真理を一番前の席に座らせる。そして、自分はその隣に腰掛けた。


「食べながら話を聞いてもらえるかな」

「いいんですか?」

「僕のせいで食事を抜くことになったら、ルイーゼ嬢に怒られてしまうからね」


 ルイーゼ嬢。呼び名が気になって、あれ? と首を傾げる。


「ルイーゼのこと、まだルイーゼ嬢と呼んでいるんですか?」

「そうだよ」


 訝しげになる真理を置いて、アルフレッドは「お茶の用意をしようか」とパーシバルに指示を出している。パーシバルはまた別の誰かに伝えて、少ししたら使用人らしき女性がお茶一式を持ってやってきた。


 どうぞ、と差し出された紅茶を見て、とりあえずサンドイッチを入れていた包みを開いた。


「殿下、お食事はお済みですか?」

「残念ながら」

「では、お言葉に甘えて。いただきます」


 ご飯抜きになって怒られるのはアルフレッドだけではない。この時代の下着はコルセットで、紐できつく腰を絞っているから一回の食事量が少ないのだ。他の令嬢に比べて真理は緩めに着けているけれど、一回の食事を抜けばお腹が空いてふらふらする。そんな状態で出歩くなとルイーゼに叱られるのは目に見えていた。


 思いっきりかぶりつきたいのを我慢して、ちびちびとサンドイッチを頬張る。行儀は悪いが、そのままアルフレッドに視線を向けて話を促した。


 アルフレッドは少しの間だけ黙り込み、それから口を開く。


「最近、ダミアンと仲がいいようだけど、二人は友達になったのかな?」

「ダミアン様ですか? お話はしますが、友達と呼べるほど親しいかは……」


 ルイーゼの話と言われたのにダミアンの名前が出てきて、真理は困惑する。


「どうしてダミアン様の話を? まさか、彼がルイーゼになにかしたのですか」

「いや。ダミアンがなにかしたわけではなく……。マリィは、ルイーゼ嬢がダミアンに好意を寄せていたことを知ってるんだよね?」

「こっ……! こ、好意と呼べるかわかりませんが、一時期、頼りにはしていたようですね」


 まさか、ルイーゼの過去の恋愛についてアルフレッドは不安を持っているのだろうか。ダミアンとアルフレッドはタイプが違う。ここでダミアンが好きだったなら自分に魅力は感じないだろうと身を引かれては困る。


 パッとアルフレッドの方に体を向け、真剣に告げた。


「ですが、頼りになるのはダミアン様よりも殿下です。ルイーゼも殿下と話したあとは楽しそうですし、ダミアン様のときとは違いますから」

「うん。それはわかってる。彼女が僕を頼りにしたからこそ、君と話してるんだよ」

「はい? どういう意味です?」

「マリィはルイーゼ嬢がダミアンに惚れていると知りながら、彼と仲良くしているのか確かめに来たんだ」

「……はい?」


 思いっきり、低い声が出てしまった。笑顔を忘れてはいけないのに、しかめっ面にもなってしまっている。慌てて気を引き締めて、表情を取り繕った。


「申し訳ありません。もう少し、わかりやすく教えていただけると助かります」

「ルイーゼ嬢は、ダミアンはマリィみたいな女性が好きなのかと悩んでいるんだよ。そして、マリィもダミアンみたいな男が好きなのかと、二人の仲が良いことを知って、つらい思いをしている」

「ま、待ってください! 私は女遊びをする男なんて願い下げです!」


 急いで否定してから、ピンときた。


 まさか、と青ざめる。


「ルイーゼ、まだあの男が好きなんですか?」

「ダミアンは君が思うほど悪い男じゃないんだが……」

「でも、あの子を傷つけました。他の女の子にも手を出してますよね? ルイーゼの相手としても願い下げです」

「学院に入ってからのダミアンは大人しいよ。彼も、彼なりに反省しているんだ。……ちょっとだけ、調子に乗ってしまったんだよ」


 アルフレッドは苦笑して、そこで言葉を切ったけれど、真理が納得していないのを見て止めた。迷うように口を開く。


「マリィはダミアンの家の事情をどれだけ知ってるかな?」

「……お兄様がいらっしゃるんですよね。領地はお兄様が継いで、本当はダミアン様にも一部を任せる予定だったらしいですが、辞退していると聞いています。あまり事務仕事が得意じゃないと」

「そう。彼は考えるより先に体が動くタイプなんだ。今は昔ほど、無鉄砲なところはないけどね。前は、誰もが遠巻きに見ていた令嬢に遠慮なく近づいていって、不躾な言葉をかけることもあったようだよ。それがルイーゼ嬢にとっては忘れられない思い出になったようだけど」

「ダミアン様の失礼な態度に、ルイーゼが惚れたとおっしゃるんですか?」

「ルイーゼ嬢は周りと空気が少し違う。だから、皆が付き合いにも一線を引いていたんだ。特に、お母様を亡くされた頃は誰も無闇に近づけなかった。ダミアンだけは違うけど」


 アルフレッドの話に、真理はそうかと納得する。あの頃は、父親であるジョストもどう接すればいいかわかっていなかった。ルイーゼにとってダミアンが特別だったのは、周りが気遣って話せないでいる時期に踏み込んできたからなのかもしれない。


 彼がルイーゼにとって大切な存在なのは理解できたけれど、真理はそれなら二人の仲を取り持つのに協力しようとは言えなかった。

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