第16話 アリシア=ハンバード⑬

 テーブルの上に手紙を置き、背もたれに全体重を預けた。大きくため息をつき、紅茶を一口飲んだ。


 ため息の理由はいくつかあった。まずはエルヴィンが集めてくれた情報が、アリシアが欲していた情報よりも濃密であったことだ。崖のこと、絵のこと、駐屯訓練のこと。絵のことは王都の画家を調べればいい。兵士の方は駐屯訓練のために派兵されたのならば当然記録も残っている。


 王都に戻ってきてから軍務庁に行きにくくなった。魔王討伐軍だったので仕方なかったが、一年以上仕事場としては離れていた場所だ。自分のデスクもロッカーもないのだ。居づらいのも仕方がない。しかしそういう問題ではなかった。クラリッサの無断欠勤の件で軍務庁へと赴いた際、上官たちの視線があまりにも冷ややかだったのだ。上官全員ではない。大佐以上、と言った方が正しいかもしれない。大佐以上の上官以外は普通に接してくれるため、居てもいいものか悪いものかがわからなくなる。そんな中で受ける事情聴取は大変なストレスとなっていた。


 事情聴取が終わった日、エルヴィンから手紙が届いた。そしてその手紙の最後には「駐屯訓練の研修生に関しては俺に任せてくれ」という一文が添えられていた。軍務庁に行きづらかったため非常にありがたかった。同時に、なんとも言えない罪悪感がこみ上げてきてしまうのも事実だった。ため息の二つ目の理由がこれだった。


 エルヴィンから向けられる好意はなんとなく気がついていた。エルヴィンならば自分の頼みを利いてくれるだろう、という目論見の元で彼に手紙を出したのは事実だった。いいことか悪いことかと訊かれたら、それは悪いことだと即座に答えるだろう。それでもエルヴィンの好意を利用したのはアリシアにとって彼が友人であるからだった。誠実で口が固く信頼できる人間の中で一番最初に名前を上げるとすればエルヴィンだ。それでも好意を利用するような形になってしまったことに、自分でも納得できていなかった。


 目を閉じて一度だけ深呼吸をした。自身の頬を二度ほど叩き、本棚から王都の地図を取り出した。


「よし、やろう」


 テーブルの上に地図を広げ、ペンでいくつか目印をつけていく。王都に存在する画家、もしくは画廊の場所だった。最新の地図に載っている画家の家、もしくは画廊は四十近い。それに加えて王都は広く、一日で四十軒近くの家を回るのは困難だと思われた。


 しかしここまできてやらないという選択肢はなかった。


 まず近い場所から線を引いていく。効率よく回るためには最短距離を進まなければならない。王都に住み始めてから十年になるが、それでも王都のすべてを把握しているわけではないのだ。自分が知らない道を歩くことを考えると道順は整理しておくべきだと考えた。


 王都の端から端までを直線距離で歩いても六時間や七時間はかかるだろう。それを道順通りに歩き、なおかつ一軒一軒訪ねていくとなればかなりの時間がかかる。


 線を引き終わり、地図をリュックに入れて立ち上がった。リュックの中には他にも財布と家の鍵と水筒を入れた。


 家を出て近くの画廊から回っていくことにした。魔王になる前のオメガのこと、家族の絵、もしくはそれを描いた人間に心当たりはないか、そうやって王都の中を歩き回った。


 ときには水売りから水を買い、腹が減ったら果物やパンを買った。そこでも話を訊いてみるが、これといった情報は得られなかった。


 昼を過ぎて数時間、太陽が傾き始めた。ようやく十軒ほど回ったところの画廊でそれらしい情報が入ってきた。


「ああ、オメガの絵かい。それならマックスじゃないかね。マクシミリアン=ベロニウス。昔オメガの絵を描いたって自分でも言ってたからね」


 初老の美術商が顎ヒゲを触りながらそう言った。


「有名な画家ですか?」

「すごく有名ってわけじゃなかったかな。基本的に人物画しか書かないやつだったからね」

「マックスさんの居場所を教えてもらえませんか?」


 メモ帳を取り出しながらそう言うが、美術商は悲しそうに眉根を寄せた。


「それがもういないんだよ」

「王都から移った、とか?」

「いいや、三年前に肺炎で亡くなったよ。元々身体が弱くてね、本人も覚悟してたみたいだ」

「じゃあオメガの絵の行方はわからないんですか?」

「すまないね。私も話を聞いただけだから。あー、でももしかしたらテオなら知ってるかもしれんよ。マックスが若い頃から売買契約を結んでいたからね」

「じゃあテオさんの家の住所を教えていただけますか」

「うんいいよ、ちょっと待っててね」


 美術商は一度画廊の裏に入り、五分ほどしてから戻ってきた。差し出された二つ折りの紙を広げると住所と共にテオドル=ダリアンという名前が書かれていた。

画廊を出る際に深く頭を下げて礼を言い、テオドルの画廊に向かった。


 画廊から一時間ほど歩き、テオドル=ダリアンの家にやってきた。家は大きく、外壁も綺麗に塗装がされていた。


 テオドル=ダリアン。マクシミリアンと売買契約及び管理契約を結んだ男だと教えてもらった。テオドルが仕事を受け、マクシミリアンが絵を描き、テオドルがその絵を売る。もとより友人だったらしく、その契約はマクシミリアンが亡くなるまで続いたという。


 ドアノッカーを四回叩くと、中から若いメイドが出てきた。話をするとメイドは一度家の中に戻り、戻ってきてから家の中に通された。


 リビングで紅茶を飲んで待っていると、奥の方から初老の男性が現れた。小太りで身長がやや低く血色がいい。笑顔が似合う、人当たりの良さそうな人物だった。


「初めまして、ボクがテオドルだ。って知ってるよね」

「私はアリシア=ハンバード、軍人です」

「みたいだね。で、マックスのことが訊きたいようだけどどういった内容の話がお好みかな」

「不躾で申し訳ないのですが、魔王オメガの絵についてです」


 オメガの名前を出しても、テオドルは眉一つ動かさなかった。


「なるほど、もしかして家族絵のことかな」

「おそらくそれだと思います。その絵は今どこにありますか?」

「正直、ボクにもよくわからないんだよね。オメガが魔王になってすぐに盗まれちゃってさ。最初はどうしようかと思ってたんだけど、お金ももらってなかったし誰も取りにこなかったからボクもそのうち忘れちゃってて」

「どこから盗まれたんですか?」

「マックスの家だよ。マックスはさ、腕は良いけど筆が遅いんだ。だからある程度の下書きを終わらせたら王都に戻ってきて描き直すのさ。それからまた何度も描き直すんだ、納得がいくまでね。で、そのうちにオメガが魔王になって、絵は盗まれて。マックスもがっかりしてたな」

「がっかり、ですか?」

「絵ってさ、高いんだよ。ある程度の貯蓄がある家じゃないと絵を描いてもらおうだなんて思わない。だから家族の絵を描くなんて機会はあまりないのさ。来る依頼は貴族や王族なんかの肖像画ばっかり。だから家族の絵を描けるって喜んでたんだ。特にマックスの両親は早くに亡くなっているから」


 そこでテオドルの顔から笑みが消えた。マクシミリアンとは友人だったということもあり、二人の間には他人はわからない絆があったのだろう。


「もしかして、オメガの絵には複製とかってあったりしませんか?」

「複製? なんでそう思うの?」

「思いいれが少しでもあれば複製を作っててもおかしくはないかな、と思ったんですが。そういうタイプではなかったんですかね」

「うーん、どうだろうね。マックスの家はボクもちゃんと見たわけじゃないし。マックスの娘はマックスのことあんまり好きじゃなくて王都から出てっちゃったんだよね」

「じゃあマクシミリアンさんの家はそのままになってるんですか?」

「そういうことだね。本当はボクがマックスの家を片付けるべきなんだろうけど、なんだかひょっこり帰ってくるような気がしてマックスの家に入れなかったんだ。アイツは家に入られるの好きじゃなかったから」


 そう言われると家探しをしたいとも言い難かった。


 元々自分の興味本位で始めたことだ。そこにテオドルを巻き込むのは少し違う。彼には彼の思い出があり、マクシミリアンとの間には友情がある。


 口を開きかけて、諦めるという選択をした。他人の思い出を踏みにじって、故人の意思をないがしろにしてまでやることではない。


「でもキミはなんでそんなに絵に拘るんだい?」


 思いがけない質問に、どうやって返すのが正解なのか数秒間考えてしまった。


「それには事情があって……まあ事情というほどのものでもないのですが」


 これまでに聞いたオメガについての話をした。オメガ=リンダールという男の話。彼の家族の話。レイチェルが死んだことや、ハイドが死んでいるかもしれない話。そして、その絵があるのであれば家族の元に返したいという思い。話の間、テオドルは目を瞑っていた。


 その話を聞いたテオドルは「わかった」と立ち上がった。


「行こう、マックスの家に」

「いやでも――」

「大丈夫。そういうことならマックスも許してくれるさ。それにボクも複製があるなら家族の元に返してあげたいしね」


 テオドルは歩き出し、急に止まった。


「あ、でもちゃんと料金はもらうからね」


 と笑っていた。

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