第15話 エルヴィン=マインカート③

 日が昇る前にエセットを出た。王都サルマドルに到着したのは日が落ちる寸前だった。途中で休憩を挟んでいるとはいえ、一日でこの距離を移動したのは初めてのことだった。


 身体は疲れていたが眠るにはまだ早い時間。荷物を置き、湯浴みをしてから街へと繰り出した。休暇はまだ半月以上残っている。ドロのように眠るには、やはり酒を飲むのが一番いいと思ったからだ。レオナルドは帰ってすぐに寝ると言っていたので誘うのはやめた。


 一年前まではよく通っていた酒場に入る。店主が笑顔で手を上げてきた。頬はコケていて細身ではあるが、あれで昔はやんちゃだったというものだから世の中とはわからないものだ。


 店主に手を上げ返してから店内を見渡す。男女問わず楽しそうに酒を飲んでいる。その中でも一人だけ、やけに目立つ女性がいた。カウンターでエールを二つ注文してその女性がいるテーブルに向かった。


「一人で飲んでるのか?」


 彼女はゆっくりと顔を上げてエルヴィンを睨んだ。綺麗なトウヘッド、イルファンドラ王国第三王女クラリッサだった。


「なんで睨むんだよ」


 向かい側に座るとなおのこと眼光が鋭くなった。


「許可してないんだけど」

「まあまあ、友人なんだからいいじゃないか」

「アンタと友人になった覚えはない」

「友人でもない先輩にアンタ呼びできる精神は感嘆する」


 エールが届き、一つを自分の前へ、もう一つをクラリッサの前に持っていった。


「奢り?」

「そういうこと」


 クラリッサは自分で頼んでいた分を一気に飲み干すと、エルヴィンが頼んだ分のジョッキを手にした。


「誰も取らないからもっとゆっくり飲んだらどうなんだ? アリスにもよく言われてるだろ。お淑やかにしなさいって」


 クラリッサは一気に飲み干して、それを思い切りテーブルに叩きつけた。


「アリスの話はするな」


 顔を真っ赤にして威嚇してくる姿は野生動物そのものだった。


 アリシアとクラリッサがたびたびケンカすることはあった。けれどわざわざ酒に逃げなければいけないほどのケンカは今まで一度もない。


「なにがあったんだよ。あ、ジョッキもうひとつ」


 ウエイターに声をかけて更にエールを注文した。


「別にないにもない」

「なにもないのに一人で飲んでるのか?」

「そうだよ、なんか文句あんのか」

「文句はないけど」


 クラリッサはため息を吐きながら机に突っ伏した。睨んでみたり怒ってみたり、かと思えば無気力になってみたりと忙しない。クラリッサとは同じ部隊になったことがあり、アリシアの友人ということで遊びに出かけたり飲みに行ったりするようになった。しかしこんなクラリッサを見たのは今日が初めてだった。


「アリスとケンカしたのか?」

「してない」

「じゃあなんでアリスの話は嫌なんだ?」

「だからアリスの話はするなって言っただろ」

「ああもう面倒臭いな。とにかく、なんかイヤなことがあるなら話聞くからさ、やけ酒みたいな真似やめろよ」

「飲みたいときに飲まずして人は生きられるだろうか」

「急にそういうわけわからないこと言い出す……」


 最初は励ますつもりではあったが、クラリッサの態度に当てられてエルヴィンの気持ちまで沈んでしまう。


「もしも私とアリスの間になにかあったらなんとかしたいと思う?」

「そりゃ思うさ。二人が仲いいのは知ってるし、もしかしたらなにか誤解があっただけかもしれないだろ」

「もしも世間的にアタシが正しいことをしていて、アリスが間違ったことをしていたらアンタはどっちの味方するんだ?」


 よくわからないことを言うのは普段からだ。だがこの会話だけは、なんとなく意味があるように思える。それはクラリッサが落ち込んでいることと関係しているような気がしたからだ。


「それだけ聞くんならお前の味方をする」

「アリスのことが好きなのに?」

「それはそれ、これはこれ」


 アリスに対する自分の態度が露骨だったのかなと、これからの接し方を考え直すいいきっかけになった。と思うしかなかった。狼狽えれば狼狽えただけクラリッサのオモチャになってしまう。


「俺は正しい方の味方をする。でも、そうだな、もしもアリスが間違っていて、その間違いが無意識だったならアリスの味方をするかもしれない。あるいは間違った上でアリスが孤独になるならばアリスの味方をしたいと思う」

「なんだそれ。結局アリスが大好きなだけじゃん。クッソくだらねえ」

「それはそれ、これはこれだって」

「今の話だとそう捉えられても仕方ないだろ」

「これが逆の立場でも俺はそうする。ただそれだけの話だ」

「アタシがアリスの立場でも?」


 クラリッサが気だるげに顔を上げた。


「そうだよ。そんなの決まってるだろ」

「そのときにアタシが人を殺したとしても?」

「アリス、そんなことしたのか……?」

「そうじゃなくて、もしもの話をしてるんだよ」

「ああ、そういうことか。さっきも言ったが状況にもよる。具体的には自分の身を守るための正当防衛や誰かを守るためにする殺しだな。それに俺たちは軍人だから、罪人を誤って殺してしまう場合もある。殺人が完全な悪だとは言い難い。そのときの状況や心情によって、俺はどちらの味方をするかを決める」


 クラリッサは大きくため息を吐いた。


「そこはさあ、俺はどんなことになってもアリスの味方をするよ、くらい言えないのか? これかだからいつまで経っても仲が進展しないんだぞ」

「いつもは手を出したら承知しないとか言うくせになんなんだよ」

「それはそれ、これはこれ」

「俺のセリフを取るなよ」


 エールを一気に飲み干して追加注文した。


 クラリッサが身体を上げてテーブルに手を置いた。その仕草がどことなく大人っぽく、いつもの彼女らしくないとさえ感じていた。


「これももしもの話なんだが」


 一瞬だけ言いよどんで、もう一度口を開いた。


「アタシとアリスが敵同士になったらアリスの味方をして欲しい」


 いつものようにニヤついた顔で「そうするよ」と肯定しようとした。しかしクラリッサの眼光はエルヴィンのニヤケ顔を許さなかった。


 エルヴィンは指を組み、真顔で細く長い息を吐いた。


「それはできない」


 クラリッサがテーブルの上で強く拳を握った。それは目端で見えたが自分の意見を変えるつもりなどなかった。


「なんでだよ」

「味方にはなれないからだ。アリスが圧倒的に間違っているならば、俺はアリスの敵に回るしかない」

「お前、それでも――」

「敵だったとしてもできることはあるからだ」


 相手の話を遮るのは好きじゃない。けれど、本心を知ってもらわなければ話は進まない。


「ちゃんと間違っていることを教えないと、それが間違ってるって気づかせてやらないとなにも変わらないんだ。その間違いのせいでなにが起きるのか、誰に迷惑がかかるのか、自分自身にどういった災いが降りかかるのか。それをわからせないと、その間違いは一生修正されないからだ。だから俺は一度敵に回る。俺にできるのはそれだけだからな」


 二人の元に新しいジョッキが同時に届いた。そして二人同時にジョッキを掴んだ。


「説教なんていらねえんだよ」

「説教したつもりはない。俺はそうするってだけの話だ」

「ああそうかい、じゃあ一生言ってろ」

「一生言うよ。それが俺だからな」

「だろうな。その年で好きな女に告白することもできないヤツだしな」

「そういうのはいいんだよ」

「でも、お前がアリスの友人でよかったよ」


 クラリッサが自分のジョッキをエルヴィンのジョッキに軽く当てた。


「さー飲むぞー」


 エールを一気飲みするクラリッサ。その細い喉が脈打つ度に、ゴクッゴクッという音が聞こえてきそうだった。


「そう、だな」


 なにかあったのは間違いない。けれどそこに首を突っ込んではいけないのだとよくわかった。きっと自分にできるのは事後処理だけなのだ、と。


 ジョッキの中身をクラリッサと同じように一気に飲み干した。


「「もう一杯!」」


 そうして、二人揃って新しいエールを注文した。


 これからまた長くなる予感がした。


 それでよかった。それでクラリッサの心が少しでも軽くなるのならきっとアリシアも喜ぶはずだ。アリシアに相談できないから一人で飲んでいたのだ、本当は話し相手がほしかったに違いないと勝手に思うことにした。そうでなくては、心配で胸がいっぱいになりそうだったからだ。

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