第26話 アリシア=ハンバード⑲

 現在、アリシアはカエサルが用意した隔離室にいた。イスに座り、高く積まれた本の中から好みに合いそうなものを手に取る。本をペラペラとめくってみるが、どうしても読む気にはなれなかった。


 王宮から離れた場所に設置された隔離施設に閉じこもってから三ヶ月。適度な運動、適切な食事、暇な時間は本を読んだり勉強をしたりして時間を潰した。たまにクラリッサが顔を出してくれるが、王位継承の儀式があったり仕事であったり、皇務であったりとなかなかに忙しそうであった。半ば幽閉のような形になって、人としゃべるという行為がここまで大事なものだと初めて知った。ここ三ヶ月で言葉を交わしたのはクラリッサ、カエサル、薬を作っている科学者二人、身体検査をする医者一人、見張りの兵士二人。その中で雑談ができるのはクラリッサだけだった。


 結局、家族にはなにも言わないままここで過ごすことになった。家族には罵声を浴びせて出てきてしまったので面会など来てはくれないだろう。ミラが面会に来ないことを考えると、もしかするとどこかで面会を止められているのかもしれない。と、そこまで考えてやめた。


 もしも単純に面会に来ていなかったとしたら辛くなるだけだ。だが誰も面会に来なくてもよかったというのが本音だった。ミラが来た場合は話すことがあまりない。家族が来てくれた場合には合わせる顔がないからだ。仲違いをしたままというだけではない。


 カエサルが用意した薬の副作用が強く、ときには一日中吐き気に苛まれることもあった。一日中便意を催すこともあったし、頭痛で動けないこともあった。周期的に薬の成分を変えているらしく、どういう副作用が出るのかを聞いていても実際に飲まないとどうなるかわからないのだ。


 どうしてこうなったのか。考えても答えは一つしかない。産まれたときからこうなることが運命づけられていたのだ。オメガの孫として、ハイドとミラの娘として産まれたときから決まってしまっていた。


 魔王の孫として強大な力を持つのは不本意以外のなにものでもなかった。しかし今までの人生が悪かったわけではない。ハンバード家に拾われて育てられたことだっていい思い出だ。クラリッサと出会い軍人になったこと。エルヴィンやレオナルドと知り合えたこともそうだ。軍事学校は非常に苦しく、魔王討伐部隊も決していいものとは言えなかった。それでもプラスマイナスで考えれば間違いなくプラスだと胸を張って言える。


 過去を振り返ってため息を吐いた。そんなとき、ガラガラとなにかを押す音が廊下に響いていてきた。廊下と隔離室を隔てる壁やドアは厚いが、それでも聞こえるということはかなり大きな音なのだろう。


 ガラガラという音が止まり、大きくドアが開いた。


「よう、待たせたな」


 現れたのはドレス姿のクラリッサだった。ドレスは綺麗だが、クラリッサ本人は汗だくで髪型もかなり乱れていた。


「ど、どうしたのそれ」


 フードカートを指差した。クラリッサはそんなことはどうでもいいというように、無理矢理カートを部屋に押し込んでくる。


「お姫様をメイド扱いしたんだ。楽しい食事にしてくれよな」


 カートを叩き、クラリッサが歯を見せて笑った。が、それより気になったのはドアの向こうで顔を出している二人の男の存在だった。


「エルと、レオ?」


 二人は居心地悪そうに笑い、間を置いてから部屋に入ってきた。


「外で見張りしてたから連れてきた」

「見張りしてたんだから連れてきたら駄目でしょ……」

「硬いこと言うなよ。ほら、イスからベッドに移れ。私とアリスはベッド、そこの一般兵はイスな」

「一般兵て……」


 エルヴィンがため息を吐いた。それでもイスに座るところはもしかしたら美点なのかもしれない。


「この王宮でも最重要人物」


 クラリッサがアリシアを指差す。


「アタシは第三王女」


 次に自分の胸に手を当てる。


「一般兵」


 エルヴィンとレオナルドには視線しか向けなかった。

「もう一般兵でいいよ。さっさと食事にしよう。ボクはお腹ペコペコだ」


 レオナルドが食事に手を付けようとしたが、クラリッサがその手を上から叩いた。


「主賓はアリシアだ。引っ込め一般兵」


 クラリッサはテーブルをベッド側に引き寄せ、アリシアの前に料理を並べた。


「よし食べるか」

「え、ええ」


 一般家庭では主神オロシュに祈りを捧げるところだが、クラリッサは「無神論者だ」と言ってこれを嫌う。レストランなど人目があるところでは食前の儀式をするが、知り合い四人しかいないので必要がないのだ。そのため「いただきます」という言葉のみで食事が始まった。


 どの料理も冷めていた。肉料理も、サラダも、パンも、スープも。けれど王宮料理人が作っただけあって冷めても美味しかった。


 しかし、どうしても居心地がよくない。エルヴィンとレオナルドがちらちらとこちらの顔色を伺っているのだ。


「あー、アリス」


 クラリッサがナイフとフォークを置いた。丁寧にナフキンで口を拭くが、それ以上の言葉を発しようとしない。ナフキンで口を拭く動作でさえ時間稼ぎに見えてしまう。


「言いたいことがあるなら言ってくれないとわからないんだけど」

「んー、そうだな。訊かれる前に言おうと思ってたんだが、コイツらを連れてきたのには理由がある」

「友達だからってだけじゃなさそうね」


 三人は目配せし合っていたが、クラリッサが咳払いをしたことでようやく決意が固まったようだ。


「三ヶ月前、実はあの場にコイツらもいたんだ」

「あの場って、もしかして沼のところ? でもなんで?」

「アタシのことを追いかけてきたみたいだ。コイツらは資料室でレイチェルを殺害した犯人を突き止めて、私はもう手を引けって言ったんだ。でも逆にコイツらは私を尾行してきたわけだ」

「つまり全部聞かれてた」


 クラリッサは神妙な面持ちで頷いた。


 それを見て、アリシアはため息を吐いた。


「別に隠す必要はないからいいよ。私が魔王の孫ってことも、なんでここに隔離されてるかっていうことも。友達だしね」


「それに」と、更に言葉を続けた。


「二人は私のお願いをきいてくれた。真実を知る権利がある。エルとレオなら不必要に他言することもないだろうしね」

「アリス……」


 アリシアの笑顔を見てエルヴィンが名前を呼ぶ。


「ありがとう。ようやく顔を見てお礼が言えたかな」


 フォークとナイフを置いて指を組んだ。


「今はこんな感じだけど薬はちゃんと完成に近づいてるみたい。学者さんの話だと一年以内にはなんとかなるって」

「そうか、それなら、よかった」


 エルヴィンがそう言うと、なぜかレオナルドが肘で彼を小突いていた。その意味はわからなかったが、レオナルドがなにかを言わせようとしているのだけはわかった。


 それでも自分から訊くことはしなかった。


「私は元気だよ。平気ってわけじゃないけど、友人たちがこうやってお見舞いに来てくれて一緒に食事をしてくれる。きっと私がここを出ても、こうやって顔を突き合わせて食事をしてくれる。そうでしょう?」


 その儚げな笑顔に三人が息を飲んだ。一年以内という話もそうだ。元気だという話もそう。アリシアが嘘をついていることは三人ともわかっていた。彼女が半ばあきらめの中にいることを初めて知ったのだ。

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