一章「恋とお茶のメモリーズ」

1-1 見知らぬ男と見知らぬ世界


 自室で寝ていた真理がゲームのオープニングムービーを見て、次に目を覚ました場所は見知らぬ一室だった。まるで牢屋みたいなその部屋には真理の他にもう一人、男がいる。


 年嵩は三十か四十の間くらい。満足な明かりもない中で、男を照らすのは手に持っている蝋燭の光だった。見えづらいが、髪の色は黒……いや、茶色か。瞳は髪よりは明るいブラウン。立派な服はいかにも貴族らしく、ヨーロッパの礼服を着てみましたという感じだ。


 顔立ちからして、どう見ても外国人だけれど、さっき聞こえた言葉は真理にも理解できる日本語だった。ということは、日本出身なのか、それとも日本語が上手いだけなのか。


 混乱する頭の中で、とにかく言葉が通じるようでよかったと安堵しかけた真理は、慌ててぶんぶんと頭を振る。何も良くない。どうして自室で寝ていたのに見知らぬ部屋で目が覚めたのか。まだこれは夢なのかはっきりせず、ただ男を見つめる。


 男は一人でひとしきり喜んだあと、真理の視線に気づいて咳払いをした。


「あなたを喚び出したのは私だ。契約をしたく、術に手を出した」

「契約?」


 怪しい単語に、一気に警戒心が跳ね上がる。夢でも現実でもいきなり契約なんて怪しげなことを言う男は警戒しなければならない。知らない場所にいるから逃げ道がわからないが、見たところ周りに男以外の人影はなく、外に逃げようとすれば逃げられるだろう。叫んで助けでも呼ぶ?


 真理は立ち上がり、男を眺めた。立ってみると、男は思ったよりも背が高いことに気づく。貴族のコスプレする背の高い男からの契約話。怪しすぎる。


「悪いんですが、私、学生でお金はないので契約は無理です。帰してください」

「契約というのはお金がほしいわけではない。私の娘、ルイーゼを幸せに導く手伝いがほしい」

「はい……?」


 想像と違った契約内容に、ますます不審に思う。娘を幸せに導いてくれとは、これは宗教勧誘か?


「申し訳ないんですけど、私は無宗教を貫きます。幸せになるだとか言われても、そういうのは神頼みじゃなくて自分の努力でどうにかするのが一番だと思うし……」


 初詣に行き、受験前には合格祈願にも行ったけれど、真理に明確な信仰心はない。神様がいればいいな、まあ自分のことは自分でどうにかするけど、お参りした分、いいことがあるといいよね、と。そんな薄い信仰心だ。宗教勧誘に負けるほど心が折れてもいないので、断固として拒否するつもりでいた。


 だが、男は真理の話に訝しげな顔をする。


「宗教など、どうでもいい。私はあなたが何を信仰しているかを重要視していない。何を信仰していようが、娘を幸せにしてくれるならそれでいいのだ」

「いや、私に娘さんを幸せにする力なんてありませんからね……?」

「私は娘を幸せにする者をここに喚び起こせと術を発動したのだから、あなたは娘を幸せにする力があるはずだ」


 ギラつく男の瞳を見て、真理はやばいなと危機を察した。


 この男、何やら怪しげな術にハマっているらしい。それで真理を召喚したと思い込み、だから真理は娘を幸せにすることができると信じ切っている。何それ、あなた、誰かに騙されてるんじゃないの? と指摘したい。指摘したいけど、逆上されたら怖いから、真理は黙っていた。


 じりじりと移動し、逃げるための場所取りをしているけれど、男も油断なく真理に合わせて動く。逃げ道は男の後ろにあるドアしかない。あのドアに鍵がかかっていなければいいんだけど、どうだろうか。


「お願いだ、話を聞いてくれ」

「話は聞かせてもらいました。検討した結果、私には無理だと判断したので、他を当たってください」

「異世界から娘を幸せにする者を喚ぶ方法は一度しか使えない。お前を逃したらもう、娘は幸せになれないんだ!」

「それは思い込みです! きっと、娘さんを幸せにする方は他にも……」


 必死になる男が怖くて、さっきまで『あなた』と呼んでいたのに『お前』と呼び始めた男が危険に見えて、真理はとっさに後ろに飛びすがった。と同時に、変な台詞に引っかかりを覚える。


 異世界?


 召喚だとか、術だとか、怪しげな言葉ばかりでその台詞もスルーしてしまいそうだったけれど、引っかかった。異世界、召喚、術。


 ルイーゼ。


 あ、と思い当たることが出てきた。


「ルイーゼって、恋とお茶のメモリーズの主人公のルイーゼ?」

「何?」

「ここって、エスペラルサ王国ですか」


 訝しげながらも男は頷いた。真理は、サーッと青ざめる。


 すぐには気づけなかった。ルイーゼといえば、恋お茶に出てくるヒロインの名前だ。名前と言っても、プレイヤーによって書き換えることができる。真理も自分の名前をもじって『マリィ』でプレイしていたから、すぐにデフォルト名を思い出せなかった。


 けれど、合致した。ここに来る前に見ていたオープニング。ルイーゼという名の娘。エスペラルサ王国。


 ここ、恋とお茶のメモリーズの世界だ。


「待って、待って待って待って! ってことは何? ここは……ええと、ルイーゼの実家であるウェルザー家の屋敷? あなたはルイーゼの父親ってこと?」

「いかにも。ルイーゼは昨年、母を亡くしたときから気落ちしてしまって……。今年からお茶会に参加しなければいけないものの、周りと上手く馴染めずにいるのだ。今からこの調子ではいずれ学院に入学したとしても上手くいかず、婚期を逃したらと思うと不安で不安で……」


 色々、悩んできたのだろうか。ルイーゼの父親は大きなため息をひとつ吐き、苦しげな表情で続ける。


「父親としてなんとかしなければいけないと考えたが、ルイーゼは私には弱いところを見せようとせず、何も話してはくれない。このままではいけないと思って、あなたを召喚した」

「お茶会……。なるほど、今はゲームの初期段階なんだ……」


 恋お茶は大まかに言って、三部に分けられる。第一部は幼少期。この世界では十二歳のときにお茶会を開き、同年代の子を招く。ヒロインであるプレイヤーは攻略対象五人のうち、気になるキャラクターを三人選んで、お茶会に参加するのだ。


 ちなみに、このお茶会のキャラクター選びは重要だ。ここで好感度を上げておくと第二部の攻略が楽になる。反対にお茶会で出会わなかったり、好感度を下げたりすると第二部では印象最悪の状態からスタートで、好みのキャラクターの塩対応が見たい人以外は基本、好感度を上げていく。


「確かにお茶会に参加して失敗すると、後々大変かも……」

「だろう!? だからこそ、私は娘のためにもやれることはやりたいのだ。たとえ禁忌だとしても術を使い、あなたに娘を幸せにしてもらう。……幸せにするまで、決して逃しはしない」


 真理が理解を示したからか、ルイーゼの父親は勢いづいた。ゲームの流れを思い出していた真理の不意をつき、腕を掴んでくる。


「いたっ……!」

「あなたにはここにいてもらう。ルイーゼが愛する人と出会い、きちんと婚約できるまでサポートしてほしい。その間の衣食住は私が保障する。これが契約だ」

「い、いや、無茶苦茶言わないでくださいよ!」

「私は娘のためならば悪魔にでも魂を売るつもりで喚んだのだ。今更、引くつもりはない!」


 悪魔って、それは私のこと?


 真理が顔をしかめても、ルイーゼの父親に怯む様子はなかった。彼の話をすべて信じるならば、娘を幸せにするために禁忌の術に手を出し、真理を召喚したことになる。そして、その召喚は成功だ。真理は恋お茶を何度もプレイしている。


 それこそ、飽きるくらいに。


 恋お茶は、ビジュアルこそ最高に美麗だったものの、音楽と音声がついておらず、乙女ゲームのアプリとしては物足りないものだった。途中のスチルが綺麗で、ストーリーも悪くなく、とりあえず全部のキャラクターで第二部までクリアした。第三部が領地運営というストーリーのない作業ゲームになっていたため、それがつまらなくて第一部と第二部を延々と遊び続けた。途中でライバルシステムが追加されたけれど、恋お茶ユーザーが求めていたのは第二部でクリアしたストーリーの続き、もしくはイベントストーリーの配信で、それがないままサービス終了。


 つまり、伸び代がないアプリだった。


 真理は頭の中で終わってしまったアプリの内容を思い出す。ルイーゼを幸せに導くのは簡単だ。愛する人と出会うことだってできる。だって、そういうゲームだったから。


 血走った目をするルイーゼの父親に視線を合わせ、念のため訊く。


「私がここにいる間、向こうの世界はどうなるの? つまり、えっと、私の現実世界なんだけど。私がいなくなったら事件になると思う」

「問題はない。召喚されている間はあなたの世界の時は止まっている。再び動き出すには、この本を閉じればいい」


 指が差した方向を見ると、古ぼけた本が広げたまま置いてあった。


「あれがこちらとあなたの世界を繋いでいる。閉じれば世界の繋がりは消え、分断される。それから時は動くのだから心配はない」

「……私が元の世界に帰るには、あなたの言うことを聞かなければいけないというわけ?」

「そう。私の望みを叶えてほしい」


 頼む姿勢ではあるが、頼みを聞かなければ帰さないわけだから、ほぼ脅しだ。


 悩み、ため息をつく。悩んだところで答えはひとつしか出てこなかった。


「わかった。衣食住を保障するってちゃんと契約書を交わしてくれるなら、ルイーゼが好きな人と上手くいくように協力する」

「本当か?」

「そうしないと帰れないなら、やるしかないでしょ」


 幸運なのは、攻略方法がわかっていること。ルイーゼには幸せになる未来がちゃんと用意されていると、真理が知っていることだ。ライバルシステムはあるが、きちんと回避方法も覚えている。誰にも邪魔されず、ルイーゼの恋を実らせよう。


 最初は疑ったルイーゼの父親も、真理が観念したと悟り、破顔した。これで娘が幸せになれると喜ぶ姿はなるほど、娘を溺愛する親バカで、怖いもの知らずの父親だ。

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