第27話 アリシア=ハンバード⑳

 クラリッサがそっと手を取った。


「アタシはいつでもお前の傍にいるよ。十年経っても二十年経っても、しわしわのクソババアになっても、アタシだけはお前の傍にいる。全能神オロシュに誓っても良い」

「無神論者のクセに」


 そうしていつものように笑い合った。それを見たエルヴィンとレオナルドも微笑んでいた。


 この時間がいつまでも続かないことはわかっている。それでも今は、今だけはこの幸せを噛み締めていたかった。いつまでも彼女たちが自分の友人でいてくれることを切に願った。


 四人の会話は即位式のパーティが終わるまで続いた。王宮の明かりが徐々に消えていき、見張りの兵士が三人を呼びに来た。


「それじゃあアタシたちは帰る。また来るよ」

「楽しみにしてる」

「あー、俺たちもまた来るから」

「お前らは駄目だぞ。今日は特別だったが、アリスが魔王の子孫だってことを知ってるのは軍の上層部と一部の王族だけだ。エルとレオが真実を知ってるってわかったらたぶんヤバい」

「ヤバいって、俺たちどうなるんだ?」

「軍事機密が漏れたんだ銃殺刑に決まってるだろ。もれなく私も銃殺刑だ」

「絶対言わない」

「そうしろ。私も困る」


 三人が兵士に連れられて部屋を出ていく。


「じゃあ、またね」


 アリシアがそう言うと三人は笑顔で手を振ってくれた。


 ドアが閉まってまた一人になった。一つため息をつくと、なぜか涙が溢れてきた。楽しかった。嬉しかった。同時に、悲しかった。三人に気を使わせてしまったこともそうであるように、普通の人間ではないことを目の前に突きつけられた気分になってしまった。


 胸の中で広がっていく虚無感がアリシアの全身を蝕んでいった。


 左手に視線を落とすとクラリッサの顔を思い出した。いつでも傍にいて「大丈夫」と言ってくれる親友だ。彼女が言うと本当に大丈夫な気がしてくる。


 明かりを消し、涙を拭って布団に潜った。幸せな気持ちを胸に抱いたまま眠りにつきたかった。


 目蓋を閉じると暗闇に取り残された。でも昨日よりも寂しくなかった。


 落ち着いているせいか眠気はすぐにやってきた。明日もまた薬を飲まされる。でもそれは元の生活に戻るためであり、人類すべてを守るためである。


 だから「大丈夫」だ。


 明日はまだ駄目でも、きっとそのうちなんとかなる。そうしたらまず家族に謝りにいこう。謝って、受け入れてもらうのだ。魔王の孫でありハンバード家の娘として。


 微睡みに身を任せるとどんどんと身体が重くなっていった。不愉快な重みではない。


 そうやって眠りに落ちていった。



 その夜、夢を見た。


 暗い空間の中に一人で立っていた。


 遠く、遥か彼方から白い点が迫ってくる。その点は瞬く間にアリシアの身体を包みこんだ。


 気づけば町の中にいた。周囲には人がほとんどいない。いるのはアリシアの父と母、年の離れた姉の三人だけだった。


「アリスー!」


 姉が手を振ってアリシアを呼ぶ。間違いなく姉であるが非常に若く、二十歳前だと予想できた。


「はやくこっちに来なさい」


 父が手招きする。母は頬に手を当てている。二人共柔和に微笑んでいた。


 自分の身体を見下ろす。地面が近く足が小さい。それに胸も膨らんでおらず手の大きさも現在の半分程度しかなかった。


 ああ、これは夢なのだとすぐに気がついた。両親も姉も若すぎる。もちろん自分も。


 心地の良い風。懐かしい草木の匂い。歩き慣れた石畳。最近は見ていない両親と姉の顔。なぜだか鼻の辺りがツーンと痛む。胸から湧き上がって口から出そうになる感情を奥歯を噛んで押し殺した。


「帰りたく、ないな」


 両親の元にではない。現実に帰りたくないのだ。


 家族に楽をさせたいからと勉強も実技も頑張った。王都の高等部に合格し、軍人としての道を歩くことに決めた。いや、中等部の頃から決めていたのだ。王都で軍人として働けば両親への仕送りもできる。なにか困ったことがあっても、お金に関しては自分が工面できると考えた。


 両親も姉も、最初は駐屯兵になるための勉強していると思っていただろう。だから上高等部に上がる際、王都への配属を希望していると言ったら酷く反対された。その気持ちもよくわかるが、それでもアリシアは反対を押し切って上高等部へ進学した。その頃から実家には一度も帰っていない。ただ、仕送りだけは続けてきた。


 そろそろいいんじゃないだろうか。実家に戻って、これだけ頑張ったぞと胸を張っても。一度家族を否定した自分が言うのもなんだが、それでもあの家族ならば受け入れてくれるんじゃないかと思った。いや、そう信じたかった。


 軍を辞めてもいい。田舎に帰れって両親と一緒に農作業をすればいい。そうやって穏やかに暮らしていれば荒んだ心も落ち着いてくるはずだ。


 アリシアは迷うことなく走り出した。両手を広げる姉の胸に飛び込めば花のいい匂いがいた。


「どうしたの。なんで泣いてるの?」


 姉がアリシアの頬をそっと撫でた。自分が泣いていることなど気が付かなかった。


「さ、行きましょ」


 手を引かれ、両親と共に歩き出す。しかし、アリシアはそこで踏みとどまった。


「アリス?」


 不安そうな姉の顔に胸が締め付けられるようだった。


 魔王オメガと対峙したとき身体が動かなくなった。強大な力の前には兵士一人などまったく歯が立たない。恐怖が頭の天辺から足先まで蝕んで一歩も動けなくなった。自分の無力さを痛感し、生み出された虚無感が軍人としての矜持を削いでいった。オメガの死を前にして軍人でい続けることに迷ってしまった。そして同時に生きていることにホッとした。自分がどれだけ矮小でどれだけ無価値なのかを思い知らされた。


「ごめんね、お姉ちゃん」


 それでも家族と一緒には行かれない。まだ帰れない。まだ、終わっていないからだ。


「まだやるの?」


 夢の中であっても姉は姉だった。すべてを分かっているような顔だった。優しく包み込んでくれるように、いつもどおりの笑顔を浮かべていたのだ。


 両親もまた同じだった。ため息をついているのに、諦めたような表情なのに、どこか嬉そうにしているのだ。


 心底、この人達が自分の家族でよかった。


「ごめんね。まだ帰れないんだ。この仕事にも誇りを持ってる。もう少しだけ、私のワガママを許して欲しいの」


 魔王の涙の理由はあの場にいた誰もが知りたかったはずだ。自害の理由だって定かではない。それでも自分しか動かなかった。真実を知ろうとしなかった。真実を暴き、自分の出生も知ることになった。


 だからこそ、軍を辞めるわけにはいかないのだ。この仕事をしていれば、他人の涙を守れる気がするからだ。


「きっと帰るよ。それまでは待っててほしい」


 姉はアリシアの頭をそっと撫でた。


「それがアリシアでしょ」


 そうだ。それがアリシア=ハンバードなのだ。


「いってきます」

「はい、いってらっしゃい」


 家族とは反対方向に向けて走り出した。


 これは夢だ。今のやりとりが現実に作用することはない。それでも元気をもらえたのは事実だった。


 振り返れば家族三人で仲良く手を振ってくれていた。


 思い出す。王都に行くときにも三人は笑顔で手を振ってくれていた。上高等部に進学するときも、反対しながらもアリシアが家を出ていくときには手を振って見送ってくれた。


 そういう家族なのだ。


 だから負けてはいけない。やりたいことがあるのなら突き通すまでは諦めない。ときにはどこかで気持ちが折れるだろう。折れたら少し休んでまた前に進めばいいじゃないか。


 そんな気持ちを胸にして、三人に向かって手を振った。上高等部への進学する際は手を振り返すことなどできなかった。自分の幼さ故と理解しているから、今度戻ったらちゃんと謝ろうと誓った。


 前を向いて走り続けた。徐々に町の風景が変わっていく。色が淡くなり白んでいった。


 白い光の中を走り続け、少しずつ五感がなくなっていくような感覚に襲われた。起きるのだなと直感した。


 それでも脚は止めなかった。


 そうしてアリシアの意識は浮上していく。現実の出来事と完全に向き合えたわけではない。しかし前に進まないことにはなにも変化しないのだと知ってしまった。


 自分のために、自分を育ててくれた人たちのために前に進むのだ。そうでなくては胸を張れない。自慢の娘だろう。自慢の妹だろう。魔王討伐部隊に配属し生還したんだぞ。


 普通の人間に戻れたら一度実家に帰ろう。そして言うのだ。


「自慢の娘が帰ってきたぞ」と。

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