第6話 アリシア=ハンバード⑥

「起きろアリス」


 その声を聞き目が覚めた。これも訓練の賜物であるが、ここまで切り替えが早いのは軍部でも一握りだった。


「なんかあった?」

「外に動きがあった。私が見ただけでも黒衣を羽織った人間が五人うろついてる。監視役が二人に増えてるから合計七人。まだ宿には入ってきてないけど時間の問題」

「さすがに正体まではわからないか」

「いや、黒衣の腕に腕章があった。それと胸にバッジ」

「ここから見えるのは怖いんだけど」

「まあ目はいい方だからな。あと私の魔法が光属性だってのもある。遠くの物が見えたりするからな」

「顔は見えないの?」

「近付いて見るわけじゃないからそこまでわからん。腕章してるかも、バッジしてるかもくらいの感覚でいてくれ」

「雑すぎる……」

「まあ正確にはわからんが、どこかの軍部っぽい感じがするな。妙にキビキビしてて、任務中の軍人っぽい動きだ。軽い敬礼なんかもしてた」

「でも腕章とバッジの軍人なんている? 聞いたことないけど」


 軍人として他国の軍服も把握しているが、黒衣に腕章とバッジは聞いたことがない。


「一つだけ心当たりがあるな。王家直属の隠密部隊は黒衣に腕章にバッジだ。光を反射しないタイプのバッジっていうのも共通点になる」

「隠密部隊、か」


 であれば入れ替わりの尾行や監視方法も納得できる。魔王討伐課に配属される前に何度か隠密部隊の訓練をさせてもらったことがある。そこで教えてもらった行動と酷似しているのだ。


「なんでウチの隠密部隊が動いてるかはわからないが、本格的にアタシを狙ってるのかもしれない。いや、心当たりがないわけでもないけど」

「その心当たりって?」

「母上だよ。あの人、事あるごとに私のことを目の敵にするから。可能性があればそれくらい」

「いくらなんでもそれは飛躍しすぎだとは思うけど」


 可能性は低くない。口にはできないがそう思った。


 クラリッサの母がクラリッサに対して当たりがキツイのは今に始まったことではなかった。学生時代もそうだが、軍人になってからもそれは変わらない。だからこそクラリッサは家に帰りたがらない。顔を合わせれば睨まれるため、クラリッサは何年もまともに口を利いていなかった。その話を本人から聞いていたからこそ否定できなかったのだ。


「前にも言っただろ。アタシは母上の子供でもなければ父上の子供でもない。父上の妹の子を父上が引き取った。だから母上の風当たりがキツイ。まあ、仕方ないのかもしれないけどな」


 学生時代に聞かされた話だ。国王であるカエサルの妹が嫁いだ先で家族ごと盗賊に殺された。そして行き場を失ったクラリッサはカエサルに引き取られた。


「でもクラリスに対して風当たりが強いのは本人が無茶ばっかりするのもありそうだけど」

「私は自由なんだ。それに妹の子供だなんて話されたら、もう本当に妹の子供かさえもかわったもんじゃない」

「陛下の妹の子供でもないって言いたいの?」

「可能性は低くないだろ?」

「さすがにそんな子供を陛下が自分の子供として育てるかな?」

「わからん。なにがわからないかというと父上がなにを考えているかがわからん。王様になるような男の思考なんてわからないのが普通だとは思うがな」


 クラリッサは窓の外を横目で見てから外套を羽織った。


「とにかく荷物を持って出るぞ」


 外套に腕を通し、耳まで隠す帽子を被った。軍部支給の厚手の手袋をはめてからリュックを背負った。リュックは少し大きめだが背負って走れないほどではない。元々旅行をするようなこともなかったので大きなものは持っていなかった。


 用意を済ませて部屋を出た。足音を殺し、非常階段へと向かう。物音は立てないように、けれど速度は落とさずに階段を降りていく。隠密部隊の訓練を受けていないクラリッサがここまで順応できることに驚きを隠せなかった。が、今はそんなことを考えている時間はなかった。


 一階まで降りて裏口を目指す。まだ人の気配がないところから考えて、外にいる連中はまだ動き出していないようだった。


「準備は?」


 クラリッサが言った。


「できてなきゃここまで来ない」

「さすが相棒」


 そうして、二人は外へと出た。


 夜の空気が顔に直撃する。感覚がなくなるほどの寒くはないが、冷たく、耳や頬を触ってしまいたくなる。


 ここから馬舎までは少し距離がある。走っても数分はかかってしまうだろう。荷物

も持っているので全力疾走というわけにもいかない。


「こんなことならもっと近い宿に泊まればよかったな」

「こんなことになるなんて思ってなかったしね。でもいいよ、ふかふかのベッドで眠れた」

「四時間くらいしか寝てないけどな」

「四時間眠れば上等」

「討伐隊のときはもっと酷かったらしいな」

「魔王というか魔獣がね、いっぱいいたから」


 全力疾走とはいかないが、全力疾走に近い速度は出せる。真面目に訓練を受け、自主的に身体を鍛えていた成果がこんなところで活きるとは思わなかった。


 一度振り返ってみたが追っては来てはいない。


「大丈夫そうだな」

「だといいけどね」


 馬舎に到着し、余計に金を払ってアルを出してもらった。


 二人分の荷物をすぐに括り付けて馬舎をあとにした。当たり前のように前に乗ったのはクラリッサだった。


 元々イルファンドラは昼と夜の温暖さが激しい場所が多い国である。へトラはまだましな方ではあるがそれでも肌寒い。


「行くぞ」


 手綱を叩くとアルは迷いなく走り出す。そしてまたたく間に最高速度に到達した。


「この子、こんなに速かったの?」

「なに? 聞こえねーよ」


 こちらを振り向いたクラリッサに手を振った。「今はいい」と受け取ったのか、彼女は一つ頷いて前を向く。


 十分ほど走ったところで後方に光が見えた。光の揺れ方から見るに馬に乗ってランタンを持っているのだろう。隠密部隊だとしたら間違いなく早馬だ。それにランタンの火が消えないところから考えると魔導式。騎乗者は間違いなく光の魔法を使える。


「森に入るぞ! 掴まってろ!」


 道ではないところから一気に突っ込んだ。バサバサと小枝が揺れ、顔に葉が何度か当たった。顔に葉が当たり出血したのではと思った。しかし今はそんなことは気にしていられないと袖で拭うこともしなかった。


 乗り心地は良くなく、かなり強引な騎乗だ。けれどこれしか方法がないということはアリシアもわかっていた。同時に信頼できるパートナーと自慢の馬であることを思い知った。道なき道でも速度を落とさず走れるのだ、それも当然だった。


 クラリッサはアルを上手く走らせていた。何年も共に歩いてきたと思うほど、アルもまたクラリッサのいうことを利いていた。ジグザクに森の中を走り抜け、けれど後方を確認することは一度もない。


 最初はチラチラと見えてきたランタンの明かりも、走っているうちにやがて見えなくなった。


 その後もアルが止まることはなかった。明かりもない森の中を全力疾走で、しかもクラリッサの命令もキチンとこなしている。早馬と比べれば遅い。しかしその小柄さ故に小回りがきくのだ。木が生い茂るような森の中では早馬の健脚も本領を発揮できない。


 二時間程度走り続けて森を抜けた。正確な位置はわからなかったが、おそらく東には向かっていないのだろう。クラリッサがそういう女であることはアリシアがよく知っている。単純そうに見えて実は狡猾である。それ故に東に直接進路を取らなかったのだ。


 一度森を抜けて街道を走った。そしてまた別の森へと入った。おそらくはここから東に向かうつもりだろう。言わなくとも、訊かなくとも理解できた。濃密な時間を過ごしてきた仲で、唯一無二の親友だからこそ理解できてまう。


 森の中で速度を落とし、川の前でアルが止まった。


「ここまでくれば大丈夫だろ」


 アルから降りると、アルは一目散に川へと向かっていった。さすがに喉が乾いたのだろう。


「方向感覚は?」

「誰に言ってるんだ? アタシはクラリッサだぞ。たぶんあっちに向かえばナーファスだ」


 森の中を指差して言った。


「たぶんて」


 口では曖昧なことを言っているが、こういうときの彼女の勘は異様なほどによく当たる。昔から方向感覚や危機察知能力が常人とはかけ離れていた。彼女が軍部でも指折り数えるほど剣の腕が立つのも頷ける。


「心配すんなって。アタシの勘はよく当たる」

「それは否定しないし信じてるよ」

「この先逃げ続けることになっても迷うことなんてない。アルもついてきてくれるみたいだしな。思ったより骨のある馬だ」

「あんまり強引な乗り方しないでよね。一応私の子なんだから」

「わかってるって。でもアルが小柄でホントよかった。こいつだからこそできる乗り方だ」

「それに意外と速度も出るし」

「そうなんだよ。馬売も大したことないね。こんないい馬を安く出すんだから」

「いや、普通に小柄で人気なかったから値下げしたんだと思うけど」

「まあ、それは否定しないわ」


 腰を下ろし、夜空を見上げた。分厚い雲が星も月も遮って、地上には光がまったく届かない。こんな天気でなければ逃げ切れなかっただろうが、開放感の中で星を見られないのは残念だった。


 帽子を取ると熱気が靄として立ち上る。手足は冷たいのだが頭は異様に暑かった。


「あーあー、髪の毛くしゃくしゃじゃないか」

「それはアンタも一緒でしょ」


 クラリッサはアリシアの背後に回り髪をとかし始めた。


「私の髪とかすより自分の髪の毛なんとかしなさいって。クラリスの方が髪長いんだから。それにまた帽子を被るんだから意味ないでしょ」

「女の子なんだから身だしなみはしっかりしないとね」

「だから自分の身だしなみをなんとかしなさい」


 とは言うが、クラリッサは化粧などしなくても美人で、髪の毛が乱れていてもそういう髪型だと思われることがあった。それだけ彼女は容姿に恵まれている。


「アンタ、私の髪の毛とかすの好きだよね」

「アタシはお前の髪の毛好きだぞ。ちょっと癖がある艷やかなブルネット。それに匂いがいい」


 自分の頭にクラリッサの鼻が押し付けられているのがわかった。


「汗臭いでしょ、やめてよ」

「そんなことないぞ。いい匂いがする」

「シャンプーは同じ物使ったんだからアンタの髪も同じ匂いだよ」


 そうは言うが振り払うようなことはしなかった。学生時代からクラリッサはアリシアの髪をとかしたがった。だからずっとやりたいようにやらせてきた。ガサツな性格だがこういう作業は非常に繊細なため信用できる。


「うしできたぞ」


 髪の毛を触り、帽子を被った。


「アルの方もお待ちかねだ。暇を持て余しておすわりしてこっち見てやがる」

「結構体力あるんだ。あの速度で走って森の中でジグザグに動いてたらもっと疲れてもおかしくないけど」

「もしかして知らないで買ったのか?」

「知らないってなにが?」


 アリシアの言葉を聞き、クラリッサは大きくため息をついた。


「基本的に走ることを目的とした馬は五種類。でアルはその中でも小柄で持久力と筋力がある種類の馬。ただしあんまり人に懐かないから扱いが難しいんだけどな」

「そんな講義どこにもなかったと思うけど」

「独学で勉強した」

「そういうところあるよね、アンタ」


 興味がないことにはとんと無頓着だが、少しでも興味が湧くととことんまで探求したがる。そういった部分もまた自分と似ていると感じ、一緒にいられる要因にも繋がっていた。同時に、クラリッサがここまで騎乗が上手いことも納得できた。


 二人はもう一度アルに跨った。アルはそのまま二人の乗せて東に向けて走り出した。当たり前のように、アルを操縦するのはクラリッサだった。

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