1-3 ヒロインとの出会い
翌朝、真理は昨夜の出来事が夢ではないことを知った。セーブなんてしなければよかった。そうしたら、もしかすると元の世界に戻れていたのかもしれないのに。
天蓋付きのふかふかベッドから起き上がって、部屋の中を見回す。カーテンの隙間から差し込む光。どこかのお屋敷みたいな見事な装飾のテーブルと椅子のセット。サイドテーブルには空の花瓶が置かれており、無意味に指先で縁を拭ってみた。……埃なし。
これからどうすればいいんだろうと戸惑う間もなく、サニーがやってきた。「おはようございます」と儀礼的に挨拶をした彼女は、断りもなく真理の服を脱がそうとする。
「ちょ、ちょっと! いきなりなんですか?」
「お召替えをしませんと。旦那様とお嬢様への挨拶がありますから」
「挨拶? あ、紹介してくれるってこと?」
「さあ、腕を上げて」
ちっとも丁寧ではない手つきで服を脱がされかける。体は子供といっても、中身は二十歳の女子大生だ。見知らぬ女性に服を脱がされるのは嫌だ。
「自分で着ます! 着替えは自分でやるから、部屋の外に出ててくださいっ」
「そうですか? では、こちらに着替えてください」
抵抗を受けるかと思ったけれど、すんなりサニーは手を離してくれる。渡されたのはドレスだ。後ろにボタンがついていて、腰にリボンを巻くタイプ。くすんだグレーのドレスは生地がごわごわしている。寝間着の着心地も良くなかったが、これがこの世界の標準なのだろうか。
サニーが部屋を出たあとに、真理は一人で着替えた。ボタンを留めるのは難しかったけれど、子供の姿になって柔軟性がアップしたらしい。変な体勢になりながらもなんとか留められ、リボンもしっかりと結んだ。
鏡を見て、手ぐしで髪も整える。
「あー……美容院の予約を入れようと思ってたんだった」
今は明るいブラウンだけど、根本に地毛が見えてきている。子供の姿になって髪質は良くなったようだから、トリートメントの必要はないかもしれない。が、髪の色はどうにもならないだろう。
ヘアアイロンもメイク道具もカラコンもない。地味な自分の顔を、むっと睨んだあとに部屋のドアに向かった。
サニーに終わったことを告げようとしたら、ドアの向こうには誰もいない。ガランとした長い廊下が続いていて、真理は小さくため息をつく。
「これ、絶対に厄介者扱いされてるよね……」
メイドとは上手く付き合えないかもしれない。真理の目的はルイーゼの幸せ成就だからメイドと上手く付き合えなくても問題ないが、挨拶をするのにどこへ行けばいいのかわからないのは困った。
部屋に大切なものはない。鍵をかける必要はないからそのまま部屋を出て、人を探す。
ウェルザー家の屋敷は大きかった。真理は通っていた小学校の敷地を思い出す。大体、あれの二倍ほどの広さだろうか。
少し高い位置にある窓の外を背伸びして覗き込めば、まるでホテルのような庭が広がっていた。薔薇の庭園に東屋、噴水、石像もある。いかにもお金持ちのお屋敷という雰囲気に、だんだんと真理も高揚していった。
「せっかくだし、探検しようっと」
ゲームには描かれなかったヒロインの実家だ。何があるのか興味を引かれ、小走りで廊下を駆けていく。
本当は部屋のドアをひとつずつ開けて回りたいけれど、いくらゲームの世界とは言っても今は真理にとってリアルだ。勝手にタンスの中を漁るわけにも、人の日記を読むわけにもいかない。もちろん、ノックもなしに開けて入っていくのもマナー違反だろう。ノックをして、返事があれば入ってもいいだろうが、知らない家で知らない人にいきなり会って話すことはなかった。
私、主人公に向いてないのかもしれない。
探検するにしても、廊下を走ってきょろきょろするだけ。廊下には絨毯が敷かれていることや等間隔に花瓶が置かれて花が生けられていること、窓の外はどこまでいっても庭園だということだけがわかった。
階段に差し掛かり、どうしようかなと真理は悩む。サニーを探すべきか、ジョストに直接会いに行ってもいいのか。
真理の非常識な行動をジョストが咎めるとは思わない。この世界の人間ではないと知っている唯一の人物だ。ルイーゼを紹介してもらうならジョストに直接会う方が面倒ではないかもと考え、昨日彼と歩いた道を思い出し、階段を降りようとした。
そのときだった。
「……どちらさま?」
おそるおそるといったように静かな声がかけられた。驚いて振り返ると、可愛らしい女の子が真理から少し離れたところに立っている。
思わず、ぽかんと口を開けて魅入ってしまった。女の子はこれまで見たことがないくらい可愛い。いや、美しい。いや、愛らしい。どんな褒め言葉もぴたりと当てはまる少女だ。
固まる真理に、相手は戸惑った様子で首を傾げる。するとピンクブロンドの髪が一房、さらりと横に垂れた。赤みの強い茶の瞳には困惑の色が強く、何度か目をぱちぱちさせたあと、後ろを振り返った。
後ろに立つのはメイド服を着た、吊り目の女性だ。意志の強そうな黒い瞳は強い女性を感じさせる。「お嬢様」と告げる声は凛として、やはりかっこいい。
「おそらく、彼女が旦那様からお話のあった孤児ではありませんか?」
「……ああ、わたしの新しいお姉さまになるお方ですね」
ゆっくりとした口調で答えた女の子の言葉に、真理はピンとくる。新しいお姉さま。ということは、彼女がルイーゼ・ウェルザーか。
ここはどう挨拶をすればいいのか迷った真理に、メイドの方が先に口を挟んできた。
「マリーゴールド様。恐れ入りますが、サニーと一緒にこちらへおいでになったのでは?」
「あ、サニーには着替えるまで待っていてほしいと頼みました。そのあと姿が見えなくて、ちょっと探してたんですけど……」
探検してました、なんて言ったら怪しまれるかもしれない。孤児が屋敷内をうろついていると見て、メイドはもともと鋭い瞳をさらに、きゅっと細める。
怒られる。そう身構えたけれど、意外にもメイドは深々と頭を下げてくる。
「教育が行き届いておらず、申し訳ございません。ルイーゼ様、わたくし、一度下がらせていただいてもよろしいでしょうか」
「ええ。かまいません。あとをよろしく頼みますね、プリシラ」
「かしこまりました。……マリーゴールド様」
「は、はい」
「お髪が乱れております。整えますので、こちらへ」
手ぐしでは見栄えが悪かっただろうか。はい、と答えてプリシラと呼ばれたメイドのあとをついていこうとし、ルイーゼの横を通るときに立ち止まった。
背丈は同じくらい。だけど、月とすっぽんくらい違いがある妹に、真理は頭を下げた。ただ頭を下げるだけのお辞儀をした真理に対し、ルイーゼはドレスの裾を抓んで、胸に手を当て、頭を下げると同時に軽く膝も曲げる。
「また後ほど、お姉さま」
にこりと微笑む顔は天使だった。ぼけっとしていた真理の前でルイーゼは階段を降りて行き、プリシラは「こちらへ」と再び促してきた。
プリシラの案内で連れてこられた場所は真理の部屋だ。あちこち駆け回ったと思ったけれど、無駄に遠回りをしていただけらしい。あっという間に自室に着いて、プリシラは真理を鏡台の前に座らせた。
「今後は貴族の娘として生きていくのです。身なりには特に気をつけませんといけませんよ」
引き出しから箱を取り出したプリシラはそこからブラシを取り、丁寧に真理の髪を梳いていく。
「ええと、これではいけませんか?」
鏡に映る自分の姿は思ったよりも悪くない。髪が跳ねていることもなかったけれど、プリシラは何度も何度もブラシを滑らせて真理の髪を整えていく。
「人前に出るのなら、髪を結いませんと」
「必ず?」
「必ずでございます。それから、侍女見習いと行動してください。これも、必ずです」
「侍女見習い?」
「マリーゴールド様に旦那様はサニーをつけました。彼女と共に行動してください。外に出るときは、特に」
「サニーがいないときはどうすればいいんですか?」
「人をお呼びください。ドアの横にある紐を引けば鈴が鳴ります。誰かがご用をお聞きに参りますから、それまでお待ちください」
「外でサニーがいないときは……」
「外でサニーとはぐれないようにしてください。また、サニーがいないまま、外に出てはいけません」
とても窮屈に感じるのだけれど、これは貴族のルールなのだろうか。それとも、真理が孤児だから警戒されているのか?
「さっき、ルイーゼ……様? は、一人にされてましたよね?」
「ルイーゼ様は屋敷内の事情も精通しておられます。必要があれば使用人に用を言いつけるでしょう」
「……あ、なるほど。私は一人でいたら何をするのが正解かわからないから、サニーと一緒にいた方がいいんですね?」
「町とここではルールが違いますから。それらをすべて覚えるまでお一人にはならない方が良いでしょう」
それから、とプリシラは付け加える。
「マリーゴールド様はウェルザー家の一員となりました。ルイーゼ様は妹君にあたります。ですから、敬称をおつけになる必要はありません」
「孤児でもですか?」
「出自は関係ありません。家族になったのに敬称をつけていれば、ルイーゼ様もお気になさるでしょう」
「……わかりました」
真理の髪はプリシラの手によって、見事な編み込みがされたハーフアップにされた。途中で悪戦苦闘していたのは髪の長さが足りなかったからだろう。真理の髪は肩より少し長い程度。ルイーゼの髪は腰まで届いていたから勝手が違ったのかもしれない。
「手間取ってしまい、申し訳ございません」
「いえ。助かりました。自分ではこう上手くできませんし、すごいです」
「光栄でございます」
本当にそう思っているのだろうかと、少し疑ってしまう。サニーの態度から考えると孤児と思われている真理の存在はジョスト以外、歓迎していないのかと思った。だけど、さっき、プリシラは出自は関係ないと言っていた。彼女とルイーゼは真理を受け入れてくれているのだろうか。
椅子から降りるとき、そっとプリシラが手を貸してくれた。お姫様対応にびっくりするけれど、おそらく、これが彼女らの普通なのだろう。
「それではマリーゴールド様、ご案内いたします」
畏った対応をするプリシラにどう答えていいかわからず、真理は「よろしくお願いします」とルイーゼの真似をして告げた。彼女の真似をしていればきっと、間違いはないはず。
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